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紅花を愛し、守り続ける人々 映画「紅花の守人 いのちを染める」

山形の紅花といえば、スタジオジブリの映画「おもひでぽろぽろ」で主人公のタエ子が姉の嫁ぎ先の山形県・高瀬で紅花摘みをしていたのを覚えている方も多いでしょう。

わたしは紅花についてほとんど知らなかったのですが、あの紅花の可愛らしい花や染物の美しさには惹かれていて、山形の紅花についての映画が公開されると聞いて楽しみにしていました。 

その映画は、現在東京・東中野の「ポレポレ東中野」で上映中の「紅花の守人 いのちを染める」。

この映画は山形出身の佐藤広一監督が山形の紅花農家の方から紅花の映画を作って欲しいという依頼を受けたことから始まったのだとか。

約4年の撮影中には最終的にどうなるかわからなかったそうですが、監督には
「この映画は紅花の映画の決定版にしたい」
という思いがあり、ナレーションは「おもひでぽろぽろ」で主人公タエ子を演じていた歌手の今井美樹さん、

劇中歌は、山形出身のシンガーソングライター、朝倉さやさんが担当されています。

映画の冒頭では、朝倉さやさんの歌う山形民謡「紅花摘み唄」とともに、美しい紅花畑の映像が広がります。

そして、ベテランの紅花生産者、片桐いささんが手際よく紅花の花を摘み取っていくのですが、後で小学生や一般の方が紅花摘み体験をする時、「痛い痛い」と痛がるのを見て、片桐さんのベテランぶりがよくわかるのです。

シルクロードをたどって日本にやって来た紅花ですが、染物の原料として今も生産され続けているのは現在では日本だけ。

欧米では「safflower(サフラワー=紅花)」といえば、染料ではなく紅花油の原料として認識されているのだそうです。

この映画を見て紅花を育てるのに、いかに手間暇がかかるか、わたしは初めて知りました。

大切に山形で育てられてきた紅花ですが、戦時中は食料増産政策のために栽培が禁止され、ある農家がこっそり残しておいた種もねずみに食べられてしまい、一時は紅花は山形から消えてしまったのだとか。

でも、終戦後数年経ってからある農家に奇跡的に残っていた紅花の種が発見され、その種から山形の紅花が復活したのです。

そんな運命を辿った山形の紅花ですが、山形はあくまで紅花の生産地。

加工して染物や紅に仕上げるのは江戸や京都など、他の地域でした。

ですから山形の紅花商人は船で最上川を、または西回り・東回り航路を通って紅花を運び、商売をしていたのです。

そして、その帰路には山形の人たちの生活用品を仕入れて山形でまた商売をしていたので、その商売の仕方は鋸の刃のように往復両方で稼ぐという意味で「のこぎり商い」と呼ばれていたのだとか。

でも、遠路はるばる紅花を運ぶ間のリスクを負うのは、買い手ではなく売り手である山形の紅花商人。

資本力がなければとてもできない商売で、現在の山形の企業の中には紅花商人の末裔も珍しくないのだそうです。

また、江戸時代当時、紅花を運ぶルートとなった最上川周辺に、京都や江戸の文化が伝わったことがきっかけでひな祭りの文化が広がったと言われています。

それに加えて、映画の中ではある研究者の方が
「紅花はとても高価なもので紅花を育てた紅花農家では娘に紅花染の着物を着せてやりたくても着せてやれず、せめてもという思いで(紅花染の衣装の)雛人形を買い与えた」
ということを話されていて、なるほど、と思いました。


なぜそこまで紅花が珍重されたのか。

天然色工房の店主、青江正明さんは紅花の最大の魅力は「その色」だと言います。

紅花染は日光に弱く、洗濯にも弱く、染め方も特殊な方法なので手間がかかるのだとか。

そんな、
「わがままで、繊細で、手がかかるけれど飛び切りかわいい女の子」
のような紅花の色の魅力にみんながやられてしまうのだ、と青江さんはおっしゃるのです。

この映画のタイトルは「紅花の守り人」ですが、紅花は生産する人だけでなく、それを使って染める人も、その染める技術を使って商品を作る人も、美しい紅花染を作るための「鳥梅(うばい)」(完熟した梅を燻蒸して乾燥させたもの。紅花染やお化粧用の紅を作るときの媒染剤として利用される)を作る人もいて、守られているのです。

それぞれの方達がどんな思いで紅花と向き合っているのかも切々と伝わってくる映画でした。

上映後には佐藤広一監督と劇中歌を歌った朝倉さやさんのトークショーも行われたのですが、そのお話はまた次回に。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

*吉祥寺ではこの週末、三年ぶりの秋祭りが開催され、賑わっていました。

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