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縄文時代と弥生時代の境目って? 〜Question編〜

どうも縄文人になりたい現代人こと、ヤツシです。夏も終わり、一気に肌寒くなって来ましたね。最近は外の散歩もちゃんと着込まないと、すぐさまクシャミが出てしまいます。そうでなくとも、ヤツシ、実は季節の変わり目にめっちゃ弱い。縄文人になりたいとかいっておきながら、春夏秋冬という季節の変わり目、すぐに鼻がムズムズしてしまう。きっと縄文の人々、花粉症だなんてなかったんだろうな、とかちょっと羨ましくもありますね。その分、いろんな大変さがあったとは思うのですが。

さて、そんな季節の変わり目感じる今日この頃。ふと気がついたことがあります。それというのも、ズバリ。「縄文時代と弥生時代の境目って何?」です。
 
不思議じゃないですか?例えば、室町幕府は室町幕府ができたから室町時代、江戸幕府ができたから江戸時代、という具合に、今に伝わる文献があればこそ、「ナンタラ時代」ということができるわけです。当然のことながら、縄文時代に「新しい時代が来たんすよ、ニュージェネレーションすよ」などと土器に記載されているハズありません。

ではそもそも弥生時代は、なぜ弥生と呼ばれるかを観てみましょう。1884年の東京府(まだ明治時代です)の文京区弥生町にあった貝塚から一風変わった縄文土器が出てきたそうです。最初はなんか「変わってんなー」ぐらいの印象だったようですが、それを当時の帝国大学(現在の東京大学)のエライ学者さんたちが「これは新発見です!」というわけで、最初にその土器が発見された場所にちなんで「弥生時代」と名付けられたんだそうです。

さて、そんな感じで弥生時代という名称の時代が登場したわけですが、本日のテーマはあくまでも「縄文時代と弥生時代の境界線は何か」でした。一応前後の区分をお伝えしますと、「縄文→ 弥生 → 古墳」です。

それでは問題です(某番組風に)。
弥生時代の始まりは何をもって弥生時代の始まりとするのか。

答えは次のブログにてお届けしようと思います

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