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渡米後のアリス 「映画はアリスから始まった BE NATURAL」

少し間が空きましたが、ドキュメンタリー映画
「映画はアリスから始まった BE NATURAL」
(2018年米国映画、パメラ・B・グリーン監督)
のお話です。

世界初の女性映画監督となったアリス・ギイは次々と映画を撮影。

次第に、文芸小説の翻案や300名以上の出演者を使って屋外ロケとスタジオ撮影を行い、大規模な作品も制作するなど大活躍していたのですが、1906年に同じ業界で出会った英国人のブラシェと結婚してアリス・ギイ=ブラシェとなり、渡米します。

米国映画はまだまだ黎明期。

アリスは長女を出産後に仕事に復帰、夫と共に映画会社「ソラックス社」を設立し、スタジオも建設します。

ところが、米国ではまだ映画の撮影方法に詳しくないスタッフも多く、アリスが二重写しのマスキングなどの撮影方法を教えるとカメラマンに尊敬されたとか。

そのような撮影技術を駆使したアリスの作品は米国でも高く評価されます。

そして、その頃はまだ世界で最初の、そして唯一の女性監督だったアリスは毎週のようにメディアの取材も受けていたのだとか。

そんなアリスは孤児院やホスピス、アヘン窟や刑務所を訪問するなど、社会の陰の部分の取材も続け、児童労働など社会問題を扱った作品も作ります。

1912年には世界初めてのオール・ブラック作品(出演者全員がアフリカ系米国人の作品)「愚者とお金」を製作。

ヒッチコック監督も
「彼女の作品には影響を受けた」
と話していたそうです。 

アリスは長男を出産した後も仕事を続けるのですが、アリスの長女・シモーヌは子供の頃、母が仕事で不在がちだった、と話していました。

こうして全身全霊で映画製作に打ち込んでいたアリスでしたが、いくつもの要因が重なって、図らずも彼女は映画製作から離れることに。

米国で映画が産業として大きく成長していく中で映画会社・関係者間の力関係も変わっていきます。

また、映画産業が巨大な富を生むようになると男性が主要な地位を独占していく流れもあり、アリスはどんどん仕事がしにくくなるように。

戦争も起こり、社会も大きく変わっていきます。

夫の心がわりもあり、一緒に仕事をすることはあったものの、夫妻は別居。

さらに、夫が株で大損をして会社も倒産。

アリスは1920年頃には監督業から身を引き、離婚して2人の子供を連れてフランスに帰国。

かつてアリスが活躍したフランス映画界にもすでに彼女の居場所はなくなっていました。

それどころか、かつて彼女が在籍した会社の記録からも彼女の名前はなくなり、彼女の監督作品が別の男性監督の作品として社史に記録されていたのです。

1922年の世界恐慌の影響も受け、アリスはフランスの親族の助けも受けつつ、再び映画作りをしたいと願いながらも、持ち物を売ったり、執筆や翻訳、

字幕作りなどをして子供たちを育て上げます。

かつて映画製作の最前線で活躍していたアリスが、映画に携わることもできず、それどころか映画界から忘れ去られたようにひっそり暮らすことは、どれだけ辛かったでしょう。

やがて、アリスが10代で働き始め、母を養ったように、今度はアリスの娘・シモーヌが働き続け、後にアメリカ大使館の仕事を得て、アリスは転任する娘とともに何度か移転しながら暮らすように。

そうして娘の転任とともに移り住んだスイスでアリスは回想録の執筆を始めます。

アリスとシモーヌはかつての監督作品が残っていないか探し続けましたが、見つけることはできませんでした。

そうしてひっそりと暮らしていたアリスが再び注目されるようになったのは1995年のこと。

彼女の活躍を知る友人たちやシネマテーク・フランセーズの尽力で、アリスは映画のパイオニアとしての功績を認められ、レジョン・ド・ヌール勲章を授与されたのです。

それからはメディアの取材を受けるようにもなりますが、病を得て闘病ののち、1968年に94歳で亡くなります。

娘のシモーヌ曰く、アリスは晩年まで
「必ずわたしの作品を探し出す」
「いつかまた映画を取りたい」
と話していたとか。

アリスが書きためていた回想録はなかなか出版先が見つからず、ようやく死後になって彼女の回顧録が(邦題「私は銀幕のアリス」)が出版されました。

わたしがこのドキュメンタリー映画を見た日は上映後に社会学者で東京大学名誉教授の上野千鶴子さんのトークショーもありました。

長くなりましたので、続きはまた次回に。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 

*花の写真は前回記載した東京都庭園美術館で開催中の蜷川実花「瞬く光の庭」のものです。(撮影可能エリア)

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