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農業をひも解く17 ~あるようで、ない時間~
以前のnoteで紹介した国の政策が、パブコメを終えて正式に決定したようだ。
今ならまだプレスリリースが見られるので、概略はそのほうがわかりやすい。一度読んでみよう。
さて、趣旨はまあいいとして、2050年までに目指す姿、これは大変だ。あと30年で、現在の慣行農法をガッツリ見直さないとこれは達成しがたい。
僕が思うに、ここで一番大変なのは、
農業=慣行農法
となっている現在の状況を、生産者の意識レベルで「そうでないもの」にシフトさせることだと思う。
たまたま、ここ数回のnoteで関連したようなことを書いていたから余計そう思うのだろうけど、化学肥料や化学合成農薬の使用は現在の栽培体系の前提であり、保守・本流なのだ。
また、田畑を耕すこと、そして、雑草を”雑草”として駆除することに対しても、生産者は疑問のカケラもないことと思う。
なぜならそれが、
意識と完全に一体化
しているからだ。
初めて農業に接した時にあったカタチ。それが意識に刷り込まれるのは当たり前だ。だからそれが「それでいいの?」と言われたって、意味不明だろう。疑いとか思考の余地が、そもそもないのだ。
また、栽培体系ってのは、その名のとおり「体系」であって、その中の一部をAからBに置き換えたり、Aを無くしてしまったりするとマトモには機能しない。既存の栽培体系の「化学肥料」を「有機質肥料」に置き換えただけではうまくいかないのと同じことだ。
そういう体系の変更を、生産者の意識の書換と並行して、あと30年でやる。こういうことになる。
しかし・・・
ショーバイや地球環境の観点からは2050年でいいかもしれない。けど、日本の農家さんは、あと10年がヤマだ。だが、このことは、戦略の範囲とされていないみたいだ。
どっちにしてもこれだけは言える。
時間は、あるようで、ない。
さて、僕は何から手を付けようか。
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