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「が」をえらぶか「で」にするか、どちらにするかで平穏な日常は左右されるのだ

「   が、いい」とえらぶのは
まるで意欲があるようにみえる

「   で、いい」というと
まるで意志がないように思われがち

ただ、
「で」をえらぶのはまるで


それでいいよ。と
受け止めてくれているようで
なんだかうれしい

そんなときがある



どれがいい?どうする?と問うたとき「   で、いい」と返ってくるとあきらめた感があってムッとなる。それとは違って「   が、いい」と選んでくれると、本当にソレがいいと思っているのかなと嬉しくなる。曖昧でもなく適当でもなく、ちゃんと選んでくれているのかなと思える。

されども、どうやらそうでもないらしい。「   で、いいよ」には、(大丈夫)それでいいよ。とか、それでいい(ん)だよ(心配ないよ)。のような安心感とやさしさが含まれている「で」じゃないのかなぁと思えてきた。

ゼロか100か、白か黒か、善か悪か、はっきりさを強く求められてきた今まで、自分の意見をもつ・主張することが善のようにいわれてきたいままで。なんだかちょっと融通がきかなくて肩がこる。

「   で、いいよ」には、ソレもいいね!コレもいいじゃない!アレもいいんじゃないかなぁと、融通という心の余裕さえみえてくる。

ひとつだけ、と選択を決めるのもよし
ひとつだけ、に選択を決めないのもよし
たくさん、を選択肢にするのもよし

ただし、「どれでもいい」はちょっと困る。「どれもいい、ね!」にしてください。

ことばとは
本当に
なんとも
やっかいなソレなのです

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