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心に透明を満たしたら始まること

第44週 2月2日〜2月8日 の記憶。 それを探る試みです。 
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。

今週は、芽吹きを待つ木々たちと自らの成長を重ね合わせて
ヒントがえられるかもしれません。

アーティストたちはフロー状態やゾーンに入ることでひらめきを得ることができるといわれています。この状態は心が何か透明なものに満たされた状態であり、その透明なものとは何なのでしょうか?

では、いってみましょう。

S‘. VIERUNDVIERZIGSTE WOCHE (2. FEBR. – 8. FEBR. [1913]

44.
Ergreifend neue Sinnesreize
Erfüllet Seelenklarheit
Eingedenk vollzogner Geistgeburt
Verwirrend sprossend Weltenwerden
Mit meines Denkens Schöpferwillen.

Anthroposophischer Seelenkalender, Rudolf Steiners,1913


  新しい感覚の誘いに気づき
  心を透明に満たす
  かつて生まれた瞬間へと立ち戻り
  もつれながら生成の枝が伸び
  私は創造的な意志を継ぐ


セレンディピティ

アートはセレンディピティの連続なのです。

セレンディピティ(Serendipity)とは、偶然の産物や探していたものと異なるものを発見する幸運な偶然を指します。この言葉はホレース・ウォルポールが生み出した造語で、『セレンディップと3人の王子(The Three Princes of Serendip)』というおとぎ話が語源とのことです。

作品を制作する中で、「たまたまできちゃった?」と
おちょくられることがよくあります。

締め切りが迫り、作品に何かこれじゃない感がでてしまったとき、思い切って大胆な行動をとることがあります。絵の具をめちゃくちゃに塗りたぐり作品をぶ壊すのです、すると、そこには予想外の実像が浮かび上がってきます。これがセレンディピティと呼ばれるものです。

多くの歴史的な発見や功績にもセレンディピティが絡んでいます。たとえば、ニュートンはリンゴが木から落ちるのを観察し、「万有引力」を発見したり、フレミングは実験中に誤って青カビを発生させ、「ペニシリン(抗生物質)」の抽出に成功したことなどがあげられます。

しかし、これらの出来事を「たまたまできちゃった?」と
揶揄することはできません。

むしろ、アーティストや科学者は真剣で純粋無垢な行動を通じて、自分の意図を越えた新しい発見をもたらすために懸命なのです。

「ひらめき」はしばしばフロー状態やゾーンに入っているときに訪れると言われます。それは、極限の集中力で心が無になっている状態をしめしていることが多いように感じます。

しかし、実は、その瞬間には心が何か透明なものに満たされた状態が重要なのです。つまり、空っぽなのではなく、まだ人類史で言語化されていない、透明の触媒が満たされているのではないか?というのがポイントなのです。

言葉で表現されえない、何かが存在する状態です。
この透明の触媒に満たされ、幸運な偶然を引き寄せるのです。

なにかセレンディピティーをえたときに
この透明な何かを感じませんか。


  

2024年2月枝木

  

シュタイナー超訳に挑戦している中で、先人たちが今週の日本語訳をどのようにとらえているか?ということを、さまざまな翻訳を読み、勉強させていただいています。

しかし、難解だなーというのが正直なところです。

まだ掘り起こされていない何かがそこに眠っているとはずなのだ、と身の程知らずに感じてしまう理由なのです。

感覚的ですがドイツ語というのは、とても硬い言語だなーと感じてしまうことたくさんあります。でも、そこが魅力で好きなところでもあるのですが、日々読み返すには抽象度が高すぎるなという点。

もうひとつは「こよみ」なので、日本に合わせた、季節感をしっかりと言語化してゆきたいという点の二つを自分レベルに調律していけるように心がけています。

ドイツは、東京と比較すると、平均して5度から10度ほど気温が低めとのこと。なんとなく北海道の帯広あたりの雪が少なめの風景を頭に描きながら、シュタイナーが日々観ていたであろう自然の呼吸感みたいなものを表現できるといいなぁ、みなさんもその季節から身近な感覚を呼び起こすせるのではないかと考えています。

その工夫が、シュタイナーの哲学がより深く理解される一助になるとよいのですが。
  

  かつて生まれた瞬間へと立ち戻り
  もつれながら生成の枝が伸び
  私は創造的な意志を継ぐ

今週のこの訳も

  精神的な誕生が達成されたことを意識して
  世界は紆余曲折を経て芽吹いていく
  私の心の創造的意志で

コンピュータで訳すとこんな感じになります。(なんかですよね…)

で、シュタイナーは真冬のさなか、葉が落ちた木々をみつめることで、詞が紡ぎだされている可能性をふまえて言葉を選んでゆきたくなってしまうんですよ。

シュタイナーの言葉が大自然や季節感に触発されて生まれたものである可能性を考慮することは、翻訳の中でその雰囲気や感覚を大切にする上で重要な忘れてはならない要素なのです。感性や直感が翻訳の中で発揮されることで、原文の深いニュアンスや意味が伝わりやすくなりはしないか。ということを、思考しているわけなのであります。

そして、セレンディピティーとシンクロニシティーの違いを意識し、それぞれが表現において異なる役割を果たすことも重要なのです。セレンディピティーは予期せぬ偶然の発見をしめし、シンクロニシティーは意味のある偶然の出来事や関連性を指します。両方を活かすことで、翻訳に深みと奥行きがでるのではと考えているのです。

今週はセレンディピティーについて少しご説明しましたが
シンクロニシティーについてもも機会があれば深掘ってゆきましょう。


さて、心が何か透明なものに満たされた状態とは、
その透明なものとは何なのでしょうか?
いまの段階でハッキリとつかむことはできませんが

かつて生まれた瞬間へと立ち戻り、生まれる前の記憶
そういった類いのものでどうやら私は生かされているらしい

なんとなくですが
そんな感じがしてきております。

みなさまはどうでしょうか?




シュタイナーさん
ありがとう

では、また


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