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いまさらながら「スピリチュアル」について考えてみた

兄弟夫婦でLINE電話をした時に、"見えないもの"の話になったのですが、兄の口から「こういう話は一般の人に言っても伝わらんよ。」という表現が出ました。
※兄も少し視えるタイプ。

兄の表現に、私はハッとしました。
そっか、つい最近まで私も分かってもらえるはずがないと思っていたなと。

今、私はハイヤーセルフリーディングなどサイキック能力を活かした仕事をしているので、今の私の周りには"見えないもの"の世界観に理解ある方々がたくさんいます。
サイキック能力をもう隠していないので、通常の講師業やコンサル業の時も、自己紹介で話すことが増えました。(皆意外と受け入れてくれるのよ。不思議。)

改めて、スピリチュアルって何なんだろうな〜と思いまして。
昔の私に向けて説明してみようと思います。
※私は学者ではないので、「昔の私に向けた説明」という意識で読み進めてくださいね。

スピリチュアルとは

辞書を引くと、以下のような意味が出てきます。

「精神的な、霊的な」
「崇高な、気高い、魂が動かされる」
「宗教的な、教会の、聖職の」
「気質[精神]が似通った」
「超自然的な、心霊現象の」

もう少し根本を理解するために、語源を確認。

spiritual(スピリチュアル)は英語ですが、語源はお分かりの通りspirit(スピリット)。そこにalがついて様子(様)や状態を表すspiritual(スピリチュアル)となります。

spirit(スピリット)は「精神、魂、精霊、生命力、活気、気力、心持ち、熱情、真の主旨」など様々な意味合いを持つ単語。
つまり、spiritual(スピリチュアル)の本来の意味は「精神的な、魂の、霊的な、活気ある・・」ということ。

「宗教的な、教会の、聖職の」という意味が出たのは、スピリチュアルがキリスト教文化の中で使われたものだからだと思います。

上記のように語源を辿っていくと、精神とか生命力、魂、活気など、私たち人間になくてはならないもの、当たり前にあるものという事が分かります。

日本の中の当たり前の文化

気持ち、気配などに使われる「気」は目に見えないものですが、日本では当たり前に使われています。
相手の気持ちを思いやる、配慮する、礼を尽くすなどの文化や教えは、まさに精神性の文化。全身全霊、精魂込めてといった言葉も当たり前に私たちは使います。

気も精神も霊も魂も、どれも目に見えないものですが、日本人にとっては当たり前の感覚だからこそ、昔から日常的な表現になっていますよね。
「はい!ここからは精神性の分野です!」と毎回区別や分類はしません。
悲しそうな人がいたら当たり前に気持ちを察するし、大自然に行ったら癒しのエネルギーを感じるし、神社に行ったら厳かな気持ちになるし、いざと言う時は神様!って思う。

だからこそ、「スピリチュアル」という表現が外国から入ってきて、逆に「ナンジャソレ」ってなったのではないかと思うのです(笑)
改めて区別すると変な感じがしたり、もしくは企業や機関や何やかんやの思惑が入り、怪しいものの雰囲気を醸し出したのかもしれません。。

先日、モンゴル出身のお客様がいらっしゃったのですが、「モンゴルではスピリチュアルと区別しません。当たり前に感覚があるから。」とおっしゃっていました。
キリスト教文化の国も同じです。区別は特にしないそう。
(もちろん、人によるでしょうけれど)

この区別しない感覚、日本と同じだよね〜と思いませんか?
日本人が様々なところに神様がいるって感じていること、神社やお寺を神聖な空間と感じて大切にすること、人の言葉の奥の気持ちを汲み取ろうとすること、動物のエネルギーから癒しを感じること、、全部、スピリチュアルです。

スピリチュアルな感覚はインプットが増えること

私の解釈では、スピリチュアルな感覚は、当たり前に感じている様々なスピリットやエネルギーとの繋がりを愛し大切にすること。

自分自身の(目には見えない)奥底の感覚や願いや直感を大切に扱うこと、
全ての人が持っている(目には見えない)本質的な素晴らしさを見る観点、
植物や動物、大地、様々なものにある(目には見えない)スピリットを尊重し、癒しを受け取ること、
様々なものは全て繋がっていると感じ、あたたかさを感じること、、

どれも目には見えないけど、証明する必要はなくて、当たり前にある感覚。
私たちがすでに持っている感覚です。

証明できるものや、論理的なもの、先人が結果を示してくれているもの、そういうものに、自分の直感や他のスピリットからの応援のエネルギーを足していく。
スピリチュアルな感覚は、インプットが増えることだと私は思います。

私のお客さんには、プログラミングをしている方や設計をしている方、理系の研究者の方などもいらっしゃいます。
すでにご自身が培ってきた思考やスキルに、見えないものの感覚を足していくと最強だな〜と毎回思います。

昔の私に言いたい

昔の私は、自分の直感や、霊的感覚を恐れていました。
他の人と違うって、気持ち悪がられるんじゃないかって。

全然怖がる必要はないって分かりました。
人間も動物も植物もみんなスピリットがあって、スピリチュアルな存在だから。
当たり前の感覚を、わざわざ区別する必要は本当はないのでしょう。

今は、分かりやすさのためにスピリチュアルやヒーラーという単語を使っているけど、そのうちこの言葉さえも古い感じがする時が来るかもしれないですね。

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お読みくださりありがとうございました。

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