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最後に虹を描いた、満ち足りた人生

前回に続き、アメリカの国民的画家、グランマ・モーゼスのお話です。

南部でも何度か転居して仕事も変わる中、
モーゼス夫妻は10人の子供を産み育てます。
(5人は夭折)

自分たちの農場を持つようにもなり、
モーゼス夫人となったアンナ・メアリは、
大忙し。

それでも、家事や子育てだけでなく、
自分で作ったバターやポテトチップを売り、
自ら積極的に収入を得ることに励みます。

すごいと思うのは、近所のお店で
少量買い取ってもらうところから始めても、
好評を得て生産量を増やし、
後には販路も拡大していくこと。

「わたしはしじゅう独立独歩で
いたかったもので、
ただじっとすわって、
トーマス(夫)がくれるお金だけで
やりくりするなど
考えただけでも、ぞっとしたものでした。」

彼女は自らを負けず嫌いと呼びますが、
精神的なものだけでなく、
まさにその気質通りに行動していたのです。

その後、夫のたっての希望で、
一家は南部を離れて北部の故郷へ。

1909年、彼女が49歳の時、
両親を相次いで亡くします。
(「父は母より20歳も年上でした」
とありますが、当時でもそこまで
歳が違うことは珍しかったのでは?)

両親の晩年にその側で暮らせたことは
両親にとっても、彼女にとっても
幸せだったのでは。

そして、時代は変わり、
1913年にはモーゼス家でも車を買い、
1913年には初めて街灯を目にし、
1914年には初めて映画を見て、
1930年代後半にはモーゼス家の中でも
電灯が灯るようになります。

アンナ・メアリの子供達は
どんどん大きくなり、
家を離れて学校に行く子も出てきますが、
彼女はそんな子供のために
パンやケーキを作っては
せっせと小包を送るのです。

そして、弟の妻が若くしてなくなると
残された子供達のうち、
最年少の赤ちゃんを引き取り、
彼女がお嫁に行くまで娘のように育てます。

彼女の自伝を読んでいると、
働き通しのようですが、
彼女はその状態が幸せだったのでは、
と思うのです。

1927年の1月には、約40年連れ添った夫、
トーマスが心臓麻痺で突然亡くなります。

そして、1932年のクリスマスには
娘、アンナが
幼い娘2人を残して亡くなってしまうのです。

前回も書いたように、
娘の夫が再婚するまでの2年間、
まさに70代のおばあちゃん(グランマ)
になっていたグランマ・モーゼスは
孫たちの世話をして過ごします。

この後、リューマチを患って
刺繍絵を作れなくなってから
グランマ・モーゼスは絵を描くように。

次第に画家として有名になり、
忙しくも幸せに過ごしていた1949年のある日、
今度は末息子のヒューが突然亡くなります。

息子の死を聞かされて
89歳のグランマ自身が
大きなショックを受けたはずなのに、
彼女が最初にしたことは、
息子の嫁、ドロシーのところに行って
慰めることでした。

なんて強い人なのでしょう。

この嫁は、
最後までグランマの世話をしてくれます。

1952年に出版された自伝の中で
グランマ・モーゼスはこのように語っています。

「名声のことなんて、
あまり考えたことはないのですよ。
それより、この次何を描くのかを考えています。
しなければならないことがうんとあるんですもの。」

「もし絵を始めなかったとしたら、
わたしは鶏の飼育でもやりだしたのではないかと思います。
今からだって、できると思いますよ。
わたしは、揺り椅子に座って誰かの世話を待っている生活なんて、
大嫌いなんです。」

この本の出版時には彼女は90代になっていましたが、
独立独歩の凛とした精神は、
なお盛んです。

そして、この本は次のように結ばれています。

「思い返してみると、わたしの生涯というのは、
一生懸命に働いた1日のようなものでした。

仕事は遂行され、わたしは充足を感じます。
わたしは幸福で、満足でした。

わたしはそれ以上のものも知らなかったし、
人生がくれたものを最大に享受しました。

そして、人生とは、
わたし達自身が創るものなのです。

常にそうであったし、
これからもそうあり続けることでしょう。」

展覧会にも展示されていたグランマの絶筆は「虹」。

青々とした緑の農場で働く人々の上に
大きな虹がかかる、明るい絵です。

彼女の満ち足りた人生を示すようなこの絵からは、未来への希望も伝わってくるようです。

「最後にこの絵を描けるくらい、
素晴らしい人生を過ごしたのです」、
と言葉ではなく絵で示されたようでした。

グランマ・モーゼスの作品を楽しんだ後、
彼女の人生を知り、
感嘆するとともに、
励まされる思いでした。

今回も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

*この写真の本の表紙が
グランマ・モーゼスの絶筆「虹」です。

なお、この本は「自伝」ではなく、
日本でグランマ・モーゼスが今日のように
広く知られるようになるまでを記した本で、
こちらも興味深く読みました。

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