おおきくくくる、ちいさくくくる。
日常を生きていて勘違いや失敗が起こることがある。
その勘違いを誘発するのは見分けがつかない、
【似ている】ことが原因であることが多い。
似ていることで起きる弊害といえば、
シャンプーとリンスだ。
なぜあんなにも似ているのだ。
髪を洗おうと手を伸ばした先に「べた」と半固形のものが手に乗っかる感触を何度味わったことか。
ちゃんと確認すれば良い話なのだが、
それにしても使う人に対して親切ではないと軽い憤りを感じる。
あの横の小さな突起でユニバーサルデザインを謳おうなとど笑止千万である。
実はシャンプーとリンスの容器が似通っているのは企業戦略なのではないだろうか、と考える。
もちろん金型の問題などもあるだろう。
人は同じような物が理路整然と並んでいる姿に感動を覚えると私は考える。
山など自然の観光地などで石が積み上げられているのをみたことがないだろうか?
それは一つ取れば、まさに路傍の小石に過ぎないのだが、
大量の小石が高く積み上げられる姿は、
荘厳で神々しく、なにか誉高いものを見た気持ちになる。
そのように人の心理を読み取った結果なのだろう。
シャンプーとリンス別々の種類を買っている人は少ないと思う。
実際自分が買う時も必ずセットで買う。
つまりはセットで購入させるため、人々のコレクター精神?を利用して購入させる為に、
いかにも「僕たち仲間ですよ!」というアピールをしているのではないのか?
いかにも互いを補い合ってます、という顔をして、
全く別物のくせに同じような姿をしてニコイチ面している物は沢山あるだろう。
そして、同じような姿をしていなくても人の作った括りで括られていることもある。
例えば、白と黒。
モノクロという括りだがなぜか黒、と言われたら白なのだ。逆も然り。
始まりと終わり。
真逆の性質も括ってしまえばなぜか揃えたくなってしまうのだ。
そのように何かを売ったりアピールする時は
何かで括ってしまうのが良いのかもしれない。
自分が地元にいる時は感じることは無いのだが、
都会、東京などにいった時はどうだろう。
そこで福岡出身です!と言われたら何故かその人と仲よくなれそうな気がしないだろうか?
福岡の中であっても自分と馬が合わず上手く付き合えない、苦手な人はいると言うのに。
日本で会っても素通りするような人であろうと、海外で会う日本人とは話してしまう気がする。
人は大きな括りに属したとき、その不安を消すためか、
その次にある小さな括りを見つけて、どこかに属したくなるのであろう。
もし、現在人間が宇宙に進出していて、大量の宇宙人が往来するような時代であったとしたら。
そのマジョリティに潰されないように、
地球人というマイノリティは強い仲間意識を持つことだろう。
と、考えるとだ。
人付き合いでも、大きな括りに属しているという意識が、他人との小さな括りを見つけ、それが人により愛着を持つことができる方法と言えるだろう。
シャンプーとリンスが似通った姿をしているのも、なんとも愛おしく思えてくるではないか。
インスタグラムもよろしくね😊
サポートして頂いた方には足を向けて寝れません