この続きと言ってもよいかな・・↓
日月神示 月光の巻
自分はどう生きたいのか。
この問いの答えを見つけ出そうとする時、必ず引っかかるのが、「お金」の問題である。まだここから抜け出せていない。
ほしいと言えばほしいが、額が問題ではない気がする。
必要な分はほしいが、蓄財には興味がない。
タダで仕事をしてあげたいが、それでは経営が立ち行かない。
こんなあたりを、いつまでたってもウロウロしている。
だが今回、まちがいなく「これだ!」と思えたのが、この
清富
というあり方である。
富んではいるが、清い・・というあり方に、強く心魅かれる。
仏教でも、「お金も、それが”欲”にまみれていなければ、たくさん持っていて構わない。」というが、同じことだろう。
そこで、先ほどの問いであるが、
・清くあること
・富んでいること
これが僕の「生きたい」生き方のような気がする。
在り方、と言うべきかな?
であれば、清くあろう。
清い自分であろう。
富もう。
「富んでいる」自分を受け入れよう。
特に後者は、僕が苦手とする領域だ。
”イコヂ” なんだろうか、だいぶマシにはなっているのだけれど、いまだにそれを手離せない。もっとも、日月神示では、お金は「富」の一部に過ぎないが・・
この受け入れが、ピンポイントで僕が克服すべき項目だ。
何がそんなに難しいのかって?
僕にもよくわからないんだけど・・(笑)
ただ・・1年前より、マシな内容になっていると思う。