よりよい最後とは
今の会社に入って2人目の依頼だった彼は2ヵ月で亡くなった。介護の現場ではよくあることですが、この時いつもの利用者さんの死とは違うように感じた。
出会い
その利用者さんとの出会いは包括からの依頼だった。ある包括の担当者から「松本さんにお願いしたいケースがあります」と連絡をもらった。すぐに情報提供をしていただき、早々に訪問をした。ご本人様は入院中で奥様と面談することになった。
ご本人様がいない中でのアセスメントは正確な情報が獲得できるのかという不安があるが、その中でひとつひとつ生活歴、既往歴、ADL、IADL等の情報を聞いていく。アセスメントを行うときに大事にしていることは「聴取」することに徹するのではなく、雑談を交えながらバラバラになっている情報を結び付けていくようにすること。1つのパズルを完成させるように。聴取をすることに徹するとご本人様の深い部分(身体的な情報ではなく、生活歴特に趣味や過去の仕事などケアにつながる部分)が引き出せなくなる。そのため雑談を交えながらゆっくり、じっくり話を聞く。
もちろん1回のアセスメントですべての情報を集めることは不可能。なぜならサービスが展開していく中でケアマネがアセスメントで獲得できなかった情報が入ってくることでアセスメントは完成されていく。ただアセスメントに完成はないと思う。一生完成されないものだと思う。
奥様と面談が終わり、後日ご本人様との面談のため某病院に向かいアセスメントを行った。アセスメントを行う中でご本人様から「自宅に帰りたい」との訴えがあった。それはただ帰りたいというだけではなかった。
「家には帰りたい。でも妻には迷惑をかけたくない。今までたくさんの迷惑をかけた。もし家での生活が難しいと判断したら施設に入れてほしい」
そんな訴えは今までなかった。できる限り自宅に戻れるようにここからサービス事業者へ連絡をし支援を始める。
そして念願の自宅へ
入院中に肺炎を発症したりしたこともあり、当初の退院予定日から遅れたが何とか自宅に戻ることができた。もちろんこの日までサービスも整え当時考えられたリスクにも対応できるよう万全な状態にサービスの調整をしていた。
帰宅直後ご本人様より「やっと帰ってこれた。ケアマネさんありがとう。これからもよろしく頼みます」と言われ、少しホッとした自分がいたがこれは大きな間違いであった。
この利用者様はガン患者。それも末期がんでメタ(転移)の状態。いつどうなってもおかしくない状況。そんな中その方は残された時間を家族と過ごすために1日1日を大切に生きていた。
在宅療養開始
在宅療養が始まるとその方の身体状態は階段を下るように刻一刻と変化していった。もちろん本人は予後のことも知らない。知っているのは家族とサービス事業所のみ。本人に伝えることなく今できるケアを進めていく。
訪問介護、訪問診療、福祉用具、訪問入浴、訪問看護、訪問リハビリと医療介護職が連携し必要なケアを進めていく中、退院から1週間後がたった。退院直後よりも明らかに体重の減少が目立っていった。予後が短くなっているのが目で見てわかる。自然と自宅に訪問することが怖くなってきている自分がいた。
「もうすぐこの人の人生が終わるかもしれない」
そう思うと訪問に向かおうとする足が前に進まない。怖い、悲しいといった感情ではなく1人の人生が終わると考えるとどんな顔をしていけばいいのかわからなかった。
最後の時が近づく・・・
私は多職種連携のためMCSというツールを活用している。
(興味ある方はぜひご覧になってほしいです)
このMCSがある日を境に通知の頻度を上げた。
通知の頻度が上がる=状態が急変したことを意味する。
この時意識レベルが急激に下がった。死期が近づいている証拠だった。
訪問看護の回数が増え、緊張感が走る。介入するサービス事業所のスタッフの顔も少しずつシビアになってきた。利用者の部屋に入る時の緊張感も増す。室内の空気感から察することができる何とも表現しがたい空気がそこに漂っていた。介護現場で働く人であれば誰しもが一度は経験する”あの“空気感。なんと声を掛けたらいいのか。
現場実習生
死期が近くなった時、社内の新卒が2名現場実習に来ることになった。この実習生は介護経験はなく、一般大学から卒業したばかりの新卒であった。
この現場実習を行う前にも在宅現場に行き、見学を行ってきた。高齢者と接することに慣れ、やや気持ちが浮いていることが見える彼ら、彼女らが同行することになった。
実習生には必要最低限のことしか伝えず、現場に向かう。利用者の家に向かう道中は今まで行った利用者の話で盛り上がり、明らかに浮ついているのがわかった。浮つく理由としては自立度が高く、日常会話も問題なくできる利用者との関わりがメインだったことが理由。ただただ高齢者との関わりが「楽しい」としか感じていない状況だった。そんな彼ら、彼女らが今回の現場実習を通し、「人の命」が消えゆく現場を経験することになる。
今までの現場実習での話をしながら歩いて15分程度。利用者の家に着く。玄関前まで笑顔で話をする実習生。そんな彼らが部屋に入ろうとした瞬間顔つきが変わった。
さっきまでの笑顔がなくなり、一瞬にして顔が強張っていた。私が先に居室に入り、ご本人様と話すも実習生は部屋に入ることもできない。一歩踏み出し家の中に入ることができないからであった。部屋の外からでもわかる空気感。言葉では表現できない空気感がそこには漂っている。
私が利用者に声をかけると、利用者は気丈にも手を上げ挨拶をしてくれた。私からすれば見慣れた風景であったが実習生からするとある意味異様な光景であったのは違いない。
尿カテが入り、点滴につながれ、HOT を導入している状況。短い時間での会話。何もかもが初めて見る光景の実習生たち。そんな中一言も言葉を発せずに実習生にとって初めての【終末期】の方の同行訪問が終わった。
帰り道、実習生はあまりの衝撃だったのか何も会話せず事業所に戻った。
その空気感に触れることで会話では得ることのできない様々な感情や思いを受け取ったのではないか。
最後の時
同行訪問からちょうど1週間がたったとき、MCSがなった。
「本日早朝ご逝去されました」
1人の人生が終わった瞬間だった。
ご逝去された旨を実習生にも伝えた。伝えた瞬間、一瞬にして表情が変わったのがわかる。つい、1週間前まで生きていた方がこの世からいなくなる。まだ味わったことのない感覚に襲われていたのだろう。
この後座学での研修講師をやるたびにこの話をすると実習生たちはすると目の色が変わる。リアルな体験として実習生の心の中に残っている。
ただ、伝えたいのはそこだけではない。
お亡くなりになったあと、「他に何かできたのではないか」、「こんな支援をすべきだったのではないか」という課題が残る。個人的にはこの課題が次への支援のヒント(選択肢)になると考えている。よりよいケアをつなげていくために
よりよい最後とは・・・
タイトルにもある「よりよい最後とは」
家に帰りたいと思う彼の思いを叶えることができたのは確か。ただ本当にそれが正しかったのか。本人のケアのため家族はいつその命が尽きてしまうのか、言いようのない不安に襲われながら日々を過ごすことになる。果たしてこれが理想の看取りなのだろうか。正解がない世界でその人達にとってよりよい最後とは何なのだろうか。
ケアマネという仕事を選び、過ごしていく中でこの「よりよい最後とは」という課題を解決できる日が来るのか自分自身ではわからないがその答えを見つけるためにこの仕事を今後も続けていきたい。
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