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自分の「やること貧乏性」について考えた

仕事がヒマになるのが嫌なんです。
恐い、といってもいい。
なぜなんだ。

おいおい、保育士のくせにそんな余裕の発言?と思われるかもしれませんが、本当なんです。
私の勤務する一時保育室では、たまに利用者が少なくて職員が余ることがあります。
オミクロン株が流行ったときとか、自粛する方も多かったのでそういうことも。
そうなると、作業祭りです。

壁飾りの製作、子どもたちの製作準備、箱だのおもちゃだのイスだのをつくること……
モリモリやる作業があるならば、製作系は好きなほうなので全くかまいません。

なんだけど。
途中で「あ、これ、もうしばらくしたら終わる」と、終わりが見えてくると。
まだ終わってないのに先が不安になってしまう。
この先、することがなくなったらどうしよう……
なんなら、年間通して今から心配してます。
何月には作業がなくなったらどうする?

なんなんだ、これは??
我ながら疑問です。
この先利用者が増えることが見込まれているにもかかわらず、この不安感!

小児科病棟に保育士として勤務していたときには、最初の緊急事態宣言下で患者さんが激減して本当に暇になりました。
ほとんど誰にも指示がもらえぬまま、必要とされるのかわからない仕事を無理やり自分で作り出しつづけ大変虚しい思いをしたことがあります。
現在の恐れは、ここから来ているのかも。

書いてて思ったけど、これはたぶん、他者の視線を気にしている面もあるんだな。
あいつ暇そうだな、と思われたらイヤ、とか。
それを想像して勝手に感じる孤独感。

ちなみにプライベートでは、暇でもまったく気になりません。
ていうか、そこそこやりたいこともすべきこともあるから、不安になんてならない。
ふぅむ。。。

実はこの恐れ、会社員時代にもうっすら感じたことがあります。
たまに訪れる仕事の閑散期になにをするか。
やりたかったこと、時間があるからこそできる未来に向けての準備など、がんばって洗い出しました。

そうか。
今は非正規職員で、自ら考えて動ける範囲が狭いから余計恐いのか。
小児科病棟のときも、私は看護助手のような立場で、自分で決められる範囲が狭かった。

非正規職員になって、楽ちんで快適。
だけど、失ったものもある。
それは感じている。
なにを今優先したいか、という話。

以前に、ほぼ日刊イトイ新聞で、ものすごくハッとさせられた言葉があります。
「多忙は怠惰の隠れ簑である」

確かに、忙しいとなにも考えなくてよくなっちゃう。
怠惰に…ならないようにしたいな。

本当に暇な時間がやってきたときに、自分の真価が問われるのかもしれないよ、というのは大げさか。

仕事の量も暇な時間も、本当に必要ならちゃんと休む時間も。
バランスよくいきたいものです。


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