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勇気をもらった200日/水戸一高を取材して


おはようございます。

昨日、応援していた水戸一校が負けてしまいました。試合終了の瞬間、言葉が出ませんでした。ただただ、彼らの終わりを見つめているだけでした。号泣している選手、呆然と立ちすくんでいる選手。作り笑顔を見せているけれど、急に顔を覆って泣き出す選手。その光景を見て、言葉がみつかりませんでした。8ー15、8回コールド負け。エースの小川永惺投手は2回6失点KO。これが現実。これが人生。選手たちは時計の針を戻したいかもしれません。でも過去は変えられない。

残酷ですが、高校野球が、それを教えてくれます。

早すぎた夏…涙があふれます



▽茨城大会3回戦@笠間②
水戸一 10303100=8
守 谷 51110304=15
(8回コールド)

水戸一:小川、米川、古宮―秋田
守谷 :中島、戸高―木内虎
本塁打=園部(水)
三塁打=津田(水)、戸高(守)
二塁打=園部(水)、木内虎、張替2、木内風(守)
2時間53分

【戦評】水戸が1回、秋田の右犠飛で先制。しかしその裏、先発小川が2つの四球と2本の二塁打などで2死から5失点。制球に苦しみ2回6失点で降板する。打撃は3回表、無死一塁から2番園部が左翼越え2ラン。3番津田の中越え三塁打で3点を追加。2点差として、3回裏から古宮に継投。2失点で4-8となるも、5回表に園部(右中間二塁打)、津田(左前打)、秋田(遊失)、浅野(右前打)、宮川(二失)で一挙3点。6回表、2番手の右横手・戸高から先頭大沢の左前打を皮切りに、園部の遊ゴロで8-8同点。この日1番の盛り上がりを見せる。しかしその裏、古宮がつかまり3失点。7回表から登板の米川を投入しこの回0に抑えるが、8回表、右前打で鳥羽田が出塁するも無死一、二塁の好機で中飛→二走が飛び出し併殺(8-6TO)。その裏、無死一、二塁からバント処理をカバーに入らず12点目を献上。中前打、左犠飛でさらに2失点。8-14。ここで左翼の守備から小川がマウンドへ。1死満塁から2-2と追い込んだが5球目が右犠飛となり、15点目。7点差でコールド成立。2ラン含む10安打を打つも、踏ん張り切れなかった。守谷は16安打15得点。中島が2、戸高が1の3四球にまとめた。

思い思いの場所で、現実を受け止める彼ら
2年生はこの悔しさ、忘れないーー
「この結果に、整理がつかない…勝ちに繋げられず、申し訳ない」と木村優介監督



一晩経って、少し気持ちの整理がつきました。
守谷、強かった‥‥。本当によく打ちました。でも水戸一も打撃の奮起は素晴らしかったと思います。序盤5点差から、6回に8-8と追いついたときは押せ押せムード。スタンドを埋めた一般生徒たちが大興奮で雄たけびをあげました。スタンドとベンチが一体となった瞬間でした。

思えば、初戦の12日。雨が降る中での牛久栄進戦@8-1(8c)。終盤、雨が強くなっても全校応援の声は衰えず。最後まで仲間を応援する姿がありました。まさに「学校力」。
こんな夏が、長く続けばいいなと思ったものです。あわよくば、70年ぶりの甲子園も…なんて夢を、誰もが抱いたはずです。目の前の敗戦を受け入れることは難しく、球場の外では現実を受け止められない選手たちの姿がありました。保護者も泣いていました。膝から崩れ落ちて泣く、父親の姿。。。。
家族で夢を追いかけた夏は、間違いなく一生の記憶になるでしょう。


「お疲れ様でした」

そして、意地悪な言い方かもしれませんが、
高校野球をもっとやりたかったーー!と思いっきり悔しがってください。

そのエネルギーが、きっとこれからの人生の原動力となるはずです。
野球を続けても良いし、別の道を歩むのもいいですね。それもまた人生です。
どう生きるかはそれぞれ。
でも、きっと、心の中には高校野球の思い出がいつも存在し続けます。
その思い出が、悩んだときや迷ったときに、必ず自分を支えてくれるでしょう。


こういう光景を、私はもう30年以上、見てきています。
なのになぜか、毎回、涙が出るんです。

努力してきたことを、やり切りたかったんだろうな・・・・
感謝したい人を、もっともっと喜ばせたかったんだろうな・・・
そう考えると涙が出るんです。



高校野球は最高です。そう言い切れます。

令和の時代となり、コロナ禍を経て、私たちの人間関係やコミュニケーションの手法は大きく変わりました。その中で、スポーツを通じた人間育成も合理化され、効率的に結果を出すことが求められるようになりました。しかし、ふと立ち止まって考える時があります。
それで本当に良いのかと。


目の前の結果を追い求めるあまり、本当に大切なものを見落としているのではないか、そう思うことが最近増えました。この高校野球だってそうです。大切なものは、5年後、10年後に初めて見えてくるからです。未成熟の高校生にとって、すぐに結果が出ないことの方が当たり前です。人としての成長を培うには長い年月が必要です。その中には、友達、恩師、家族との関わりがあります。人と関わりながら大切なものを求めていく姿勢、これこそが人生だと私は思います。

ここから少し長い話になりますが、
仙台一高との不思議な縁について。
私が見てきたことを書かせていただくので、
もしお時間があったら最後まで読んでください。

点が入るたびに「よっしゃ!もう一点!」最後まで勝てる、と信じ抜きました


昨年の秋、小川投手の活躍で、チームは大躍進を遂げました。
3試合完封で54年ぶりのベスト4。その結果、初めて選抜21世紀枠候補の9校に選ばれました。

選手たちの頑張りはもちろんですが、それを支えるOBたちの熱意がこの機運
をもたらしたと振り返ります。

しかし、現実に選ばれたのは、別海、田辺の2校。
はじめての選抜出場とはなりませんでした。
翌日、グランドに行くといつも通り練習をしている姿。午後からは指導者講習会の会場校として、神奈川県立相模原高校、佐相眞澄監督から打撃指導を受けていました。
昨日と今日。大変な気持ちの高低があり、高校生では受け止められないほどの経験をしたと思います。
周囲が加熱するたび冷静になっていた木村優介監督。

発表前日は自然体の表情で「宝くじだと思って明日を待ちます^ ^」と言っていたけれど翌日、「(落選して)こんな気持ちになるなんて、自分でも思っていなかったです」と吐露。閉ざされた甲子園の道の大きさに改めて気づかされていました。


県相模原の佐相眞澄監督。打撃の伝道師から指導を受ける


悲しみの空気がなかなか拭えないなか、

水戸一に不思議な縁が生まれます
それは同じく9候補の中にいながら、
1月26日に落選の知らせを受けた宮城・仙台一高との縁です。

私は宮城に住んでいた時に、この学校と深く関わりがありました。このやり切れない水戸一高の気持ち、きっと仙台一高も同じなのではないかと思い、水戸一高のグランドから仙台一の千葉厚監督に電話をしたのです。千葉監督は落選のショックでインフルエンザにかかり寝込んでいました。そんな中、木村監督に電話を渡すと、しばらく2人で長く会話をしていました。お互いその状況に立ったものにしかわかりあえない気持ちがあったんだと思います。
不思議な縁のスタートはそこからでした。


同じ気持ちを分かち合った2校。
私が知らない間に、どんどん仲が良くなりました。とんとん拍子で練習試合の日程が決まったのです。日にちは3月10日。甲子園選抜大会の8日前であり、東日本大震災の前日。場所は仙台一高、グラウンド。
「ガチンコの裏甲子園をしようじゃないか」と言う計画が決定しました。

落胆したチームに新たな目標が生まれました。
3月9日早朝大型バスに搭乗し、1泊2日の東北の東北遠征の旅。
木村監督のご厚意で私も帯同させていただき、
そこで選手たちのグランドでは見せない姿を見せてもらうことになります。


3月9日、1日目の場所はいわき。
東日本国際大昌平戦は5対9の敗退、第二試合利府戦は3対8の敗退。

どちらも実力の差を感じました。特に東日本国際は外野の頭を抜ける長打連発。3番キャッチャーの山口選手は水戸出身だそうです。素直な直球はどんどん外野に運ばれていきました。先発した江口投手は4回途中で5失点。しかしバスの中のミーティングでは、相手ピッチャーが変わったら必ず出塁すると言うテーマを確実に遂行し、一つ一つ課題をつぶしていこうと言う姿勢が見られました。手元でピッと切れのあるボールを投げる2年生の古宮投手。この好投は収穫でした。

そして、仙台に移動し、宿泊先のホテルへ。
選手はすぐに洗濯など翌日の試合に準備しますが、なかなかない合宿体験を楽しんだようです。女子マネージャーの岡野さん、松崎さんと夜女子会をするつもりで、お菓子をたくさん買っておいたのですが、懇親会が遅くなり実現できませんでした。余談ですが、二人に「ごめんね」と言うと、予想していなかった残念顔。その顔を見て本当に申し訳なかったなと思ったのを覚えてます。

ビール園で行われた両校スタッフの懇親会は大いに盛り上がりました。
この日を楽しみにしていた千葉監督は、なんと記念のレプリカを作っていたのです。
そこに書かれていた文字は「共に頂点へ」。
同じ悲しみを味わったもの同士、甲子園で再会しよう、必ずと誓い合いました。県内の強豪私立を、夏、どう倒すか。熱い熱い野球談義が遅くまで続きました。


「共に頂点へ」.甲子園は自分の手で掴む!


3月10日、仙台一グラウンド。
この試合は、昨日とは違う特別な空気が流れていました。スポーツニュースはセンバツ大会に向けた出場校の紹介が始まっています。そんな報道を横目に、揺れ動く気持ちの選手たち。夏に気持ちを切り替えようと両校が同じ気持ちで対峙。水戸一高の保護者が一高を上回るほど多く集まり、バックネット裏が大観衆で埋め尽くされました。

偶然にも、今日は310(水戸)の日、仙台ユアテックスタジアムでは、仙台ベガルタ対水戸ホーリーホックのJ2対決が行われていると言う、なんとも不思議な巡り合わせも話題になり笑い合いました。

試合は7回裏に仙台一が安藤選手の同点打で3-3となり9回終了。甲子園と同じルール、無死一、二塁からのタイブレークとなりました。2点ビハインドで10回裏、仙台一高の藤原選手が右中間へのサヨナラ打で、6対5、仙台一が勝利しました。

仙台一高が安藤ー千葉の投手リレーで逃げ切りましたが、水戸一高も小川ー古宮の必勝リレー。小川投手が8回3失点10奪三振。古宮投手が9回からマウンドに立ち、最後まで腕を振りました。水戸一は10回表、津田選手、渡辺選手が連続三振。2死から園部選手が右中間ニ塁打で2点を挙げますが結果的にはサヨナラ負け。

試合後、渡辺コーチが渡辺選手の見逃し三振を強い口調で指摘しました。バットを振らなければ、現状打開できない。考えて打撃をする仙台一高の選手に対し、水戸一高の選手の意識の弱さを考えさせました。単なる交流試合ではない。試合に勝つことの厳しさをこの試合でもこだわって欲しい。渡辺コーチの厳しい口調がチームに緊張感を与えました。


第二試合は7対6。
終わってみれば、2試合の総合スコアは12対12のタイ。
なんと互角でした。

「試合への考え方やプレイスタイルが何か似てるなぁと。思いながら戦ってましたよー」と仙台一千葉監督は笑っていました。こういう空気感でやる相手は他にいなかったかもしれません。


第一試合が終わった後のお昼休み。
昼食をとりながら、ビニールハウスの中で両校がごちゃ混ぜに座って
談笑していました。
耳を傾けると、うちの女子マネージャーは美人だと言う自慢合戦や、筋トレでウェイト何キロあげたと言う競い合い、進路どうすると言うような内緒話。いろいろな雑談で盛り上がりました。
この時の光景が本当に幸せに満ちていたんですよね・・・・
甲子園に行かなくてもこんないい顔できるんだなと感動してしまったほどです。
彼らの思い出は、甲子園に行くことだけではないと、気づきました。

まるで一つのチームのように打ち解け合っていた
センバツ開幕の裏で、ここにも最高の笑顔
横断幕も作っていただき、盛大な練習試合となった


この時ちょっと深い話を聞きました。
センバツ落選が決まった夜、みんなは何をしてたの?と。

仙台一千葉監督が熱を出した夜、息子でエースの凌太投手は「机に向かって勉強した」との事でした。正直、マジかと思いました。お父さんが寝込んでいるのに、です。
その時の心理を淡々と話してくれました。

「落選してがっかりと言うより、あぁそうなるかそうだよなぁと思った。将来スポーツドクターになるために、現役で医学部に合格したいので、そのための勉強をしなければいけない」と思ったそうです。悲しさを封じ込める行動とかではなく、彼は確実にできる将来への投資を自分に活かしたそうです。この辺が現実的でびっくりさせられました。

水戸一高の子はどうだったのでしょう?
4番のキャッチャー秋田君に話を聞きました。すると「勉強のやる気がますます起きた」と話すのです。どういうことかと聞くと「甲子園にいけなくなったことで、野球の大学の推薦は期待できない。自分の力で大学に行くしかない」と話していました。
これが本心なら、こちらが勝手に思っていたドラマチックなエピソードは一気に吹き飛ばされました。

そうか、この子たちは、野球に打ち込む一方で、未来をしっかりと見ている。そしてもしかしたらこの先同じ大学で優勝を目指すチームメイトになってるかもしれない。そんな希望が沸き起こりました。(でも本当は野球ばっかりの人生も味わってみたいんだろうな・・・という余計なお世話も少し浮かんだけれども)


水戸一のバスがグランドを経つ前、千葉監督の提案で、グランドからわずか3キロ先の荒浜地区の震災遺構を見学することになりました。
グランドが津波被害にあった仙台一。仙台市内も被災にあった事はあまり知られていません。ここに来なければわからなかった事実ですよね。
被災地の痛み。明日から3.11と言う日を特別な思いで迎えることになるかもしれません。
この仙台遠征は、水戸一高の選手にとっては、ほんの小さな思い出かもしれません。こういう小さな思い出、一つ一つの積み重ねが高校野球だと思います。

「再会は夏の甲子園で」被災地の悲しみを肌で感じ水戸に帰ります



この遠征から、水戸一は本当に強くなりました。
もうタイブレークでは負けません。
春の大会では2度のタイブレークを制し、秋に続くベスト4。
この快挙は61年ぶりだそうです。


例えば、初戦の日立一戦。同じ場面が来ました。
延長10回表、無死二、三塁。打者は2番渡辺選手。1ー0から振りぬいた打球は右越え三塁打、2点タイムリー。仙台一戦の見逃し三振を思い出し、涙が出ました。

このチームは成長している。
心で私もガッツポーズ。後日、渡辺君に「ありがとう」を伝え、夏も必ずいい結果を呼び寄せると確信しました。自信に満ちた顔に、いとおしさを感じました。

最後の練習試合は2連勝。力強い一歩で、急勾配を駆け上がる

まだ現実を受け止められませんが、
時間が進んでいます。この文を書きながらも涙が出てくる始末です。

敗北を経験した彼らはどうしているのかな?
翌朝、改めて気づいたのではないでしょうか。

目覚ましをかけずに起きた朝に、今までなかった新鮮さを覚えることでしょう。

いつもは眠い目をこすりながら朝ごはんをつめこみ、
用意してくれたお弁当をカバンに入れて、家を飛び出していった毎日。

グラウンドにはいつも通りの仲間がいて、
「今日も頑張ろう」とやる気に満ちていた日々。

途中で練習が辛くなり、サボりたくなることもあったでしょう。
でも、練習が終わると「また明日も野球がしたい」と感じた夕暮れ。
そんな日々がずっと続くと思っていたかもしれません。

しかし、今日からはもうそういう日々はありません。

高校野球が本当に楽しかったんだと気づくのは、実は終わった後だったりするんです。
やっている最中には気づきにくく、早く引退したいと思った日もあったでしょう。でもね、信じられないかもしれないけれど、もう二度とできない高校野球を「もっとやりたかった」と後悔する日が来るんです。そして、夏が来るたびにあの時の自分を思い出し、やりきれなかった自分を後悔したり、少しだけ上手くなった自分を誇りに思ったり、いろんな感情が湧き上がるんです。

それが高校野球の力です。

初戦5打点の活躍。二塁打のシーンはまさに、オオタニサーン!
雨の中で歌った初戦突破の校歌

これは・・・・余談なのですが、
大人になると、いろいろあって、生きるエネルギーが不足する時が来たりするんです。自分ではどうにもならない迷路に迷うことも。

でも、みんなには「心が帰る場所」がある。野球がある。仲間がいる。
さっきも書いたように、ずっと後になって、その価値に気づくのです。

大昔の話ですが、取材で「負けてごめんなさい」と大泣きしていた選手が、
10年後、千葉ロッテのエースになっていたりします。

「ごめんなさい」と思う気持ちがあるかもしれない。
でも、大事なのは、へこたれないことです。
そこには笑いがあってもいいでしょう。

2回戦で負けてしまったこの大敗を笑いに代えるには、時間が必要かもしれない。
けれど、いつかそんな日は必ず来ます。そのときお酒を飲みながら大笑いしてほしい。

なぜあの時、あんなにも大勢の人が自分を応援してくれたのか。
この夏の熱気を思い出し、また一歩、前に進めることでしょう。

皆さんの夏に拍手を送り、
これからの人生を応援してます。私ももう少しがんばります。

「勝ち」ではなく「価値」を。
「結果」ではなく「過程」に目を向けて取材していきます。

気がつけば7000字を超える文章になってしまいました。
こんなに長く語るとは自分でも思ってもいませんでした。
最後まで読んでくれてありがとございます。

そして、200日近い取材?ご縁?をいただき、
本当にありがとうございました。
全ての経験が、幸せにつながる翼となりますようにー。
心からの感謝と愛を込めて。

この笑顔が出るまで約1時間かかったけど、、、、よかった。笑顔が戻って

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