みえない心は世界へと発光する
第43週 1月26日〜2月1日 の記憶。 それを探る試みです。
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。
今週は、いよいよ本格的な寒さになってまいりましたね。
寒さに負けず内なる炎で外界に向け行動せよ!
という正月ボケをぶっとばす気分を訳にこめてみました。
では、いってみましょう。
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冬深き今
大いなるものの真実を受け入れ
世界へと発光する
みえない心による存在の力
冷たき世界に抗う
内なる気焔。
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精神(Geist)とは?
シュタイナーは、人間は、体・心・精神(Geist)の3層構造になっているといいます。
ここで、心と精神(Geist)の違いは何かという質問がでてきますよね、日頃使っている精神という言葉と、シュタイナーの翻訳の中で使われる精神の意味合いにはかなりのギャップがあるように感じました。
精神は、人間の抽象的な認識力や思考を基にした意志力などの意味合いで使われることが多いように感じます。「精神論を振りかざすな」といったようないいまわしは、その人の心の一部分のことをいっているのです。悟性、知性などといったニュアンスに近い使われ方をしています。
それに対して、シュタイナーが語る精神(Geist)は、ドイツ語の意味合いかどうかは専門家ではないので詳しくは学んでいませんが、生命や宇宙の根源や形而上の存在として使われていたり。日本語でいうと霊や魂といった言葉に訳されてしまうのが現実です。
霊や魂といった言葉は、スピリチュアルなニュアンスが強すぎて、個人的に入り込めない世界なのですよ(スミマセン)。おそらく、そのような存在がいるであろうことに対して否定はしませんが、多くの人に哲学的なシュタイナーの考えを伝えたいとの想いで「大いなるもの」という言葉を使わせていただいております。
まぁ「大いなるもの」という表現もややバズワード的なニュアンスを感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、唯物論者の方もこの表現をしているので、参考にさせていただいております。
精神の真実を受け入れ
とするか
大いなるものの真実を受け入れ
とするか
自らの内なる理解に従って行動するか、
宇宙や生命の根源に対する理解に従って行動するか
シュタイナーの思想の本質は両方を含んでいるのですが
大は小を兼ねる(笑)ではなく
根源的なものからの洞察によって自分の意思で行動する意味をこめ
下の訳の方がなんかしっくりきませんかね?
*
シュタイナーの言葉を追ってゆくことで、心についてや精神(Geist)=おおいなるものについて学んできた事もあって、心と精神(Geist)の違いを整理できると良いかもしれませんね。
心は、外界の出来事に反応して刻々と移りゆく美を感じる力。
精神(Geist)は、不変に自己を越え永劫無限につながり、続いてゆく力。
心は、意識や悟性を「喜怒哀楽」でつかむ力。
精神(Geist)は、直感的に「真善美」を感じる力。
かなり、ぶったぎった表現になってしまいますね。
なんとなくニュアンスをつかんでくださいませ。
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水仙は、水辺で咲く姿を仙人にたとえて名付けられたそうです。
公園も冬を迎え、あまりに風が強く極寒な日には人がいません。遠くの方にこの寒さを楽しんでいるかのようなカップルと、池の淵の水仙の群生地に白い服を着た初老の男がカメラを手にもうずいぶんと長い時間その場を占領していました。
カップルのふたりはどんな話をしているのでしょうか?
「わたしがオバさんになったら〜」って曲を知ってる?
彼女が彼氏に問いかけました。
「あぁ、カラオケでウチのかあさんが歌ってたよー」と彼氏。
「へー、かあさんとカラオケに行ったりするんだー?」
カメラ仙人は、そんなカップルの探り合いなどお構いなしに、ひたすら厳格な厳しい修行をしているかのごとく、カメラの位置を少しづつずらしながらひたすらシャッターを切っているようでした。
ふと、そこに、ダウンジャケットを小脇にかかえたティーシャツ姿の外人さんが早足で横切ってゆきます。寒い国からの旅行者なのでしょうか?いくら早足でウォーキングをしてもそこまで体は熱くならんだろと思うのですが…。カメラ仙人の横を、花にも気づかないのか、通りすぎてゆきました。
心は、目の前で起きている人間ドラマをおいかけ
精神(Geist)は、毎年咲くであろう水仙の輝きに心をうばわれている
みなさまも、内界を探ってみる冬の散歩はいかがでしょうか?
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シュタイナーさん
ありがとう
では、また
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