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「鬼滅の刃」から学ぶ、武士道精神①
こんにちは!yukiです。
「鬼滅の刃」刀鍛冶の里編、盛り上がってますねー!
さて先日、新渡戸稲造著の『武士道』を読んでみました。
すると、
「鬼滅の価値観って、ここから来てたのかー!」
といろいろ発見がありました。
「鬼滅の刃」には、
“日本人の心に響く価値観”
がたくさん盛り込まれているのです。
日本古来の武士道の価値観を知ることで、
鬼滅をエンタメとして楽しみながらも、
より深い見方ができるのでもっと楽しくなりますよ!
本記事では、
・武士道の価値観と、炭治郎が持つ「徳」
について書いていきますね。
※画像は公式HPからの引用です
武士道の価値観
![炭治郎](https://assets.st-note.com/img/1686204598184-kgkh2TCaSP.png?width=800)
炭治郎って、めっちゃ魅力的なキャラですよね。
前向きで、思いやりがあって、
意志が強くて、努力家で、無欲。
ときには落ち込んだり、深い葛藤を抱えて、人間味もある。
そんな炭治郎ですが、
武士道で重要とされる価値観を兼ね備えているのです。
ここからは、
その武士道で重要とされる価値観について、
簡単に説明しますね。
武士道って?
武士道とは、
「武士が守るべき掟」
として受け継がれてきた考え方・生きる道です。
男性だけのものではなく、
女性にもその姿勢が求められたようです。
鬼滅でいうと、煉獄さんのお母さんのような感じですね。
さらに、武士道精神は、
武士階級だけのものではありませんでした。
武士道精神を宿した物語は民衆に伝わり(例えば「桃太郎」)、
やがて武士道は、
日本人にとっての“理想の姿”
になっていったそうです。
そんな武士道で大切にされる価値観が、
「仁」「義」「勇」「礼」「誠」
です。
それぞれ見ていきましょう。
「仁」
「仁」とは、愛、寛容、憐れみの心、といったものを意味します。
「仁」は、人間の魂がもつあらゆる性質のなかでも、
“至高の徳”とされてきたそうです。
炭治郎の人間性の根幹にあるのは、「仁」ですね!
一方で、武将・伊達政宗(だてまさむね)が言ったとされる、
「義に過ぎれば固くなる、仁に過ぎれば弱くなる」
という言葉があります。
優しく柔和で女性的な徳である、「仁」。
でもそれだけでは、武士は務まらないのです。
「仁」とは反対に、厳格で男性的な徳が、「義」です。
炭治郎は、初め、「仁」に過ぎた状態でした。
下記は、炭治郎に出会った時の
師匠・鱗滝さんのセリフです。
「ああ、この子はだめだ…
思いやりが強すぎて決断できない。
鬼を前にしても優しさの匂いが消えない。
鬼にすら同情心を持っている」
炭治郎は、その後の修行で「義」を身につけていきます。
次は、そんな「義」を見てみましょう。
「義」、「勇」
「義」は、
卑劣・不正な行動をしないことであり、
死をも恐れず正義を遂行する精神のことであり、
厳格で男性的な徳です。
一方の「勇」は、
不屈、勇敢、大胆、勇気といったものであり、
“正しきことを為す力”といわれます。
なお、「勇」は、
「義」のために使うときのみ価値が生まれるといわれます。
例えば、無謀な勇気による価値のない死は、
「犬死(いぬじに)」として蔑まれました。
武士にとっては、
生きるべき時に生き、死ぬべき時に死ぬことが、
真の勇気であるといわれたそうです。
さて、もともと「仁」が強かった炭治郎は、
兄弟子ともいえる錆兎との修行で
「義」「勇」を身につけて、
鬼と戦えるようになったといえるでしょう。
![](https://assets.st-note.com/img/1686220109502-xjEvCshGhA.jpg?width=800)
兄弟子・錆兎の放つセリフは、まさに「義」「勇」。
「うるさい。男がわめくな、見苦しい。
どんな苦しみにも黙って耐えろ。お前が男なら、男に生まれたなら」
「進め!男なら、男に生まれたなら、進む以外の道などない!
かかって来い!お前の力を見せてみろ!」
現代の価値観と比べてしまうと、
パッと見、古くさいような感じもしますが…
しかし男性の皆さん、
もし自分がこう言われたら、反応してしまいませんか?笑
(そういえば、水柱・冨岡さんの名前は“義勇”ですね!)
「礼」、「誠」
「礼」とは、
他を尊重し思いやる気持ちが
外に現れた結果としての、“礼儀”です。
他者への思いやりの感情で動くことが「礼」なので、
それは時に同情にもなります。
つまり、「泣く人とともに泣き、喜ぶ人とともに喜ぶ」
ということでもあるのです。
まさに炭治郎の人格そのものですね!
彼は憤る時もありますが、
あくまで「義」のためにしか怒りません。
![](https://assets.st-note.com/img/1686225359370-C31EpYDkJr.jpg?width=800)
そして「誠」。
これは正直であること、
つまり卑怯な嘘をついたりごまかしたりしないことです。
作中で、蟲柱・胡蝶しのぶさんはこう言います。
「鬼は嘘ばかり言う。
自分の保身のため、理性も無くし、むき出しの本能のまま人を殺す」
鬼は、生き残るためにどんな卑怯な手も使う。
鬼殺隊のもつ武士道的な価値観と明確に対比されています。
炭治郎という人物像
ここまで、武士道で重要とされる徳を見てきましたが、
炭治郎は若いのに徳が高い人物ですね…!
さて、ここからはちょっと話がズレます。
物語を作る際、それらの「徳」の枠を出ない範囲なら、
作者さんは炭治郎に何をさせてもいいのです。
落ち込ませても、コメディ要素を入れても、キャラが崩れることはありません。
一方で、この枠から出た場合は、
人物像に一貫性を感じられなくなります。
一貫性が無くなる瞬間
例として、
遊郭編の終盤、鬼と死闘を繰り広げているワンシーンを取り上げますね。
強すぎる鬼・妓夫太郎(ぎゅうたろう)の攻撃により、味方は全滅。
町は崩れ、辺りは火の海です。
ただ一人無事だった炭治郎の前に、妓夫太郎が立ちはだかります。
![](https://assets.st-note.com/img/1686226505529-LDi5j0vFAH.jpg?width=800)
「お前、みっともねえなああ。」
弄ばれ、罵られ、屈辱を味わう炭治郎。
見ていて息が詰まるほど、絶望的なシーンです。
(これ、いったいどうなっちゃうの?!
まあ、さすがに誰か助けに来るか…)
そう思っていたのですが、予想外なことが起こります。
炭治郎は、妹を抱えて走って逃げたのです。
しかも、あえて格好悪い感じに描写されています。
「土壇場で心が折れたのか!
みっともねえ!お前は本当にみっともねえなああ!!」
と妓夫太郎は笑います。
追ってくる妓夫太郎に、必死で泥臭い抵抗を続ける炭治郎。
この時、自分の心にモヤモヤとした違和感が生じました。
それは、炭治郎が持っていたはずの
「義」「勇」が欠け落ちたように描かれているから。
これまで炭治郎に抱いていたイメージにヒビが入っているのです。
武士道的にいうなら、「臆病者」というレッテルが貼られてしまった感じ。
それまでに形成されてきたイメージがあるので、
つい「そこは逃げないで欲しかった…!」と感じてしまったのです。
結局、実は炭治郎には策があって、
あえてそういう行動を取っていたことが分かります。
そこからは、イメージの一発逆転。
ものすごい勇敢さと機転が描かれ、
「超マイナスイメージ→超プラスイメージ」
という変化が起こるのです。
そりゃもう、夢中になってしまいます笑
![](https://assets.st-note.com/img/1686228813158-zg2D4vi3qU.jpg?width=800)
さて、これを無理やり現実の学びにつなげます。
「抱いていたイメージにヒビが入って幻滅した」
「そこは◯◯してほしかった…」
こういうことは、現実世界でもありがちです。
リアルでも、オンラインでも、
必要以上に自分を良く見せてしまうと、
イメージの維持に悩まされることにもつながりますよね。
適度なバランスを保ちつつ、
少しずつ自分を成長させて、
理想に近づいていければいいかなと思っています。
鬼殺隊の個性
ここまで見てきた、
「仁」「義」「勇」「礼」「誠」
という武士道の重要な価値観。
この観点で鬼殺隊のキャラクターを見てみると、楽しいです。
炎柱・煉獄さんなんて、まさに武士道の人ですね!
![](https://assets.st-note.com/img/1686233894614-JqouB3YKEB.jpg?width=800)
どれかの要素が欠けている人も多いのですが、
欠けているからダメというのではなくて、
それが個性と多様性を生んでいるんですよね。
さらに、
その欠けているピースが埋まっていく
ような描写が多いのも面白いです。
“柱”の皆さんなんて、
初見だとけっこう悪いイメージになるように描かれてます。
しかし、だんだんと欠けている要素が埋まっていくので、
「素晴らしい人だ!好き!」ってなっていくんですね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今度「鬼滅の刃」を見るときは、ぜひ武士道精神にも注目してみてくださいね!
それでは、今日も良い1日を!
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