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日本語のこと

真夏のような暑さを感じながらも、
早朝と夜はそよ風と穏やかな空気感が心地よい季節!

今は、桑の実が毎日どんどん熟していて
収穫してから朝が始まる。

熟するのが早いので、
収穫して洗ったら冷凍しておいて
それをスムージーに入れると
色は鮮やかなピンク色になり、
ちょっと冷たくて見た目も味も美味しいのです^^

先週から今週にかけて
滋賀、京都、奈良を巡っていました。
三重県も通ったかな(通過のみだけど)。

色々思うことがあって書きたいことが山ほどあるのに、
このところなかなかパソコンに向かうことができず、
今日になってしまった。。。


今日は、鞍馬寺の満月ウエサク祭に行った時のことを
書いてみたいと思います。

といっても、
そこに行くことを決めたのはその2日前で、
5月の満月って鞍馬で何かあったよなーと急に思い出し、
急遽向かった感じだった。

5月の満月の日は、
宇宙から地上に強いエネルギーが降り注がれると言われていて
昔から鞍馬山では
「自己の魂の目覚めを祈る儀式」が続けられてきた。

その儀式は
ヒマラヤ山中やインドでも5月の満月の夜に行われてる
ウエサク祭に通ずることから、
鞍馬山でも多くの信徒に呼びかけて共に祈りを捧げるようになったのが
昭和29年らしい。

そもそも「ウエサク」とは、
サンスクリット語でVaiśākha(インド暦第2月・ヴァイシャーカ)の音訳。

釈迦の降誕、悟りを開いた日、入滅の日が
すべてヴァイシャーカ月の第一満月の夜だったという伝承から
毎年5月の満月の夜にこの祭が行われているとのこと。

この日は晴れていたので、
満月も綺麗に眺めることができたんだけれど、
この満月が本殿に向かって置かれている石?の真正面に位置していて、
この月の位置を考えて設置されたんじゃないかなと思うくらい、
ピッタリ既定な構図だった。
美しかった。

祈りの儀式は
キャンドルを掲げながら祈りを捧げた後
月光を浴びた明水をいただくという流れ。

ご神事中は撮影禁止だったので撮っていないのだけれど、
(撮ってる人はたくさんいたけれど、、、)
キャンドルが並べられてご神事が終わった後の光景は
ずっとみていられるほどに綺麗だった。

「火と水」

いつでも祈りの時は「火と水」がある。
もちろん、そこに「神」を見るという意図はあるのだろうけれど、
どちらも私たちが
本来の自分、源である自分、本能、野生、、、
そういったものを思い出すために最も必要なエレメント
なんだと思う。

火の揺らぎを見ているだけで
水のせせらぎを見ているだけで
穏やかな気持ちになり、
自分の中に静けさが戻り、
今ここにいられるようになるのは、
火と水の偉大なパワーのお陰。

ウエサク祭、
今までずっと行けなくて、やっとのことで行けたので
とても有意義な時間だったのだけれど、
とても残念に思ったのが、
英語のアナウンスのこと。

祈りの言葉が日本語で一文言われるごとに、
英語に訳されてたんだけれど、
英語にしてしまうと
言葉のエネルギーが全く変わってしまって
神聖な祈りの言葉が急に
エンタメのようになってしまう瞬間が何度かあった。。。

そもそも「祭」と「festival」とは違う感じするよね(笑)

やはり日本語は何か特別なものなんだと思う。
想像力を働かせるような表現方法が多いし、
右脳も左脳も両方使わせられるような言い回しも多い気がしている。

日本人の脳の特異性は、
特別な教育によって作られたのではなく、
「日本語」によってなされたものだと思う


と先日読んだ中澤弘幸先生の本にも書かれていた。
(この本については、昨日のブログでご紹介しました!)

日本語を話しているだけで、
何か脳の機能が高度化しているのであれば
もっと今使っている言葉を大切に話したいと思う。

そして翌々日、
奈良の神社に行ったときも
自分は日本人なんだなーと感じた出来事に遭遇しました。

その話はまた今度にしたいと思います^^

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