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高級電動車椅子に乗った最強の息子




🔳「たっくんはどこでも生きていけるね!」に戸惑う母ちゃん


私の息子、たっくんは親戚や友人に「どこにでも行けて、自由に生きていけるね!」とお墨付きをいただく23歳の大学院生。

私はそのたびに「だってアレだよ?」と目を丸くして驚いてきた。

ここで、このセリフが「ただの母親の謙遜」じゃないよってことを伝えておきたい。

2000年生まれの息子、たっくんこと拓夢(たくむ)は、生まれつきの障がいを持っている。
先天性多発性関節拘縮症(せんてんせいたはつせいかんせつこうしゅくしょう)。
生まれた時から関節が固まっていて、自力で体を自由に動かすことができない。
トイレも寝ることも、介助しないとできない。
障がいの程度は最高級。
ちなみに愛車は電動車椅子も最高級で、高級車が買える価格だ。

この高級車を手に入れるまでの苦労もいつか話すね!
何か一つ手に入れる時には必ず何かが起きるのである。

そうそう、その車椅子は立位もできる電動車椅子。
車椅子で移動する息子を見て「どこでも生きていけるね」と言われたの。
その時、母ちゃんである私が一番驚くのはわかっていただけるだろうか?

周りにそう言わせしめてしまう息子の、「謎の自己肯定感の強さ」「コミュ力の高さ」「明るさ」など、母親として近くで見ていて頼もしい限りだが、ここに来るまでは本当にいろいろあった。

一番辛かったのは、息子が生まれた時かもしれない。
生まれてきてくれた時だってのにごめんね。

だから、23年前の自分に伝えたい。

「なんかめっちゃ自己肯定感高く育っているよ」
「兄妹も仲良いよ、妹はにぃにのこと大好きだからね」

当時はこんな未来が訪れるなんて想像できなかったから。

このnoteでは、息子とはっちゃけ母ちゃんの23年間をゆるりと書いていくよ。

家族構成


障がいを持つ自己肯定感高めの息子たっくんこと拓夢23歳。
にぃにのことが大好きな娘18歳。今は親元を離れ一人暮らし中。
家族大好き過ぎて空回り、超自己中で面倒臭い旦那。
そして私の4人家族。

楽しく明るい家族かはさておき、子供たちはすくすく良い子に育っております。

たっくん紹介


2000年生まれの23歳の男の子。
生まれた時から四肢に障がいがあって「一生歩くこともできないかも」と言われました。
先天性多発性関節拘縮症という、10000人に1人の確率でなる病気。
知的障害はないけど、身体に障がいがあるため日常生活の介助は必須。
7歳までに5回の手術。
謎の低血糖発作を繰り返し現在はポッチャリお兄さんに成長しました(笑)

勉強や話すことはどちらかというと得意。
人懐っこく愛されキャラ。
現在は将来の夢、公認心理師を目指し大学院で楽しく勉強中。

心理学は私も大好きな分野なので母ちゃんは密かに喜んでいる。

■ポッチャリ息子の自己肯定感はエベレスト級

ある日の夕食での出来事つい最近のこと。


私が「自分の自肯定感の低かった話」をしていたところ、息子は全くピンと来ていない様子だったの。

なぜか私は絶対に息子も自己肯定感が低いに違いないという勝手に思い込んでいて(ひどい母親)、なんなら「あんた仲間だよね」くらいな勢いで、話しかけていたんだけど(笑)

ビジネスにおいて「権威性を持って活動することは自己肯定感が低いとつらたんだ」ってことを話していて、

私「自分がやることを、皆が知ってくれたり好きになってくれるなんて思えないよね?」

心理を学ぶ息子は、一旦、寄り添ってはくれた。

息子「そうだよね、思えないかもね」

私「だから、SNSとかで顔出しとか自分のこと知って~とか無理なんだよね。自分のこと好きとか思ったことないし」

と言った瞬間、息子が驚愕の表情で、

息子「えっ!!!! ママ、自分のこと好きじゃないの?」
(未だママと言われている)

私「えっ……? たっくんは自分のこと好きなの?」

そこへ突然夫も参戦してきた。

旦那・息子「好きだよ(ドヤ顔)」

私「(夫に)お前も?? ちょっと待って。どこが好きなの?(ひどい)」

息子「全部好きだよ」

心底びっくりしました。

ここで、外見(ポッチャリ)も、障がいがあることも全て含めて、どこに自己肯定感高める要素があるか全くわからない私をご想像ください。

私「まじで? なんで? どこが?」

我ながらひどい質問を繰り返す私。

息子「逆にママはなんで自分のこと好きじゃないの?」

私「今はそんなでもないけど……劣等感の塊だから」

結局、心理を学ぶ息子から「心理テストするといいんじゃないか」と診断されそうになった。

繰り返しになるが、息子たっくんは高級車並の値段の電動車椅子を乗りまわす障がい者だ。

だから息子が、こんなに自己肯定感が高く、自分のことを好きでいることに本当に驚いた。

健康に生まれてきた子に比べて、皆と同じじゃないことに劣等感を抱いたり、閉塞感の中で生きてきたのではないか、と心配していたのでハッキリ言って安心した。

安心と同時に、なぜそう思えるのか疑問に思い、尋ねてみた。

「なぜそんなに自己肯定感が高いのか?」
「障がいを受け入れることができているのか?」

そしてここで、たっくんの名言が繰り出されることになる。

「そんなこと考えたって変わらないじゃん」

息子は昔から「何歳なんですか」とツッコミたくなるような名言を繰り出すキャラではあったけど、またしても母ちゃんはやられてしまった。

そんな夕食の一コマでした。

障がいは個性?


「障がいは個性」と言う人もいる。
障がいを個性と思えますか?

そして……自分の子どもに障がいが見つかった時でも、そんな風に思えるでしょうか?
思える?
本当に思える?
しつこい(笑)

私は思えませんでした。

「自分の子に障がいがあってもそう思えるの?」ってずっと思っていた。

「その個性という言葉はなんなん?」と怒っていた。
この言葉を使うのは基本的に健常者。
障がいを持つ人で「障がいは個性だ」と言う人は少ないと思う。
恐らく「障がいは個性」という言葉を使う人は、障がい者に対して「かわいそう」と思っているのかもしれない。
それを個性と呼ぶことで、ポジティブに変換し、自分の「かわいそうと思ってしまっている」罪悪感を書き換えているのだ。
そして、その言葉に障がいを持つ子のお母さんは、「自分が産んだ」罪悪感を感じ、そして傷ついてしまう。

そんな私の思いを覆してくれたのも、息子である。

息子「誰にでもできないことはあるじゃん、できることを精一杯やればいいんじゃない?」

これはたっくんが中学2年の時に私に突きつけた名言。

障がいのある本人が一番、親よりも、「誰にでもできないことはある」とその事実を受け入れて生きていたのである。

母ちゃん撃沈である。

1人で「個性ってなんなんだウギャー!」と怒っていたのだ。

思えばたっくんはこの頃から自肯定感高めだった。

だけど一緒にいてもそんなことには全く気づかない、のんびりな母ちゃんでした。
そして息子が障がいを持って生まれてこなかったら、こんな風に思わなかっただろうなとも
思う。
きっと私も、自分の子どもがそうでなかったら、「障害は個性なんて、おかしいんじゃないか?」と疑問には思わなかっただろう。
人は立場が変わると気づきや感情はこんなにも変わるもんだと今改めて感じるわー。

■デンジャラス母ちゃんだった


保育園から高校まで、たっくんは公立の学校に通い続けました。

つまり一度も支援学校のお世話になっていないの。
これってけっこう奇跡的なことで、今振り返ると、なかなかデンジャラスな母ちゃんだったな、と我ながら思う。

ひとつエピソードを紹介しますね。

これは小学校での話。

私は公立の学校に入れるんだから、怪我をしたり、といったことも当たり前にあると思っていた。

そんなことは健康な子どもでも当然起きることなんだから、と。

だから何か起きた時に過剰に文句を言ったりだとか、反応するのって、違うなーと思っていて。

で、実際に小学校2年生の時、たっくんが怪我をしたんですね。

学校で車椅子で移動中に車椅子ごと転んで頭を打って、硬膜外出血になって、入院。

先生は平謝りに謝っていたんだけど、私は「ありますよね、そういうことも」という感じだったんだよね。

「そういうことがあることも前提で、学校に預けている。
 だから、そういう子を預かるハードルを上げないでください」と。

今思えば、四肢に障がいのある子どもを公立の学校に入れて「そういうこともありますよね」なんて、かなりデンジャラス母ちゃんだったな、と(笑)

でも本当に、特別扱いしてほしいなんて、微塵も思ったことはない。

障がいがあることでいじめられたらどうしよう、とか、
皆と違うことが、この子の傷になるんじゃないか、とか、

そういうことを心配して、公立校に入れるのをためらうとかも、全くなかった。

なんなら「公立校に入る」という当たり前を通すために、めっちゃ頑張った。
たっくんが公立校に行けるのは権利なんだから。
教育委員会も何回も行った。
入学を断られたり、「親が付き添うならいいですよ」なんて言われたり。
なんでそうなるのか理解ができなかったから、わかるように説明してくださいって何度も言った。

これも、ある意味デンジャラス母ちゃんだったと思う。

障がいがあることで、教育格差がついてしまうことに、納得いかなかった。
このデンジャラス母ちゃんの戦いについては次の投稿で詳しく書こうと思います。

■noteを書く理由

先日、ついにたっくんを手動の車椅子に乗せられなくなりました。

体に腕をまわして持ち上げるんだけど、何回やっても「パンッ!」って腕が弾け飛んで持ち上げられないの(笑)
大きなお腹に届かなくなった私の腕。
これには参った。

リアルに困る話で、今までは私が介助して生活してきたけど、今後どうするの? と。
だけど、彼ももう23歳。

もしかしたら家族の生活の形を変える時……つまり彼の自立の時なのかもしれない。
親じゃない誰かを頼って生きていく時が来たのかも。

親はもう、無理だなぁ。

そう、かわいかったたっくんも、もう大人なのだ。

正直、たっくんはかわいかった。
いやー本当にかわいかった。
天使の声と顔を持った息子だった。

でも今は……あのタレント出川さんを超えるおっさんに成長している(23歳だけど)

男性ホルモン恐るべし。
かわいいとかどこにもない。

彼からかわいさが消え、おっさんに成長し、そしてついには母ちゃんが介助できなくなってしまった。

恐らくこれは、身体に障がいを持つ子どものいるすべての親に訪れるタイミングだと思う。

「我が子を介助できなくなる瞬間」

とうとう私にも来てしまったのだ。

過去の自分に向けて


冒頭にも書いたけど、息子が生まれたばかりの頃の自分に向けて、言いたい言葉が沢山ある。

そして過去の自分に向けて、というのは、イコール、現在進行形で「辛い思いをしているママ」に向けて、でもある。

私もたっくんが自己肯定感最強の息子に成長した今は、ゆるっと振り返ることができるけど、彼が20歳を過ぎる頃までは、辛いことも多々あった。
だから、今まさにそんな思いをしている方に、何か伝えられるものがあればいいな、と思っている。

今、息子が自立していくかもしれないこのタイミングで、この23年間をゆるっと振り返りながら、真正面から受け止めてしまうと辛かったり重かったりする事実を、ゆる要素多めで語れればいいな、とnoteを始めた次第です。

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