日本BGMフィルに見た夢(12) 「Beyond the GameMusic」

■Beyond the GameMusic

 私の手元に、BGMフィルの第一回演奏会で配布されたプログラムがある。
艶のある真っ白な下地に、落ち着いた書体を基本に作られた、シンプルで品の良い小冊子だ。
ゲームの演奏会と聞くと、カラフルな画面写真やイラスト、お城やドラゴンなどのモチーフ、あるいは昔のファミコン時代を連想するようなドット絵やフォントを多用したデザインを想起するかもしれない。

BGMフィルがモノクロを基調とした簡潔なスタイルを選んだのは、あくまでも演奏会の主は音楽であるという姿勢の現れだったのだろう。
つややかな白い紙に力強く印字された表紙をめくり、ページを開いてみよう。
代表理事と音楽総監督の挨拶文が掲載され、隣のページには演奏会に招かれたゲストの紹介が丁寧に書かれている。

ページをめくると本日のプログラムと奏者の紹介。
ずらり並んだ名曲の数々と奏者達の名前を見ながら、観客はこれから始まる演奏会に胸をときめかせていたことだろう。

さらにページを繰ると合唱指導者と「BGMフィルハーモニー合唱団」の紹介。
そして最後には次回コンサートの予告とClub JBPの案内が掲載されていた。

プログラムには管弦楽団の音楽への考え方やセンス、力量、様々な要素が宿る。
手にした人達へ何かを伝えたいという想いが込められているものだ。
プログラムに掲載された、指揮者であり音楽総監督の市原雄亮氏の言葉を紹介したい。

“ご来場、まことにありがとうございます。
2012年7月27日に誕生した日本BGMフィル、本日2013年10月11日が"オーケストラ"として活動を開始する記念日となります。この先、5年、10年と長く活動を続け、多くの方にとって身近で親しまれるオーケストラを目指してまいりますので、どうぞ声援をお願いいたします。
今日は、このスペシャルな場所にいらっしゃった皆様に目一杯お楽しみいただき、心の片隅に残り続けるような演奏ができれば、これ以上に嬉しいことはありません。
伝説はここから、です。”

BGMフィルハーモニー管弦楽団 コンサート2013 Beyond the GameMusic

かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホールに集まった観客達は、演奏会最後の曲が演奏されるその瞬間を待っていた。

「交響曲 アクトレイザー2013」よりAct1,2,3,6

『アクトレイザー』は1990年にスーパーファミコンで発売された。
古代祐三氏が手がけたサウンドはゲームファンのみならず業界に衝撃を与えたという。
音楽で衝撃を与えたゲームは少なくないが、『アクトレイザー』はその中でも異例とも言えるだろう。

作曲した古代祐三氏はゲーム音楽界にとって生ける伝説のような存在だ。
幼少時からピアノやヴァイオリンを学び、音楽的な訓練を受けて育ったという。
あの久石譲氏に師事したということから、その実力は推して知るべしというところだろう。
高校卒業後の10代にして日本ファルコムにて商業作曲家としてキャリアをスタートさせ、『ザナドゥ・シナリオ2』、『ロマンシア』、『ドラゴンスレイヤーIV』、『ソーサリアン』というPCゲームの歴史を形作ってきた名作の数々、そして氏の代表作とも呼べる『イース』および『イースII』の音楽を手がける。

音楽的な実力に裏打ちされた珠玉の楽曲もさることながら、エンジニアとしてハードとソフトを知り尽くした氏ならではのサウンドの素晴らしさに、当時のファンもクリエイターも熱狂し、すでに伝説的な存在となっていた。

やがてフリーランスに転じた古代氏は1990年にまだ誰も知らなかったある新作ソフトの音楽を手がける。
長きに渡ったファミコンの時代が影をひそめ、メガドライブやPCエンジンといった当時の次世代機が覇を競う時代。
満を持して登場したスーパーファミコンが発売されたばかりの頃、綺羅星のような巨大メーカーに比べて、まだ無名といってもさしつかえなかったソフトメーカー「クインテット」が開発したその作品は、ひっそりとした発売だったように記憶している。

当時スーパーファミコンは一時代を築きロングセラー機となったファミコンの後継機として鳴りもの入りで発売されたものの、その性能に関しては未知数だった。「ローンチタイトル」と呼ばれる本体と同時に発売されるソフトの種類も決して多くはなく、まだその実力が十分に知られているとは言えない状態だった。

スーパーファミコン発売のわずかひと月後、たった一本の無名なソフトがゲーム業界を揺るがすような衝撃を与えると、誰が予想しただろうか。

ファイナルファンタジーシリーズの音楽を手がけてきた植松伸夫氏をして「業界内のひとつの事件だった」と言わしめ、開発中だったスーパーファミコン向けの『ファイナルファンタジーIV』はサウンドの見直しをすることとなる。

『アクトレイザー』はまさにゲーム音楽の神話となろうとしていた。

ゲーム評論家として長く活躍されている山下章氏は「『アクトレイザー』のゲーム・カートリッジの中には、間違いなくオーケストラがいる。」と評したという。実際にその音楽を聴くと、金管楽器や木管楽器、弦楽器、打楽器といったオーケストラで使用される楽器の音色がリアルに再現されており、ずらりと並んだ楽器群が小さなカセットの中でオーケストラを編成しているような、見事なサウンドを奏でている。
聴いた人なら誰でも、とりわけ今までファミコンの音源に慣れていた人は特に大きな衝撃を受けただろう。
今でこそ生音そのものに迫るサウンドを聴かせるゲーム機が普通となっているものの、当時はファミコンよりも高性能になったとはいえ、まだ楽器そのものの音、しかもオーケストレーションされた音楽を奏でることは誰もが想像してはいなかった。

本体音源の限界、容量との戦い、ゲーム音楽が越えなくてはならないハードルは無数にあった。
無論、それは『アクトレイザー』にとっても例外ではない。
楽器の波形ループを手作業で時間をかけて作成し、圧縮技術を用いて音の厚みを出す、グラフィック等に費やすマシンパワーを一時的にサウンドに回して豊かな音を奏でる、といった、気の遠くなるような細やかな技術を数多く用いることにより、『アクトレイザー』の素晴らしいサウンドは形作られている。
若きゲームミュージックコンポーザーがどれほどまでの熱情を込めていたかが、時を越えて伝わって来るようだ。
その中には、氏の音楽への情熱だけではなく、エンジニアとしての探究心や好奇心、そして人間としての野心や野望といった気持ちまでが込められているようで、サウンドの一音一音を聴くだけで心が震えてくる。

音楽とはいえ、あくまでもゲームの一部であるBGM。

それまでかもしれない。
しかしながら、音楽やサウンドに数々の夢や情熱、野望が込められたかのような『アクトレイザー』の楽曲の数々は、当時早くも固まりつつあった既存のゲーム音楽への叛逆と言っても過言ではないだろう。
そしてそれはBGMフィルに垣間見える反骨精神にどこか通じるものを感じるのだ。

明言はしていないが、BGMフィルが『アクトレイザー』の楽曲を代表曲にしたいと考えていたことは間違いないと言っていいだろう。

オーケストラを目指したゲーム音楽。
そしてゲーム音楽を演奏するプロのオーケストラ。
これほどまでにふさわしい組み合わせがあるだろうか。

自らの楽曲で大きな何かを越えようとした古代祐三氏。
そして自らの演奏でやはり何かを越えようとするBGMフィル。
時代を超えて両者は重なり、この日新しい神話を作り出そうとしていた。

静寂の中、市原雄亮氏の指揮棒が振られる。
組曲は静謐な神殿の音楽から始まり、やがて壮大なオープニングへと繋がっていく。
ホルンが高らかに鳴り、管楽器が響き、弦が追い、美しいハーモニーを奏でる。

会場を満たす音楽の中から立ち現れるのは、大剣を手に降臨して人類を導く神の勇姿であり、立ち塞がる強大な魔物達、日々の営みの中で静かに祈りを捧げる人々の姿だ。
繊細に、時に大胆にと繰り広げられるオーケストラが聴衆の心を揺さぶり、物語を綴る。
『アクトレイザー』を知る者も知らない者も、神話の始まりを感じ、作品で語られた神と人の物語を音楽を通じて感じることだろう。

コンサートミストレスの小林明日香氏が見事なソロを披露して観客を魅了し、日本BGMフィルハーモニー合唱団が迫力のあるコーラスを見せる、そしてBGMフィル全ての奏者がまさに人生を賭けて磨きあげてきた技術と彼らの中の音楽を観客ひとりひとりに届けていく。
誕生した時には一人の奏者も、名前すらも無かった管弦楽団が、今ここで素晴らしい音楽家達による大陣容で会場を音楽で満たしている。

これを神話と呼ばずに何と呼べるだろうか。

やがて最後の一音がたなびいて消え、盛大な拍手が会場を震わせる。
BGMフィルは越えることができただろうか。
彼らが越えようとしたものを。
鳴り止まない拍手と人々の笑顔、奏者の誇りに満ちた表情が全ての答えだ。

あの日会場を満たした暖かさと興奮が入り交じった拍手、そしてステージに立つ奏者ひとりひとりの何かを成し遂げた人が持つ自信に満ちあふれた表情を、決して忘れることはないだろう。

■アンコール

「交響組曲アクトレイザー」の興奮と拍手が収まらない中、アンコールの曲が演奏される。

『聖剣伝説2』「子午線の祀り」
『MOTHER 2』 「Smiles and Tears」

どちらもゲームの歴史の中でもゲーム音楽の中でも重要な作品であり、ファンが心の中で大切にしている作品だろう。

難曲といっても過言ではない曲、そして美しい旋律が心に響くその曲は、BGMフィルの選曲眼の見事さを感じさせるとともに、ゲーム音楽へのリスペクトを感じるものだった。
これだけでも観客は満足し、心安らかに帰途に着いたことだろう。

驚きは次の瞬間だった。

高らかに鳴り響くトランペットの音。
観客が、おそらくすべての観客が心をときめかせたことだろう。

「序曲のマーチ」

オープニングで演奏された「序曲」は『ドラゴンクエスト』第一作目の曲だったが、アンコールのラストに披露されたのは『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』の「序曲のマーチ」だった。

演奏される「序曲のマーチ」にあわせて市原指揮者が観客に手拍子を求める。
今まで様々な場所でこの曲を聴いたが、観客の手拍子とともに演奏されるのは初めての体験だった。
この瞬間、BGMフィルは何かを越えただけではなく、ゲーム音楽に新しい何かを打ち立てることに成功していた。

クラシック音楽には、記念行事などに演奏され、観客とともに盛り上がる曲が存在する。
代表的な曲として、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートの最後に演奏される「ラデツキー行進曲」やイギリスのザ・プロムスで演奏される「威風堂々」などが挙げられるだろう。

私はこういった曲が海外で演奏され、観客が幸福に満ちた表情で共に楽しんでいるのを見るたびに、なぜ日本にはこういう曲が無いのだろうと常々思っていた。

だがこの日初めて気がついた。

私達にはドラゴンクエストがあるんだ。序曲があるじゃないかと。
ゲーム音楽を愛する人達が心をときめかせ、奏者も観客も楽しい気持ちで迎えることができるこの曲があるのではないか、と。

この先、BGMフィルはもちろんのこと、他の管弦楽団が主催するゲーム演奏会でも同じようにドラゴンクエストの序曲が観客の手拍子とともに演奏されるかもしれない。
ゲームのコンサートにはつきもの、と呼べるような演奏になるかもしれない。
やがていつしか、どこの管弦楽団が始めたものともわからなくなるかもしれない。それはゲーム音楽という世界に新しい文化を創ったということだ。

ゲーム音楽を演奏するだけではなく、新しい価値を創造することはまさに”Beyond the Game Music”ゲーム音楽を越えることだと私は思う。

第一回公演を成功させた彼らBGMフィルはこれからも何かを越え続けていくだろう。
もちろん、輝かしいことだけではなく、困難なこともあるだろう。
プロとして演奏をするならばなおさらのことだろうと思う。
乗り越えられないほどの高い壁、厳しい試練が立ちはだかるかもしれない。
それでも彼らは手を携えて乗り越えて行くだろう。
この日見事に越えてみせた、彼らなら。

日本BGMフィルハーモニー管弦楽団なら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?