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3話 オレンジと白


創作SM小説 透明な首輪
(2000字)




「あんたなんて全然Sじゃない。」



間接照明からだらしなく広がるオレンジ色の光で照らされた天井の下、女は向かい合う男から視線逸らし、吐き捨てるように言った。
ラブホテルのシーツの上には男がネットで購入した安っぽいプラスチックの手錠セットと女が顔からむしり取ったばかりのアイマスクが落ちている。

男は、たった今まで従順に自分の指示に従っていたはずの女の態度の変わりように、不覚にも動揺をしてしまい何も言葉を返すことができなかった。

ベッドから降りて床に散らばった服を手繰り寄せて着替えを始める女と、ベッドの上で裸のまま避妊具のついたものをダラリとぶら下げた膝立ちの男。
男の人生の中でもとびきりの情けない姿だった。
そんな状況を許容し得る男は、女の言う通りサディストとは言えないであろう。



「ただ女を乱暴に抱きたいだけの男よ。」




部屋から出る瞬間に女から発せられた言葉とドアを閉める音が男の背中を追撃するように響いた。






「パパ、前に詰めないと。」


小声で囁く娘の声でTは我に帰った。
同時に、少し前に流行った曲をジャズでアレンジした洒落たBGMが賑やかに鳴り、ナチュラルな木目調の壁紙がふんだんに使われた真新しい店内をウキウキとした表情で行き交う人々が目に入る。

Tは郊外にできたばかりの大型商業施設の一角にある雑貨店のレジの行列に娘と並んでいるのだった。

Tが所長室に呼び出された日、外出先から事務所に戻ると所長は外出しており、その翌日には県外へと出張に行ってしまった。わざわざTから電話して用件を聞き出すこともなく、所長からも特に連絡や指示はないため、あの話の続きは宙ぶらりんとなったままだ。結局、Tと所長は顔すら合わせることがないまま週末を迎えた。

Tはその週末に娘の香奈の買い物に付き合う約束をしていた。
香奈は新しいスマホケースを買いに、オープンしたばかりのショッピングモールに行きたいとTにねだった。そんなもの友人と近所の店でいくらでも買えるだろうとTは思ったが、新しいもの好きの香奈はこの店に来ること自体が目的らしい。
免許を取り立てで運転に自信のない娘のドライバー役をTはおおせつかったのだった。

スマホケースだけではなく他にも細々としたものをついでだからと欲しがり、きっと昼食は女性客ばかりのカフェでこじんまりとした皿に色とりどりのおかずがほんの少しずつ盛られたランチプレートを注文し、あれこれと撮影してはSNSに写真をあげるのだろう。ミーハーな一人娘の魂胆は目に見えていた。

しかし、Tとしても娘の方から誘ってくれることは嬉しく、地元客や同僚との話題のためにも最新の人気スポットを抑えておくのも悪くないと思い、週の半ば頃からは休日のお出かけを楽しみにしていた。
Tは妻にも一緒に行くかと声をかけたが、「人の多いところは嫌よ。」と一蹴され、週末の父娘デートをすることになったのだった。

案の定、香奈はすぐにはスマホケース探しには向かわず、フロアガイドを手にしながら店内の散策を始めた。そして人混みの中、1時間以上もモール内を歩いて複数の店舗をのぞいた後に、ようやくスマホケースやアクセサリ類を販売する専門店にたどり着き、膨大な数のケースを物色してシルバーの華やかな飾りのついた薄ピンク色のケースをカゴに入れたのだった。

専門店のレジの前も大変な行列だった。この行列に並ぶくらいなら品番を見てその場でネットで注文すれば明日には届くとTは主張したが、香奈に「そんなの意味ないじゃん。」とあっさり却下されてしまった。
同じものなのに……と呟くTの前をずんずんと香奈は歩き、行列の最後尾に並んだのだった。
何が意味がないのかはTには分からなかった。

会計をするために香奈と行列に並んだTは、退屈しのぎに店内を見回した。広い店内は客が商品を手に取りやすいよう、低い棚ばかりが並んでおり視界を遮るような壁はほとんどなかった。背の高いTは遠くまで見渡すことができたが、特にこれと言って目を引くものはなかった。
横に並ぶ香奈はスマホのメッセージアプリを立ち上げ、新しい店に来たことを超高速の指使いで友人に報告していた。

じわじわと進む行列に並びながら、Tは5メートルほど離れた場所にある商品棚の前でうずくまる女性の後ろ姿に気づいた。
紺色のベストに白のシャツの制服を着た女性はこの店の従業員で、商品の入ったカートを脇に置き、棚の一番下の列に商品を補充していた。

かがみ込んだ女性の紺色のタイトスカートに包まれた尻が揺れている。
そのことに気づいたTはあまり見ていては女性に対して失礼だと思い、目を逸らそうとした。ちょうどその瞬間、女性は陳列作業を終えて立ち上がり、別の商品棚へと向かうためにカートを押し始めた。


蛍光灯よりも明るい真っ白なLEDに照らされた眩しい店内で、その女性の顔を見たTは小さく息を止めた。


それはあのオレンジの灯りの下、Tに辛辣な言葉を浴びせた女の横顔だった。



4話へ続く


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