願いの階層
あれをしたい、これをしたい。
自分のやりたいことを「やる」人生を歩みたい。
こうして、2年前から、今の僕がある。
ところが、自分のやりたいことをやる、ってのは、概念としてはそうなんだけど、なんかもやっ・・とする部分があった。
このことについて、ふと思ったことがあるのでnoteしておく。
最初は「草刈り」から始まった。
農業生産が担い手に集約している現在、農家さんは田んぼの「中」の管理に手いっぱいで、畦畔、つまり田んぼの「外」に振り向ける余力がない。
なので、そこを「アウトソーシング」でカバーし、農家さんを楽に、そして、米づくりに専念できる環境を創造しよう。
これが最初の「願い」だった。
これで一皮むけたのか、しばらくして、いろんな思いが表に出てきた。
時はコ○ナの禍、あおりで生活が苦しくなったシングルマザーさんが激増した。
僕は母子家庭だったから、これがグサッと胸に突き刺さる。なので、自立したら、雇用とか、食べ物(米や野菜)の提供、という形で彼女たちを救いたい・・
これも「願い」になった。
続いて「環境保護」。そもそも僕が、今の道に進んだ理由である。二浪してまで進んだ大学、そして就職。カイシャが環境ドンピシャではなかったからか、あるいは日々に忙殺されていたからか、久しくその志を忘れていた。
・・がとある業務をきっかけに、その思いが再燃する。
これも「願い」になった。
ところが・・・
まだあるな・・
なんかあるな・・
内観して気付いたものが、
粗放的有機農業。
現在の慣行的な農業とは真逆の概念である。
現在は、奇跡とも”ぐうたら”とも言われている。けれど僕は、これが農業の本筋であり、パラダイム・シフトのキーワードだと思っている。
これも「願い」だ。
農業関連では、「工業と完全に融合した農業」というのも「願い」ではある。
以上をずらっと並べてみると、どういうわけか、同列にすることに抵抗がある。横並びってのが、違う気がする。
どっちかっていうと、中心から外へ向けての階層というか、深い部分からの願いと、割と浅い部分からの願いがある・・と考えたほうがしっくりくる。
本日の時点では、「粗放的有機農業」の願いが、一番深いところにある気がしている。
・・が、これはひょっとしたら変わるかもしれない。
逆説的に言うと、これはフラフラしている状態かもしれない。「なんだ、全然定まってないじゃないか!」という。
なので、もっと内観を進めていってみよう。
「過去」を全て消去した時、新たな自分に見えてくる、新たな願いを発見するかもしれない。
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