いつの日か花を活けたい。
私は、花を活けない。
正確には、旦那さんの暮らす家で、
「生花を花瓶に挿さない」が合っている。
猫に倒されないように重心を低くした、
陶芸教室で作った一輪挿しは今は空である。
ある年の誕生日、花が好きな私に、
旦那さんはプリザーブドフラワーをくれた。
当時の私は(生花がいいな)と、
思ってしまっていた。
もし、生花であれば、貰うことなんて滅多にないし、
きっと童心に返って喜んでしまうと。
けれど、離れてみてよく考えるようになったのは、
「見送られる方と残される方、どちらが切ないか」問題について。
この問題には、いろんな考え方があると思うけれど、
もし残された方の部屋に生花が飾られていたならば、
別れた数日後に朽ちた花を処分する側は、
二度切ない想いをすることになるのではないか、
と私は思っている。
だからきっといつの日か、一緒に住んだ暁には、
プリザーブドでも、
ソープフラワーでもなく、
「生花を惜しげもなく」飾ってみたい。
そんな他愛無いことを想う夜。
とい。