知る前と知った後。渋味を甘味に変える方法〜『珈琲の世界史』旦部幸博〜

はじめてスターバックスコーヒーでコーヒーを頼んだとき、顔をしかめた。家で飲んでいるインスタントコーヒーと違う。

とりあえず、味が濃い。そして、喉の奥に薄い膜のような渋さが広がった。

「これが、本物の味なんだ」

中学生の私はそう思い、ミルクも砂糖もいれず、修行のような気持ちでカップを傾けた。


味は経験と知識によって分類されていく。本場の味とはどういうものかを知りたくなった私は、ちょっと調べてコーヒー豆の味には「苦味」と「酸味」があるらしいと知った。スタバのコーヒーは「酸っぱい」に分類される豆が多い。なぜなら、アメリカのコーヒー豆は酸味が強く出る「浅煎り」が主流だからだと知る。
「そういうものか」と一通りの知識を得たところで思考停止して、15年ほどだ。一応、焙煎の度合いをみて、酸味が少ない『深煎り』を選ぶぐらい。本書、『珈琲の世界史』を読んで、ようやくなぜ、アメリカのコーヒー豆は「浅煎り」なのか?を知る。勝手にアメリカ人の好みだと思っていたが、理由は好き嫌いではなく、経済的な側面を指摘していた。


1970年代のさび病や霜害による原料価格の高騰で、コーヒー豆の「浅煎り化」が進みました。"
”短時間で焙煎できて燃料代の節約になる上、深煎りにすると揮発や燃焼ガスとして失われる成分だけ重量が減るので、「100gいくら」で売るコーヒーは浅煎りのほうが儲かるからです。


浅煎り批判をしたいわけではない。そして、私は、学生時代にスターバックスでアルバイトをしていたことも。研修ではそういった事情は教わらなかった。


一杯のコーヒーが、この味に至った道には、歴史がある。
著者は「はじめに」でこう述べている。

「歴史を知る」ことには、「情報のおいしさ」を通じて、コーヒーの味わいを実際に変化させる力があるのです。


本書では通史として、人類誕生以前に登場した原料・コーヒーノキのルーツから、人類がどのようにコーヒーと付き合ってきたかを総ざらいする。
アルコール禁止のイスラム世界で広まったコーヒー。カフェの原点となった「カフェハネ」は市民の社交の場として広がり、繰り広げられる政治談義に目をつけられて、弾圧の場にもなった。オスマン帝国を通じてヨーロッパ列強にも広がり、市民たちの議論の場としてのコーヒーハウスがイギリス近代化の礎となり、フランス革命の起点となったとも紹介される。
コーヒーの消費が高まり、欧州列強は植民地でのコーヒー生産を強化する。コーヒーは中南米の主力の輸出物の一種として発展していく。
上記した『浅煎り』化に拍車がかかったのは、輸出大国のブラジルと消費大国のアメリカの綱の引き合いの結果だった。


嗜好品として現代は親しんでいるが、そもそもとしてコーヒーは社交の場のひとつの「添え物」として広まった。それが、輸出品として発展する。価格の高騰や暴落に左右される中で、品種の開発や味わい方の進化で新たな市場を開拓していく。味わいはただ個人の好みとして発展したのではなく、経済や文化をめぐる深い歴史の先に刻まれていったらしい。


本書を読むことで、コーヒーとの付き合い方は変わるのか。


私自身のコーヒー習慣は次の通りだった。朝起きて、お湯を沸かす。コーヒーミルで豆を挽く。ハリオのドリッパーにフィルターをセットして、挽いたばかりの粉を移して、沸いたお湯を注ぐ。
この淹れ方は決して悪いわけではないが、本書を読んでからコーヒーを飲んだとき、いつもより「まずい」と思ったのだ。まずさの原因はなんだろうと考えさせられたのだ。ここまで歴史を動かしただけの理由は、やはりコーヒーの魅力にはあるはずで、全く引き出せてはいないのではないか?
まず、お湯が熱すぎる気がした。舌にぴりぴりと来る。次にコーヒーを淹れるとき、沸騰したてのお湯を使うのを止めてみた。しばらく冷ましてから、コーヒーを入れた。口にすると冷めすぎていて、味が薄い。なんだろう?ドリッパーとマグカップが冷えていて、そこで熱が奪われていたのではないか?今度は、沸騰したお湯をドリッパーとカップにも注いで、温めることにした。
そうして少しばかり手間を加えて飲んだコーヒーには、以前はあったはずの渋みが消え、酸味がまろやかになった。このころには、一杯ごとに味の記録をつけるようになっていた。じっくりとカップを傾けて、しばらく味について考えを巡らせる。苦味でも酸味でもコクでもない何かが姿を現している気がした。味の尺度の中で、唯一、全く感じたことがなかった甘みが、奥に潜んでいた。


「情報」を知ったとき、自分が入れるコーヒーのまずさに気づいたのだ。疑問を覚えて、原因を考え、改善をして、新しい味に出会った。
ああ、そうか。深く知るとはこういうことなんだ。



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