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「鬼滅の刃」から学ぶ、武士道精神①

こんにちは!yukiです。

「鬼滅の刃」刀鍛冶の里編、盛り上がってますねー!

さて先日、新渡戸稲造著の『武士道』を読んでみました。

すると、
「鬼滅の価値観って、ここから来てたのかー!」
といろいろ発見がありました。

「鬼滅の刃」には、
“日本人の心に響く価値観”
がたくさん盛り込まれているのです。

日本古来の武士道の価値観を知ることで、
鬼滅をエンタメとして楽しみながらも、
より深い見方ができるのでもっと楽しくなりますよ!

本記事では、

・武士道の価値観と、炭治郎が持つ「徳」

について書いていきますね。

※画像は公式HPからの引用です


武士道の価値観

炭治郎

炭治郎って、めっちゃ魅力的なキャラですよね。

前向きで、思いやりがあって、
意志が強くて、努力家で、無欲。
ときには落ち込んだり、深い葛藤を抱えて、人間味もある。

そんな炭治郎ですが、
武士道で重要とされる価値観を兼ね備えているのです。

ここからは、
その武士道で重要とされる価値観について、
簡単に説明しますね。

武士道って?

武士道とは、
「武士が守るべき掟」
として受け継がれてきた考え方・生きる道です。

男性だけのものではなく、
女性にもその姿勢が求められたようです。
鬼滅でいうと、煉獄さんのお母さんのような感じですね。

さらに、武士道精神は、
武士階級だけのものではありませんでした。

武士道精神を宿した物語は民衆に伝わり(例えば「桃太郎」)、
やがて武士道は、
日本人にとっての“理想の姿”
になっていったそうです。

そんな武士道で大切にされる価値観が、
「仁」「義」「勇」「礼」「誠」
です。

それぞれ見ていきましょう。

「仁」

「仁」とは、愛、寛容、憐れみの心、といったものを意味します。

「仁」は、人間の魂がもつあらゆる性質のなかでも、
“至高の徳”とされてきたそうです。

炭治郎の人間性の根幹にあるのは、「仁」ですね!

一方で、武将・伊達政宗(だてまさむね)が言ったとされる、

「義に過ぎれば固くなる、仁に過ぎれば弱くなる」

という言葉があります。

優しく柔和で女性的な徳である、「仁」
でもそれだけでは、武士は務まらないのです。
「仁」とは反対に、厳格で男性的な徳が、「義」です。

炭治郎は、初め、「仁」に過ぎた状態でした。
下記は、炭治郎に出会った時の
師匠・鱗滝さんのセリフです。

「ああ、この子はだめだ…
思いやりが強すぎて決断できない。
鬼を前にしても優しさの匂いが消えない。
鬼にすら同情心を持っている」

炭治郎は、その後の修行で「義」を身につけていきます。

次は、そんな「義」を見てみましょう。

「義」、「勇」

「義」は、
卑劣・不正な行動をしないことであり、
死をも恐れず正義を遂行する精神のことであり、
厳格で男性的な徳です。

一方の「勇」は、
不屈、勇敢、大胆、勇気といったものであり、
“正しきことを為す力”といわれます。

なお、「勇」は、
「義」のために使うときのみ価値が生まれるといわれます。

例えば、無謀な勇気による価値のない死は、
「犬死(いぬじに)」として蔑まれました。

武士にとっては、
生きるべき時に生き、死ぬべき時に死ぬことが、
真の勇気である
といわれたそうです。

さて、もともと「仁」が強かった炭治郎は、
兄弟子ともいえる錆兎との修行で
「義」「勇」を身につけて、
鬼と戦えるようになったといえるでしょう。

兄弟子・錆兎の放つセリフは、まさに「義」「勇」。

「うるさい。男がわめくな、見苦しい。
どんな苦しみにも黙って耐えろ。お前が男なら、男に生まれたなら」

「進め!男なら、男に生まれたなら、進む以外の道などない!
かかって来い!お前の力を見せてみろ!」

現代の価値観と比べてしまうと、
パッと見、古くさいような感じもしますが…

しかし男性の皆さん、
もし自分がこう言われたら、反応してしまいませんか?笑

(そういえば、水柱・冨岡さんの名前は“義勇”ですね!)

「礼」、「誠」

「礼」とは、
他を尊重し思いやる気持ちが
外に現れた結果としての、“礼儀”です。

他者への思いやりの感情で動くことが「礼」なので、
それは時に同情にもなります。
つまり、「泣く人とともに泣き、喜ぶ人とともに喜ぶ」
ということでもあるのです。

まさに炭治郎の人格そのものですね!
彼は憤る時もありますが、
あくまで「義」のためにしか怒りません。

そして「誠」
これは正直であること、
つまり卑怯な嘘をついたりごまかしたりしないことです。

作中で、蟲柱・胡蝶しのぶさんはこう言います。

「鬼は嘘ばかり言う。
自分の保身のため、理性も無くし、むき出しの本能のまま人を殺す」

鬼は、生き残るためにどんな卑怯な手も使う。
鬼殺隊のもつ武士道的な価値観と明確に対比されています。

炭治郎という人物像


ここまで、武士道で重要とされる徳を見てきましたが、
炭治郎は若いのに徳が高い人物ですね…!

さて、ここからはちょっと話がズレます。

物語を作る際、それらの「徳」の枠を出ない範囲なら、
作者さんは炭治郎に何をさせてもいいのです。
落ち込ませても、コメディ要素を入れても、キャラが崩れることはありません。

一方で、この枠から出た場合は、
人物像に一貫性を感じられなくなります。

一貫性が無くなる瞬間

例として、
遊郭編の終盤、鬼と死闘を繰り広げているワンシーンを取り上げますね。

強すぎる鬼・妓夫太郎(ぎゅうたろう)の攻撃により、味方は全滅。
町は崩れ、辺りは火の海です。
ただ一人無事だった炭治郎の前に、妓夫太郎が立ちはだかります。

「お前、みっともねえなああ。」
弄ばれ、罵られ、屈辱を味わう炭治郎。
見ていて息が詰まるほど、絶望的なシーンです。

(これ、いったいどうなっちゃうの?!
まあ、さすがに誰か助けに来るか…)
そう思っていたのですが、予想外なことが起こります。

炭治郎は、妹を抱えて走って逃げたのです。
しかも、あえて格好悪い感じに描写されています。

「土壇場で心が折れたのか!
みっともねえ!お前は本当にみっともねえなああ!!」
と妓夫太郎は笑います。

追ってくる妓夫太郎に、必死で泥臭い抵抗を続ける炭治郎。

この時、自分の心にモヤモヤとした違和感が生じました。
それは、炭治郎が持っていたはずの
「義」「勇」が欠け落ちたように描かれているから。
これまで炭治郎に抱いていたイメージにヒビが入っているのです。
武士道的にいうなら、「臆病者」というレッテルが貼られてしまった感じ。

それまでに形成されてきたイメージがあるので、
つい「そこは逃げないで欲しかった…!」と感じてしまったのです。

結局、実は炭治郎には策があって、
あえてそういう行動を取っていたことが分かります。
そこからは、イメージの一発逆転。

ものすごい勇敢さと機転が描かれ、
「超マイナスイメージ→超プラスイメージ」
という変化が起こるのです。
そりゃもう、夢中になってしまいます笑

さて、これを無理やり現実の学びにつなげます。

「抱いていたイメージにヒビが入って幻滅した」
「そこは◯◯してほしかった…」
こういうことは、現実世界でもありがちです。

リアルでも、オンラインでも、
必要以上に自分を良く見せてしまうと、
イメージの維持に悩まされることにもつながりますよね。

適度なバランスを保ちつつ、
少しずつ自分を成長させて、
理想に近づいていければいいかなと思っています。

鬼殺隊の個性

ここまで見てきた、
「仁」「義」「勇」「礼」「誠」
という武士道の重要な価値観。

この観点で鬼殺隊のキャラクターを見てみると、楽しいです。
炎柱・煉獄さんなんて、まさに武士道の人ですね!

どれかの要素が欠けている人も多いのですが、
欠けているからダメというのではなくて、
それが個性と多様性を生んでいるんですよね。

さらに、
その欠けているピースが埋まっていく
ような描写が多いのも面白いです。

“柱”の皆さんなんて、
初見だとけっこう悪いイメージになるように描かれてます。

しかし、だんだんと欠けている要素が埋まっていくので、
「素晴らしい人だ!好き!」ってなっていくんですね。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今度「鬼滅の刃」を見るときは、ぜひ武士道精神にも注目してみてくださいね!

それでは、今日も良い1日を!



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