お互いを思いあう、家族の絆
コロナだけでも大変なことになっているのに、記録的な雨の被害。
被害を受けている地域の皆様の無事をお祈りしています。
この週末は勉強したり、本を読んだりして過ごしています。
鎌田實先生の
「『がんばらない』を生きる」(鎌田實、中央公論新社)は鎌田先生が人生を振り返った新聞の連載記事が加筆・書籍化された本です。
鎌田先生のご家族のお話や諏訪中央病院での医師としてのお仕事、
「日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)」の設立と活動など、
読みながら様々なことを考えさせられます。
特に印象深かったのは、ご家族のこと。
鎌田先生のお母様のお母様は若い頃からある大病をされていて先生が小さい頃も長く入院されていたのですが、名医との出会いもあり、次第に日常生活が送れるようになっていました。
そんなお母様が東京から鎌田先生が医師として働く長野に遊びに来ていた時、脳梗塞で突然倒れてしまいます。
倒れた時から重症で、鎌田先生のお父様も東京から駆けつけます。
鎌田先生の大学時代からのお友達が主治医となり、先生も一緒に治療をしますが、2週間後にはお母様は脳死の一歩手前の状態に。
主治医からも「もうだめだぞ」と言われ、鎌田先生もお父様にそのことを伝えると、お父様も一度は
「そうか、お前がそう言うなら仕方ない」
と受け入れるのですが、延命治療についての考え方は親子で全く異なったのです。
どうしたら良いか迷いに迷った末に、大好きなお母さんだからこそ、人工呼吸器は装着せず、せめて楽に送ってあげたい、と考えた鎌田先生。
「人工呼吸器につなげば、1週間は生きられるかもしれない。
でも、もう終わりにしてあげようよ」
それを聞いたお父様はこう叫びます。
「母さんが助からないことは、素人の俺にだってわかる。
でも、お前のいちばん大事な人だろ!
1秒でも長く生きてもらいたいじゃないか!
少しでも長く生きられる方法があるなら、
なぜやらない!
俺は、そんなつもりでお前を医者にしたんじゃないぞ!
母さんにできるだけのことをしてやってくれ!
全力でやってくれないか!」
鎌田先生はお母様には申し訳ないと思いつつ、これまで必死に働いてお母様を支えてきたお父様の思いを遂げさせてあげることに。
もしお母様に意識があれば
「助からないのに、そんな痛いことはやめておくれよ」
と言うことも、それでも
「お父さんがそう言うなら、ミノルちゃん、そうしてあげよう」
と言うのでは、ということもわかっていたからです。
お母様に人工呼吸器を装着してからの1週間、お父様はお母様につきっきりで過ごします。
そして、お母様が亡くなった時、お父様は
「よくやった。
母さんも満足だと思うけど、俺も満足だ。」
と鎌田先生をはじめてほめたのだとか。
その言葉を聞いて、鎌田先生は号泣されたといいます。
父の妻に対する愛と、息子の母に対する愛。
お母様の延命治療についての考え方の違いは、異なる形でのお母様への愛情の現れでした。
「死」、そして「延命治療」(ほぼ脳死となった状態で)についての考え方は、人によっても、立場によっても違い、お医者さまが患者さんの最期に関わる時にはどうしたら良いかは患者さん一人一人違うのでしょう。
「多様な人生観を受け止めて、最良の答えを相手といっしょに探す努力をしなさい。
それが、母からぼくへの遺言だったのかもしれません。」
そして、ご両親と強い絆で結ばれた鎌田先生は、実は「もらい子」でした。
その事実を知ったのは、お母様が亡くなって数年後。
たまたまそのことを知ってしまった鎌田先生は奥様がその事実を知っていたことにさらに驚きます。
実は、奥様は結婚する前に鎌田先生のお父様に呼ばれ、そのことを知らされていました。
「本人にはわからないようにしてくれ」
と言われて、奥様は市役所の手続きなどはいつも自分でしていたのです。
(結婚前は戸籍に関わる手続きは全てお父様がされていました)
そして、鎌田先生に
「岩さん(お父様のこと)、秘密を守ろうとして必死なの。
岩さんの気持ちをわかってあげて。
ミノくんのことがなによりも大切なの。
芝居でいいから知らないふりをして。
それが岩さんのためだから!」
お父様は最期まで、鎌田先生に事実を告げず、晩年を鎌田先生ご一家と過ごされます。
亡くなった時には忙しい鎌田先生を気遣ってか、遺影も、お墓も、お寺も、戒名も、亡くなった時の新聞に載せる自分の略歴まで全て自分で準備されていたとか。
鎌田先生が養子となった経緯はわからないままだったそうですが、この本を読んでいてお互いを思いあう温かい家族の絆を何度も感じました。
今日はお盆の最終日。
お墓参りに行けなくても、手を合わせて感謝の気持ちを伝えると、思いは届くと言います。
「ご先祖様、いつも守ってくださって、ありがとうございます。」
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
どうぞお気をつけてお過ごし下さいね。
*今日は終戦の日。
今朝の新聞には
「裏口を開けて子を待つ敗戦忌」
と言う読者の俳句が。
この句の作者の叔母さまは、特攻隊員だった息子さんの戦死の知らせの後、戦争が終わってからも何年もの間、夜も鍵をかけずに息子さんを待ち続けていたそうです。
*昨日、実家の両親から
わたしの好きな六花亭のお菓子が届きました。
東京がこんな状況になっているので、心配して送ってくれたようです。
幾つになっても、親心はありがたいです。
カフェで書き物をすることが多いので、いただいたサポートはありがたく美味しいお茶代や資料の書籍代に使わせていただきます。応援していただけると大変嬉しいです。