見出し画像

今日の参拝146 〜お不動さんに呼ばれる〜

関西から帰って来た。

すると、自室のお不動さんのおふだが落ちている。
風もない、誰もいない状態で。

・・呼ばれたのか?


こう思った僕は出かけた。

大岩山日石寺


お寺の詳細は何度も書いているので割愛する。

呼ばれたのだとしても、その理由は行かなければわからない。
目に見える何かが起きるのか、目には見えない世界で何かが起きるのか、それすらもわからないのである。

とりあえず僕は、目に見える範囲で何が起きるかに注力する。
とにかく「鋭敏に」構える。

11時になり、護摩供養が始まった。僕はこの日、

生き物への懺悔


をしようと決めていた。すでに卒塔婆のおふだも納めてある。文言は、

田の生き物の方々の供養


一心にお経を唱和する。
自分が溶け、護摩堂の空気と一体化した気がする。

だが、特段なにも起こらない。

護摩供養が終わり、短いお話がある。
お坊さんはこんな話をした。

先日、ウチの区域でも草刈りがありまして、それにはご年配の方が出ておられました。
でも、歳をとると、それまで出来ていたことが出来なくなるんです。だから草刈りは重労働です。

一方、ウォーキングのイベントに若い方が沢山出ておられました。これを見て私は、何かおかしいと思いました。


ん?


アンテナが反応する。
お坊さんは続ける。

だから私は、「これっておかしくないですか。」と言おうと思うのです。

そして最後にこうおっしゃった。


まずは自分が行動を起こす。そうしてみて下さい。


これか・・と思った。

何かがおかしいと思うなら、また、何かが必要だと思うなら、まずは自分が行動を起こしてみる・・この言葉を僕はいただきに来たのか。

それが具体的にどの局面を指すのかはわからない。だが、そういうことがじきに訪れるのかもしれない。

ありがとうございます。今日はこの言葉をいただいて帰りますね。


こうして僕は家路に着いた。

さあ、何が起きるのだろう?明日からの日常に。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?