天と地
以前、このような記事を書いた。
そして過日は、このような内容をしたためた。
総括というわけではないが、今一度noteしておこう。
僕を挟んで、上には「天」が、下には「地」がある。そして、そのどちらにも「神」はおられるだろう。
通常、神を意識する時は、何となく、「上」におられる神を意識するのではないか。ご多分に漏れず、僕もそうだった。
だが今、僕にはちょっと変化が訪れている。
僕はこの「地」の上に立って、生きている。
食べ物も飲み物も、そして空気も光も、この「地」からいただいている。
そう、この「地」という壮大なエコシステムの上で、僕は生かされている。
よく「地球には意思がある」とか、「地球はアセンションしている」とか言うけれど、この地球を上記のようにとらえた場合、そこに巨大な一つの有機的「生命」が存在していると思えてもおかしくはない。
一部は全体、そして、全体は一部みたいな・・・
そうすると、自然と目線が「地」に向かう。風を感じ、光を感じ、時間を感じ・・・そこから何かを心に落とし込もうとする。
その先に、「地の神々」がおられる。
九頭龍大神などは、地の神の筆頭であろう。
また最近、何となく気になっていた、オオヤマツミやオオヤマクイの神々も地の神々である。
また崇敬するハニヤスヒメも、まごうことなき地の神である。
このように、自分が成長(?)するにつれて、新たな気付きが現れる。
日月神示ではそれを、
神示、八通りに読めるのぞ
と表している。
要は、成長すれば、新しい発見がそこにはあるのだ、ということ。
みんな、忙しそうにしている。
ああしろ、こうしろ、と、兎角「人間」の言葉に振り回される。だが例外なくそれらの言葉は、煩雑で面倒くさく、そのほとんどが本質的ではない。
要は、「どうでもいいこと」である場合が多いのだ。
だから僕らは、そちらではなく、時折立ち止まって「地」を感じてみよう。そうすると、行き場を見失っていた「何か」が、本来の行き先を見つけるかもしれない。
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