始まりを森羅万象に問いてみよう
第3週 4月21日〜4月27日の記憶。 それを探る試みです。
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。
今週は、自分がどこに向かっているのか、社会通念的な考えをやめて
日常の中で眠っている歓喜からみいだしてみてね。という導きです。
では、読み解いていきましょう。
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森羅万象に語りかけよう
わたしを消して
そして始まりを思い出す
肥大化してゆく自我から
大いなるものが解放してくれる
私に与えられた日常から
存在の本質を掘下げることで。
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身近な森羅万象にひたる
一行目は、直訳すると「宇宙に語りかけよう」になります。宇宙の果てはどうなっているのか?宇宙の外側ににはまた宇宙みたいなものがあるのか?このような話をしていると、オモシロくて、すぐ時間がたってしまいます。
宇宙でも、けっして悪くはないのですが、もう少しかみ砕いた詞(コトバ)を探してみみたくなりました。なぜなら、常に自然の動きに敏感にそこからヒントをえるという、シュタイナーの暦のコンセプトからすると「森羅万象」というのが近いかもしれないとピンときました。
「ぼく達は森羅万象の断片ながら、やはり最終的には『永劫』という究極の存在の断片である」と三省さんは述べておられます。
屋久島に住まわずとも、都市部でも自分が観測できる五百メートルか一キロメートル四方の範囲を歩いてみれば、どれほどの森羅万象がひそんでいるのか?を観察できるかもしれません。
あなたが森羅万象の断片としてあるのであれば、それは、究極のもの。すなわち「宇宙の果て」に意識をとばすことと同質なものであるのではないでしょうか?
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始まりとは
あなたは、崇高な次元に向かって成長しています。エゴ的な、物やお金や地位名誉などがどれほどのものか?これらも、心と同様に非常に大切にしなければいけない要素なのは間違えありません。ではどう、考えたら良いのでしょうか?
新規事業などをイケイケでやっている人の講演会の中で聴いた話です。どのようなモチベーションで日々を過ごすのか?いっけん、表現の世界とは、遠く感じるかもしれません。でも共感満載なので、あなたにも、ぜひ一度は読んでほしいメッセージなのです。
内村鑑三氏の「後世への最大遺物/デンマルク国の話」の中で、
お金、事業、大いに結構と述べられています。バンバン稼げと!
社会を豊かにするから。
でも、すべての人がそれを実行できるはずもなく、であれば、
本や思想を残すこともありであろう。と続き、
でも、それもハードルが高いのであれば…。
「私に何かできるの?先生!」と話がつながってゆきます。
この講演録ホント大好きなのです。
まず、「お金は大事だよー」から始まるところ、でも、その絶望感みたいなところから次々と展開してゆく話。
そして、最後に行き着くところ、
逆説的に、すべての基盤となるところの
勇ましい高尚なる生涯とは?
何か、「美しい生きざま」のようなものか?
日々、歓喜の中で崇高な次元に向かって成長してゆくために、始まりと終わりをイメージしてごらん!ということにつながらないでしょうか?
あなたが『永劫』という究極の存在の断片であるとすれば、始まりと終わりは通過点でしかありません。心の成長のために本質存在として、この世で、生きている「原点」みたいなものを日々感じて生活したいものですね。
絶望の末の、今日が「原点」もアリなのです。
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花が咲く
咲きほこる花々を観ていると、我が人生、これから栄光に満ちた瞬間を迎えられるのだろうか?とか、あのときが我が人生の満開の時季だったのかもなぁ…、などとついつい未来や過去のことを考えてしまいませんか。
でも、人生は一期一会。
過去も未来も大切ですが、今この瞬間を見つめ、その美しさや喜びを心から味わい感じられることが、ホントに貴重な瞬間なのです。
美しい花々の咲く姿を見つめるとき、過去の栄光や未来の期待にとらわれるのではなく、今ここで光り輝く花々とともに、子どものように「わー!」とか「うぉー!」とか声をだして歓喜してみませんか?
生きる喜びに心を揺さぶられる体験、最高だと思いますよ。
声に出して表現してみると今日という日が、あなたの人生における心躍るの瞬間であることを思い出させてくれるはず。
日々の小さな出逢いが、一輪一輪の花を咲かせ、
あなたの人生もまた、美しさを増していっていることでしょう。
内界的には、花に始まりも終わりもなく
常に咲き続けているのでしょう。
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シュタイナーさん
ありがとう
では、また
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