「昭和」、という落としどころ
「マスクをするから顔が見えなくなって、会話もオンラインになって、人と人とのコミュニケーションが希薄になってしまった。その弊害が出始めている・・・」
この話は新聞やニュースでも時折見かけるし、実際にそうだと思う。
うちの娘はまだ、クラスメートの(全)顔を見たことがないんだそうだ。
時折、僕は知人とこの話をする。
もう戻れない。
こんな流れになる。
しかし、話に「その先」がない。「落としどころ」がないのだ。
結局、いつも話はしぼんで終わる。
僕は、なんか悔しくて、一つでも解釈を導き出したいと思うのだ。
で、先日も、このことをああだこうだと話していたら、僕的に一つの「落としどころ」が見つかったのでnoteしておく。
いろんなものが強制終了された。
そして僕たちは途方に暮れている。
けど大きな目で見たら、ダメなものはそれまでにすでにダメになっており、今回、引導を渡されただけだ・・・という解釈もある。
地球環境なんて、まさにその典型だ。
一年前のあの時、ガンジス川がきれいになった・・とか、北京の街並みが遠くまで見通せるようになった・・とかあったと記憶している。
ちょっと経済を止めただけで、こんなに環境が回復するのか。そんなふうに驚いたものだ。
つまり、この星の経済は、あの時点で、地球環境を破壊するダメなものになっていた・・ということだろう。
神なら、地球を守るために、大ナタをふるうかもしれない。
けど、神じゃない僕たちはどうしたらいいんだろう。
じゃあ「戻れない」じゃなくて、どこかの時点に「戻す」なら、どの時点がいいんだろう?って、ふと思った。
そこで浮かんだのが、
昭和
というイメージだった。
僕は昭和の生まれだから、こういう発想ができたのかもしれない。
あの頃の暮らしは、こんなだった。
電話は「家電(いえでん)」のみ、黒電話。
エンタメは居間のテレビ、それも数チャンネル。
けど、本もあったし、ステレオもあった。恋文も書いたなあ・・
お店と言えば、個人の日用品店とか駄菓子屋で、スーパーなんてなかった。
よく「ツケ」でお使いに行かされたっけ。
車は家々にはなかった。僕んちにもなかった。もっぱら公共交通機関。
そして夜になれば、街は暗くなった。24時間営業なんて考えもしなかった。
コミュニケーションが減るってさっき書いたけれど、昭和の昔のコミュニケーションに比べたら、はるかに多いかもしれない。
24時間、スマホで動画を「チェック」しなくても、「放送」が修了したら、スイッチをOFFればいい。
・・・こんな「落としどころ」。
以前のnoteで、ゴミの減少や、そもそも消費を減らさないといけないんじゃないかってことを書いたけど、改めて現代は、資源やエネルギーを猛烈な勢いで消費しているんだと実感する。
このままでは、本当に僕たちは滅んでしまうかもしれない。
「戻る」、ってアイディアがあれば、仮説が立てられる。そして、仮説が立てば、人類は実証できるのだ。
僕のアイディアが「解」だとは思わないが、こうやって考えていこう。
自分の頭で。
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