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眼の奥に聴いてみて。#ことば展覧会

こんばんは、といです。
今日は、拝啓 あんこぼーろさん、のこちらの企画「ことば展覧会へのお誘い。」に惹かれて記事を書くことにしました。

言葉=瞳の奥の想い。

互いの気持ちや伝えたいことを理解するのに必要不可欠なアクション、それが言葉だと私は思います。
ヒト語を使う私たちは、ヒトでない動物(犬や猫、動物園にいる動物たち)の気持ちは分かりません。

一方で、ヒト同士であれば、言語の違いこそあれ、「言葉」によって伝え合うことが可能です。しかし、皆さんは、本当に伝えたいことが相手に伝わっていなかったり、誤解を招いて溝が出来てしまった経験はありませんか。

本当に伝えたい想いや自分の核となる考えは、瞳の奥に宿るのではないか。そして、それが本当の「自分の言葉」だと私は考えます。
それ故に、「自分の言葉」に自信がなかったり、読み取られたくない場合は、①そもそも人と会わない、②相手の眼を見ずに(おでこら辺)を見て話す、などの手段を講じます。これは、私なりの処世術です。

人の眼を見て話すことの重要性

今年はリモートワークが増えた方も、沢山いらっしゃると思います。
多くの企業において(必要に迫られ)WEB会議への理解が進み、取り入れられたのではないでしょうか。自宅やそれに類する場所から参加できるようになったことで、利便性や市中感染リスク回避というメリットが際立ちました。

その反面、同時にいろいろな人の眼を見て話す機会が格段に減りました。

例えば、議題を挙げてプレゼンテーションをするにしても、参加者の反応はそれぞれです。参加者が増えれば増えるほど、「自分の言葉」が受け止められているのかいないのか、脳内処理が追い付かなくなり疲弊してしまうでしょう。(他人の反応を気にし易い人は十分な休憩を取りましょう。)

とりわけ、多くの日本人は本音をズバッという人の方がマイノリティだと感じます。しかし、直接人の眼を見て言葉を交わすことで「お互いの言葉」が伝わるのではないかと感じます。

昔から言われるように、「目(眼)は口ほどにものを言う」のですから。

曇りなき眼

社会人学生として大学に通い始めて数か月経った頃、会社の方が数時間かけて電車を乗り継ぎ、私の様子を見に来てくれました。
大学外の方と直接お会いするのは本当に久しぶりで、遠くから姿を拝見しただけで「有難い」という気持ちで一杯になりました。

そんな私を見てか、
「眼がキラキラしてるから、元気そうにやってるね。よかった。」と声をかけていただきました。
その言葉はナニモノにも代えられない私の大事な宝物です。

眼が曇ったときは、休養が必要なサイン。
言葉も荒々しく、時に曖昧模糊として相手に伝わらなくなってしまいます。

「曇りなき眼(まなこ)で見定め、そして決める」
Studio Ghibli「もののけ姫」アシタカの台詞より

自分の人生を、信念を、考えを曇りなき眼で伝えられるように。
そんな大人に、私はなりたい。


とい。