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「はっきりとした物言い」の塩梅

昔よくテレビに出ていたような「歯に衣着せぬ」キャラの方々がちょっと苦手でした。(今もいなくはないですが)

だいたいそういうキャラを売りにしている方々は私にとっては、「よくぞそれ言ってくれました!」というすっきり感より「なんでそんな失礼な言い方するんだろう」としか思えないことが多かった。

今考えれば、テレビに求められて強調していた部分もあるのかなぁと想像するけど。
それにしても、それならその演出込みで苦手でした。

思っていることをそのまま言えばそれでいいのか?
それよりも、みんながなるべく不快にならないような言い方を選びながら、求められる結果を導き出せるほうがよっぽどかっこよくないか。
そう考えていたし、今もそう思っています。

だけど世の中には、ある程度「はっきりとした物言い」をしなければならない場面もある。
言うべきことは言わねばならない。
あまり下手に出るのは得策ではない。
そんな場面。

自分や家族や仲間を守るため、仕事で譲れないなにかを守るため(それも自分や仲間を守るため、かな)などなど。

会社員時代、仕方なく「はっきりとした物言い」をできるようになっていきました。
それは両刃の剣みたいな部分があり、私の場合は、「はっきり言える自分」に酔いかけていたことは否めない。
それが、ある出来事からの先輩のひと言で、考え方が変わったのです。

より柔軟に、よりよくするにはどうするか、という視点。

この頃からますます、批評的な場面で白か黒かをバシッと言うことや言う人への警戒感が生まれるようになりました。(決断する立場の人は別)
熟考した結果なのかな?て思う。

ちょっと違うかもしれないけど、国会とかで批判合戦みたいなのを見たときも、なんかもう少し建設的なやり取りできないのかな?と思っちゃう。
攻撃のために批判しているのか、良くしたいから批判しているのか、よくわからなくなってしまう。

なにかを伝えるときって、目指す結果があるから伝えるのだと思うのです。
その結果を導くのに、相手に配慮もしつつ論理的に積み重ねていくのって、とても難しいけどできないことじゃないんじゃないかな。

理想は高く、私はそれを目指していきたい。
(最近は、仕事中子どもと簡単な言葉で話すほうが多いけどさ)


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