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ヒルルクの言葉に思いを馳せる
砂利で敷き詰められた地面と、正面には小上がりのフローリング。左隣りには母がいて、わたしは子どもながらに焦っている。母が泣いているからだ。オロオロするばかりで声はかけられない。精一杯知らないふりをする。
わたしが唯一覚えている、叔母の死と関連する記憶。2002年5月、火葬場で叔母を見送った日だ。
あの日以来、わたしはなんとなく叔母の死という事実に蓋をして毎日を過ごしてきた気がする。時々は家族との団らんの中で「あの時おばちゃんがさー、」なんて話をすることはもちろんあった。わたしは彼女の話をするのが好きだった。なぜ、と言われてもよく分からない。その会話はまるで、家族以外の人が聞いたら彼女が生きていると思うようなものばかりだったと思う。叔母がもうこの世にいないなんてことは感じないような生活を送ってきた。
それが最近になって、「亡くなるまでどう過ごしていたんだろう」「病気が分かった時の状況は?」「どんな心境だったんだろう」「亡くなる瞬間は誰かが看取ってくれたんだろうか」と、そんなことが突然気にかかるようになった。そういえば、と思い始めたらいろんな「?」が止まらない。わたしはその当時小学校高学年の歳で、「人の死」が分からないわけもない。それなのになぜ、こんなにも分かっていないことばかりなんだろう…。お見舞いに行った記憶もなければ、葬儀のことすら覚えていない。
わたしはもしかしたら、20年以上経ってようやく準備ができたのかもしれない。悲しかったかどうかすら思い出せない当時と違って、彼女を想ってふと涙が出るほどには成長した。何十年も向き合わなかった自分と、向き合おうじゃないか。
◇◇◇
新宿で母と待ち合わせ。行く度に駅の雰囲気が変わるのは、わたしが小田急沿線から引っ越してしまってなかなか行かない場所になってしまったせいだろうか?丸ノ内線の改札から小田急線改札へ行くのに相当手間取った。
神奈川の自宅から都心に全く出ようとしない母のことだから、池袋なんかで待合せしていたらきっと会うまでにかなり時間がかかっただろうなあ。小田急線一本で来れる新宿駅を待合せ場所にした自分を褒め称える。超ド級の方向音痴である私が心配するほど、母は電車に乗り慣れていない。
そんなことを思いながら小田急改札前に向かっていると、母の姿が見えた。今にも改札にいる駅員に話しかけようとしているところだった。
「おかーん」と大きく手をふると気づいてくれた。駅員に会釈しながら改札を通り抜けわたしの方へ向かってくる。なんでも、彼女が新宿で降りる時にはいつも地下のホームに到着していたのが、今日は地上ホームに到着したそうで、ホームの見た目がいつもと違って戸惑っていたらしい。「小田急線西口改札前で待合せね」「OK」というLINEのやり取りで安心していたが、わたしと母が頭で想像していた場所はお互いが異なっていたらしい。新宿駅で待ち合わせることの難しさを実感する。
片や出不精、片や方向音痴のふたりが無事会えたこにとにほっとしつつ、目的地である池袋に向かうため今度はJR線を探す。山手線を示す緑の看板を目指し、池袋方面と書いてあるホームから電車に乗る。わたしたちにとってはこれだけでもなかなかの大冒険だ。
無事池袋につき、西武百貨店を目指す。わたしたちは何の疑いもなく「西口」に向かった。それが巧妙なトラップだなんて気づきもせず、地上に出る。目線の先にはなんと「東武百貨店」があった。
池袋の西武百貨店は、「東口」だった。
優しい人の助けを借りつつ右往左往しながらもなんとか東口の地上に出た。
こんな流れは今日が初めてではない。わたしたちは何度かここに来ているはずなのに、その度に同じような迷い方をする。
お寺は駅から歩いて10分弱のところに位置していて、そのお寺の共同墓地に、母の姉であるわたしの叔母は眠っている。
初めてこのお寺にお参りにきたのは数年前のことで、拍子抜けしたのを覚えている。共同墓地と聞いていたわたしは、お寺の敷地内にあるたくさんのお墓を瞬時に想像した。その中のひとつが叔母のもの、というイメージだ。しかし叔母がいるというその場所には、石碑がポツンとひとつだけあった。この石の真下には、叔母を含め何人もの人たちが全員一緒に眠っている。
わたしはなんとなく、そこに死者たちのコミュニティが形成されていて、叔母がそこで忙しそうにしている絵を想像した。口が悪く心のやさしい叔母は、先にいた人にも後から入ってくる人にも世話を焼いて、住人たちの話を聞いて回り、わたしたちが来る度に「大変なんだから!」とタバコを吹かしながら愚痴をこぼしているような、そんな光景だ。きっと彼女を知っている人ならうなずいてくれるだろう。
このお寺に埋めてもらうことが、本人の希望だったのだと母が教えてくれた。叔母はどのくらいここに通っていたんだろう。叔母と一番仲の良かった友人が、このお寺関係の人だったようだ。
手を合わせて、今年は命日からずいぶん日が経ってしまったことを謝りつつ、「おばちゃん、来たよ」と心の中でつぶやくと、彼女の笑顔がフッと頭をよぎった。子どもの頃に叔母の家に遊びに行った帰りにはいつも必ずあのボロアパート2階の角部屋のベランダから出てきて手を振って見送ってくれた時の、あの笑顔だ。
ほんの10分程度のお参りはあっという間に終わる。お参りの後はふたりでランチに行くのが暗黙の了解になっていた。池袋が全く分からないわたしたちは、新宿まで戻って昼食をとることにした。
母に叔母の話を聞くのはなんとなく勇気がいる。あの日の横顔がチラつくからだ。でも今日は話さなければ。晩年の叔母を唯一知っているのは、きっと母なのだという確信があった。
◇◇◇
次の記事につづく。
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