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専業主婦がシングルマザーになった-その後⑦ 3人目の出産と実家からの自立

2010年12月に無事分割を完了したAuthense。
最後にホテルで合同忘年会を開き、それぞれの事務所のこれからの未来をお互いに応援しつつ、お別れとなりました。
それまでのAuthenseは、債務整理という1つの成長分野で急拡大してきましたが、新Authenseは債務整理からは完全に撤退し、あらゆる分野を取り扱う「総合法律事務所」を事業ビジョンに掲げ再スタートします。

管理部門の再構築

Authenseは、足りない従業員の採用を進め、年明けには20名程度の人数で事業を再スタートしました。
私は、管理部長として、また0からAuthenseの管理部門を整え始めました。

Authenseに最初の管理部門の社員として飛び込んだ時も30名程度の規模でしたが、今回は、2回目の創業だったので大きな混乱はなく、Authenseと弁護士ドットコムの管理部門を徐々に整えていくことができました。
弁護士ドットコムは、上場に向けて管理部門をAuthenseから独立させる必要があったので、新しい社員を採用し、1年弱の期間をかけて教育や業務の引継ぎを行いました。この時採用した彼は、弁護士ドットコムの上場までその役割をきちんと果たすことになります。
弁護士ドットコムがAuthenseから独立した瞬間でした。オフィスも違うフロアに移動しました。
ただ、まだ資金がなかったので、改装もほとんど手を加える事が出来ず、古めかしいオフィスでしたが、皆、すごく嬉しそうに引越しの準備をしていた姿を今でも良く覚えています。

弁護士ドットコムが独立したので、これからは、Authenseの事業に集中できます。この頃からAuthenseが強く意識していた事は、事業会社のような組織作りでした。
弁護士業界は、ボス弁1人の個人経営の事務所が大多数を占めている世界です。仮に拡大しても個人経営のまま拡大している事務所も多いのが実情です。
そんな中、Authenseは、弁護士やパラリーガル以外の管理部門の構築に力を入れて進み続けました。

総務、人事、経理と言った一般的な管理部門だけでなく、セールス、マーケティング、システムなど様々な部署を作りながら組織化を推し進めて行きました。参考までに、今のAuthenseの組織体制はこちらの通り(まだまだ進化中です)

プレゼンテーション1


人事制度の構築や規定の整備、入社研修の導入、システム導入とやる事は山盛りでしたが、皆、同じ方向を目指してがむしゃらに働いていました。
この頃は、案件数に対して、弁護士、パラリーガルも不足していたので、弁護士はいつでも歩いて帰れるように会社のすぐ近くに住んでいました。

Authenseが引越したビルは、六本木にある黒崎ビルというビルだったのですが、このビルは、出世ビルとして縁起が良いと噂のビルでした。
このビルで上場前に熱狂的に働いて、上場して行った企業を多数輩出していたのです。

Authenseと弁護士ドットコムも、その黒崎ビルでそれぞれの未来の成功を夢見て必死で走り続けました。

3人目を産む決意

再婚して1年半経ったころ、私は「夫との間の赤ちゃん」について考え始めました。
実は、再婚する時、夫には「すでに2人の子供がいるし、今の仕事を辞めたくないから、子供は作らない」と言って結婚していました。
夫も了解していたので、当初は子供を作る事は考えていませんでした。

ただ、ふと「夫は本当は、子供が欲しいんじゃないか」と思うようになり、恐る恐る聞いてみると「本当は欲しい」とのこと。
もし、3人目を産むなら年齢もあるし、いつまでも先送りにはできません。

ただ、家事・子育て・仕事で24時間限界状態の今の私にさらにもう一人子供ができてしまったら、今の仕事を続けるのは難しいかもしれない。
非常に悩みに悩みましたが、最終的に出した結論は「子供ができて産めるなら産もう」でした。

2人の子供がいるシングルマザーだった私と結婚して大きな幸せをくれた夫が欲しいと思っているなら、後悔がないようにしたいと。
ただ、また、あの大騒ぎの子育てを0からやるのかと思うと、なんとも言えない複雑な気持ちでしたが…

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どうにもならなければ、仕事は諦める覚悟でした。代表の元榮に「3人目を産みたいと考えている」「そうなると、仕事を続ける事が出来なくなるかもしれない」と伝えました。
元榮の回答は「再婚した時から、こういう時が来るかもしれないと思っていた。応援するよ」とのことでした。

実は、Authenseに入社する際の採用面接で、私は元榮に「この先、再婚するつもりもないし、子供は2人いるから子供もこれ以上産むつもりはない」=仕事に専念するという話をして入社していました。
そんな約束を元榮が覚えていたかどうかわかりませんが、快く受け止めて、応援してくれました。

実家からの自立

ちょうどその頃、私達夫婦は引っ越す事を考え始めていました。
場所は、私の実家から離れた神奈川県です。実家からスープの冷めない距離に住んでいた私達でしたが、この引越しで実家から完全に自立するつもりでした。

実家の近くに住んでいれば、私はフルタイムで仕事が出来、子供が病気でも母が診てくれ、仕事が遅くなれば、ご飯を食べさせていてくれる。自分のキャリアを考えるなら、このまま実家の近くにいる方が仕事に専念できます。

反面、母との距離が近くなり過ぎる事で、私は甘えてしまうし、自分のキャリアより子供達の母親としての生活を優先して欲しい母との間に争いも増える。母にこれだけ負担をかけているのに、私は息苦しさを感じ、自由になりたいと時折思っていたのでした。

母も、毎日毎日孫達の面倒を見ていれば、ただ孫が可愛いから甘やかしてしまう、そんなおばあちゃんではいられません。
実家から完全に自立する事で、母と息子達を本来の孫とおばあちゃんの関係に戻したかった。
私も自分の力で仕事と家事、子育てをやり切らないと本当の自由はないように思えました。
そして、私と母も普通の母と娘の関係に戻る時が来たのではないかと思いました。

3人目を産もうと決めた後、私達家族は実家から離れた神奈川県に引越しました。

引越しの日、父の車で私と子供達は引越し先に移動しました。行きの車の中で、母は不安で泣いていました。自分の目の届かない場所に行ってしまって大丈夫なのか。再婚は許したけれど、本当は、不安だったのだと思います。
そんな母の涙に、父は「くだらない心配して泣いてんじゃない」とぼそっと一言言って、終始無言で運転していました。

Authense初の在宅勤務の管理職

次男が小学校1年生になる春、私達家族は引越しました。私は元榮と相談し、これから先は、在宅で勤務する事になりました。
当初は、管理部長となる人を採用し引き継ぐ予定でしたが、ギリギリまで良い方が採用出来ず、私は管理部長のまま在宅勤務に入る事になりました。

私が再就職してから、子供達にはたくさんの負担や我慢をしいて来たから、在宅勤務する事で、これからは一緒にいる時間を増やしてあげたいそんな思いもありました。
在宅勤務で出勤は週に一回程度。子供達は、家に私がいる事を喜び、私も仕事をセーブしながら働いていました。

そして、引越ししてすぐに3人目の妊娠が分かりました。夫は大喜びでした。久しぶりの赤ちゃんに私も気持ちが盛り上がり、新居で赤ちゃんを迎える準備を始めました。

エコー

妊娠中は在宅勤務しつつ、週1日程度出勤していました。ただ、今でこそ、在宅勤務が一般的となりましたが、当時は異例の状況でした。
管理部長が在宅勤務で週1日しか来ない。そんな状況でどんなに頑張ってもうまく行くわけありませんでした。
夜、子供達が寝てから、みんなの日報に目を通し、1人づつコメントをつけて返す、そうやって労働時間は長くなり、負担は増えて行きましたが、そんな事では埋められない難しさがありました。

コミュニケーションツールも限られていて、もっぱらメールか、緊急時の電話のみ。
今までは面と向かって話をすることでうまく行っていた部下との関係が上手く行かなくなり、自分が思っている事の1割も伝えられない、そんな感覚でした。
部下の方も、いつも一緒のデスクで仕事をしていたから伝わっていたことが私に伝わらない事でどんなにストレスがあったことでしょう。
途中何度か、苦しんだ部下が家まで来て話をしたこともありました。

それでも妊娠中は、行こうと思えば会社に行けたので、なんとかなっていましたが、出産後は、状況は悪化の一途をたどりました。
時代の先を行ったかに見えた在宅勤務は、全く上手く行かなかったのです。

産んだ後の作戦を考える日々

妊娠中、私は、出産後どうやったら3人の子育てと仕事を両立していけるか作戦を考え、上手く行くためのイメージを頭の中で何回も何回も作っていました。
未来の目標をこうしよう!とイメージしたら、そのイメージを繰り返しイメージして、戦略を練り実現させる。私はそんなタイプなのです。

長男と次男の子育ての経験上、1番難関になる可能性があるのは、寝かしつけだと考えました。

私は、夕方家事をしてから、子供達が寝た後20時以降仕事を再開するスタイルだったので、寝かしつけに時間がかかってしまうと仕事が成り立たなくなると考えたのです。
産後は、育児休業を取る予定でしたが、引き継げない仕事もありましたし、完全に休む事は、当時は難しかったのです。

寝かしつけがいらない赤ちゃんに育てようと決め、本を読み漁りました。
1人で寝れる子に育てば、1日に何回も発生する寝かしつけの時間がなくなります。
寝かしつけの儀式(抱っこする、添い寝する、ミルクを飲むなど)が一度習慣になってしまうと、赤ちゃんは、その習慣から離れる事が出来なくなるので、その習慣を作らない事がすごく重要でした。

「後から困る事になる習慣を作らない」
そこがポイントでした。寝かしつけ以外もあらゆる事に応用しました。

おくるみ

私は、在宅勤務をきっかけに、仕事と家事、育児を融合して働く公私融合型の働き方を徐々に作り上げて行き、家事スキルがおそろしく低かった夫と合わせて、男の子3人の育児と家事をやり切る土台をなんとか作り上げました。

さて、準備は整いました。
3男が産まれてどうなったのでしょう?
産まれた後の奮闘は、また次のお話しにしたいと思います。

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