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どこか遠くに行きたい行きたい行きたい、そして自分の中をのぞきたい

昨夜の『マツコ会議』森山直太朗さんの回で
圧倒的な孤独の時間についての話があった。
自由と孤独についての話があった。

マツコさんと森山直太朗さんが真剣に
その話をしている。
それを見て、突き動かされる感じがした。

生きていくうえでの自分にとっての本質
みたいなものにたどり着きたいっていう
欲求が私にはあって。

おふたりが、ひとりでそうした
本質に触れるための時間をもつという
話をするのを聴いているうちに
あれ、なんか、胸元までそのかけらが
浮かび上がってきた感覚があったんだけど
なんだろう?と、自分をのぞきこんだら
すぐ消えた。

自己紹介の記事にも少し書いたけれど
仕事して自分の生活があって
家族のための時間もあって
そんななかで、自分の内面にじっくり
向き合う時間を気の済むまで取るのが
なかなか難しい。

さらに、自分と向き合うだけの時間に
没頭するには自然の近くがいいのだ。
独身時代、仕事ばかりして気持ちが疲れると
よくひとりで大きな公園に行ってぼんやりした。

本当は、見たことない景色のところに
行ってぼんやりしたい。
圧倒的な星空とか見ながらぼんやりしたい。

自分の内面をのぞき込むときには
必ずしもそこにあったものを
言語化しなくてよいのだ。
まずはそこにあるものを静かにひたすら
見つめる。
それから落ち着いて言語化するのだ。
だから、ある程度まとまった時間がいる。
(私の場合は、ということになるけど)

森山直太朗さんがそのための空間を手に入れたという話に、うらやましいと感じた。

どこか遠く、見たことない景色のあるとこに
行きたい行きたい行きたい。

だけど、わかっているんだ。

ひとりでそういうとこに行きたいのは
帰る場所がちゃんとあるからなのだ。

そして、本気で行こうと思えば行けるのに
行ってないのは、日常の小さな幸せの
積み重ねが本当に大切で、そちらも
簡単におろそかにはしたくないという
気持ちがあるから。

あぁそうか、
自分の気持ちの置き場所としてnoteを
始めたのだけど、書くことは自分と向き合い
整理することなのだな…と、あらためて。

遠くに行って思索する代わりに
明日もその先も記事を書こう。
(そのうち遠くにもひとりで少し、行ってみたいな)



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