魂のおかわり【体は欲して無くても精神が欲しているコト】
Give my soul another serving.
↓今週のBGM。
カレーはね、おかわりしてなんぼ、
一杯目は腹を満たすため、
二杯目からは魂を満たすためにおかわりしてんだよ。
なんてことを考える。
身体は求めていないのに、魂を満たすためだけにやってしまう行動あるよなぁ。
わたし、アイスクリーム大好きなんですけど、あんなもん全く腹の足しにならんのですよ。甘さと冷たさで感覚を麻痺させてんの。
現実と向き合う五感。
寒くてしょうがないのに、固まったアイスを前歯で掘削する。その冷たさに思わず目を瞑ってしまうこともある。溶け始めたアイスの甘さがゆっくりと広がり、硬く結ばれた口元がゆるむ。
『今、この世界には俺1人とアイスのみが存在している。』
その余韻を吐息で漏らさぬようにゆっくりと飲み込むと同時に、魂の器になみなみと何かが注がれるのだ。
タバコだって、お酒だって、あんだけ身体に悪いと言われてるのに無くならないのだ。
『きっと身体に良くなくても、魂が満たされているのだ。』と思うようにしている。それとは逆に、身体に良いことをしても同じだ。
朝からにがーい野菜をモリモリ食べる。そんなすぐ効果出るはずないのに、
『おれ、身体に気を遣ってんな〜』と満足する。
肉とかケーキの方が美味しさでは上だが、その充足感が『野菜おいしい!!』と錯覚させているのかもしれない。
子供の頃は、野菜なんてこの世から消えてしまえ!と考えていた。だが、健康にいいとか必要な栄養素だと言われると、その知識もまとめて美味しくいただけるようになる。
ラーメンや油物を食べ過ぎで身体を壊すことは聞いたことあるが、野菜が身体に悪かったら、きっと誰も食べんやろと思う。
とはいえ、今では、”野菜美味しい”ってちゃんと思えてる。むしろ油物のほうがキツくなってきてるのだが、その嗜好自体が何かに操作されてるんじゃないのか??と疑ってしまう。
生きていく上で、他人から影響を受けない事は不可能だ。好きな食べ物も、周りの人が美味しいと話していたら、『この感じが美味しいのか』と自分の頭にインプットしてしまう。天邪鬼に『俺は、イマイチだと思うな〜』なんて言っても、周りと同じ感性を持ちたくないという逆張りなのかもしれない。
私がいま望んでいる事は、果たして私自身が望んでいる事なのだろうか?
自分がやりたいと思っている事は、誰かがやっている自分にも出来そうな事。なんて言葉を耳にした事がある。【←自分の妄想かもしれないが】
皆、どこまで自分を自分だと認識しているのだろうか。
頭からつま先までが自分ですか?
お気に入りの物を汚されたら怒る?
じゃあ、自分の所有物まで含めて自分?
もし、家族や仲間、友達を傷つけられたら?
世界と自分の境界をどこに置くかで、人生の豊かさや行動が大きく変わる様な気がする。
私に関わってくれている人や環境も自分ごととして生きていけたら、もっと幸せになれるだろう。
世界から見たら私も小さな細胞であるのと同じように、もし、私の身体の細胞の一つが、こんな妄言を吐いているとしたら、私という世界にどの様に影響を与えるのか楽しみである。
結局は魂の赴くままに、
200年くらい生きたい。
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