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4回生のつぶやき|よく生きるとは 

大学の授業も終わり、ドイツから日本に帰る前に一ヶ月旅行する計画を立てていました。それでも寮は解約していないので、旅行しっぱなしというよりかは、旅行先へ行って帰ってを繰り返す生活をしています。時間がたんまりあるのでぼやぼや大学生のつぶやきというものを残そうかなと思います。

最近見ているドラマがあるんです。Daily Dose of Sunshineという韓国のドラマで、精神疾患を患ういろんな患者と看護師の物語です。韓国ドラマを元々ちょっと興味あったのですが、超学歴社会の韓国で「精神疾患」という病気がどのように描かれているのか気になってみ始めました。

ドラマを見進めていくにつれて、衝撃を受けたり、泣いたり、笑ったり、イライラしたりと、いろんな感情が私の中に湧き起こりました。物語に登場する患者のほとんどは、社会のシステムから追い詰められて行き場がなくなり、崩壊してしまった人たちでした。


フィクションではあるかもしれないけど、そういった人たちが世の中に存在するということをリアルに感じることができました。そしてそういった人達は世の中から姿を消すか、不自然じゃない程度に周りと同じように振る舞っているから、なかなか気付けないものなんだとも思いました。

ドラマの中でも、人間は何かを「喪失」することによっておかしくなっていくと言っていました。自分自身を喪失、お金を喪失、家族を喪失、希望を喪失…自分の身にもすぐにでも起きそうなことばかりで、少し恐怖を感じさえします。


本当に大事なものを失った時、私は正気を保てるのかな。


これからこの先に待ち受ける困難を考えると、頭がいっぱいで自分を見失いそうになる。


少し前、私は「良い」「悪い」だったり、「幸せ」「不幸せ」などと、ちょっとした出来事を自分で評価して、それで嬉しくなったり悲しくなったりするのが嫌な時期がありました。何気ない日常、何回も起きるようなことに振り回されている自分が情けなくも感じました。


早く大人になってこんな考えから抜け出したい。
早く大人になって落ち着いて対処できるようになりたい。
早く大人になって人生をもっと楽観的に見られるようになりたい。


こういうふうに強く思えば思うほど、自分の性格から離れた自分になっている気もしました。SNSやドラマなど、誰かを見て憧れるようになったのかもしれません。


「私は○○○○な人間です」とか言って自分を表現する時って、だいたい相対評価で周りにいる人と比べて自分はどう何かっていうのを決めつけているのだと思います。私も正直、人と比べることを抜きにして自分を表現することは難しいなと感じます。


多分、人と比べるのが癖でここまで来たんだと思います。人と比べると物事はわりかしシンプルに見えてくるし、原動力にもなります。でもそこを不自然に感じるようになったら、そろそろその思考の殻を抜けてもいいのかな、なんて考えていました。


学校にも行かず、人と会わない大学生の夏休み。旅行をしてくたびれて帰ってきて、1日を布団で過ごすような日々。たまに何もしていないことへのいらだちを感じます。多分、絶えず何かをしてきたからでしょう。でも、もしかしたら、何かの好奇心が私を掻き立てて「あれもしよう、これもしよう」とワクワクを抑えられなくなっているのかもしれません。


カヌーを漕いでいるみたいに、自分が心地いい方にのっそり舵を取って、後は川の流れに任せるのもいいのかもと考えると、なんでも「まあいっか」となります。車を運転する時みたいに「右折!」「左折!」「時速80km!」みたいな人生の進み方じゃなくても、「あ〜これ違うかったなぁ」と思ったら、えっちらおっちら元の自分の場所に戻ってもいいのかなと思います。


描き終わったらなんだかスッキリしました。そして私はやっぱりパソコンでタイピングしている方が、私の感情がするする出てくるような気がします。可愛いノートに手書きで、みたいなものに憧れたりしますが、私はどうやらこっちタイプのようです。


それでは、良い夜を。




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