おはようございます。

今日、日曜日の早朝、前からふと気になっていたnoteを始めました。

今割りと落ち着いている、こんな時にしか書けないなって思うので、ゆっくりと書けるところまで。

私には少し年の離れた優しくて不幸で絵の上手い大好きな姉、その姉を愛することが出来なかった可哀想で無責任で毒親気味な母、母の言いなりで無関心で未だに心中が分からない父がいる。

この家族は歪で、それぞれ違った苦労をしていて、だからこそ反発し合って、けれど理解はし合えない、私も含めて。 

 幼少期、友達が勝手に食べたアイスを分かってて姉のせいにしてその子の前で叱り、帰宅してから「ああするしかなかった」と幼い姉に言い聞かせたらしい母、短大まで行ってブラック企業に勤めて死ぬ直前まで追い詰められた姉に「キチガイ、頭の悪いお前が悪い」と罵る母、姉の唯一の趣味で生きがいの絵を描くことを「気持ち悪い、暗い」と否定する母。それ以外にも数え切れないくらい、私が知らない間にも些細なことで姉にぶつかった癖に、今頃になって「許してくれ」と遠巻きに姉に縋る気持ちの悪い人間。

小学3年生になって3日目の日、共に遊んだ友達に遠くの知らない場所で先に帰られ、自転車で迷子になって顔をグシャグシャにしながら泣いて転んで怪我をして、周りの大人は声をかけてくれず、漫画やドラマのように母が優しく抱きしめてくれると信じてようやく帰宅したらジャケットで殴られ飯は抜かれ、挙句の果てに養子に出すと1年程脅された私。(これは姉がこっそりあれはウソだと教えてくれたのでその呪縛から解き放たれた、それを母に言ったら思い出したかのように軽く笑われた。当時はひたすら安心したけど、私は毎度何かで怒られる度にそれで脅され、トラウマになっていた)    友達には翌日「ごめんね」と軽く言われ、母にはもう友達と遊ぶなと優しくなだめられた。私には許してもらうことが1番だったので全て受け入れた。

私も姉の半分程でしか無いだろうが、それでも厳しく当たられ何かで叱られる度に物を捨てられ髪を短く切らされた。

小学6年生の時、車の運転が出来ない母の為によく自転車をこいで買い出しに行っていた。ほぼ毎日。それを喜んでくれることが嬉しかったから。しかしその時に10円のお菓子を自分へのご褒美に買う事を怒られた。そんな見返りを求めるなと。 そんなある日にいつものように自転車で買い出しに行っていた帰り、カゴから財布と携帯の入ったポーチを落としていた。後から発覚した母には案の定こっぴどく叱られ、優しい人が一銭も盗らずに交番に届けてくれていたが、当時4年ぶりにして人生最後になるはずだったディズニーランドの家族旅行はドタキャンされた。結局あれ以来私は家族旅行をしていない。(したくもないが)

同じ歳に、クラスの男子にどつかれ、とても怖くて悲しくて、弱かった自分は母に相談した。実は小学5年の時にも同様のことがあり、母に話してみたら思いの外深刻に考えて、相手の親に電話をしたのである。その時の子は母の前では臆病ですぐに謝ってきた。 私も何かあれば母が助けてくれるとそこで勘違いして甘えていたのが良くなかったのかもしれない。その時も同様に母に電話してもらうと、相手の母親は認めなかった。学校でお互いの親と担任の先生と話し合いという形になり、結局その効果で卒業までその男子からの暴力は無かったが、相手の親はあまり納得がいっていなかったようで、担任は体育会系で遠巻きに私にも甘えがあるのではと言う圧を感じたし、母は自分が勝てなかったことへの怒りか、わたしにことあるごとにその時のことを一生償えと、しばらく、長い間、3年ほど責められた。クラスの子はそれを機にその男子を嫌い始めたが、かと言って私の味方という訳でもなくて、私は結構厄介者扱いで、他の男子には罵られたりもしたし、クラスカーストは下の層だった。

中学1年の頃、いつものように母の為に買い出しに行った帰り、買った詰め替え用洗剤のパッケージの端が別の洗剤のパッケージを切ってしまっていて、帰宅した時にはビニール袋は洗剤まみれだった。 当然怒られたが、当時私はそうなることを知らなかったし、気を付けて持ち帰るんだよとも教えられてなかった。(普通の人なら分かっていたかもしれないが) そもそも善意で毎日買い出しの手伝いをしていたので、思わず当時つけていた日記にそれを愚痴ってしまった。

同じ歳に、友達と大きめのショッピングモールに遊びに行った時、ダサい茶色のズボンを吐かされたのが恥ずかしくて母に嫌だと言った。その時に限ってクラスの男子に会うし、13歳ならそれなりにオシャレもしたかった。でも帰宅したらやはり怒っていて、次の日に「どうせ悪口でも言ってるんだろ」と問い詰められ、怖くなって、日記に少し悪口を書いてしまったと、言ってしまった。言わなければ良かったのに、その時はバレる方が怖くてつい口走って。 その後は人生で1番長く怒られた。 急いで母が来る前に1番愚痴ってたページ は破り捨てたけど、もうその後は蹴られるし叩かれるし、こんな奴なら産まなければ良かったと泣かれるし、ジャージを用意され、夜まで追い出された。当然髪を切らされ、毎朝迎えに来てくれた友達に来ないように言えと言われ、学校でも友達と喋るなと言われ(性格の悪いお前には友達はいらない、いれば私の悪口を言うだろうと)、帰宅すればジャージで夜の7時頃まで追い出されるということを2週間続けられた。 その間本気で母に酷いことをしてしまったと反省した私は朝学校に行く前に白い紙に反省文を書いて置いておいたけど、帰宅したら上から黒いペンで「大嘘つきは死ね」と書かれて置いてあった。帰ってきた母には当時私が体育で使っていた竹刀で叩かれたし、結局全て無駄だった。 私からのモーションであの人の気が変わることはなく、あの人の気が治まるのを待つしか無かった。


この他にもここまでではないにしても数え切れないほどそういうことはあったし、姉と違って、つい反発してしまう私は強めの罰を与えられがちだった。ゲーム機は目の前で水浸しにされ、お気に入りの人形は首を切られてた。 容姿のことで周りに色々言われて泣いていた時もむしろ怒られた。

高校生にしてようやく減ってきて、姉と違って高卒でしかもなかなかの良い会社に入社した私はかなり母に可愛がられた。母の思い描いていたビジョン通りになったからである。 

社会人1年目の時にまぁ要領の悪い私はめちゃくちゃ怒られて毎日追い詰められて死にそうになっていた。待遇はいい会社だったから辞めたくもなかったし、何より辞めれば姉同様に罵られると思って、怖かった。辞めるくらいなら死ぬ。その時母に精神的に助けられたことは思い出す限り1度もない。経験上無駄だと分かっていたから。 

「死にたい」というと母は必ず「死ぬ勇気があるならどうぞ。言っておくけど絶対そんな勇気はない。あんたたちが死んだら凄いなって思うよ。」

とまぁ、こんな調子だったので言えない。

今となっては色々諦めもついたし、私自身お金も稼げているし、あの人に精神面の期待をすることは無駄だと小さい頃の自分に教えてあげたい。

子供には目の前の親しか見えていない

結局これ。

ここまでまるでヤバい親みたいに言ってきたけど、もっと酷い親はたくさんいるだろうし、もっと下を見ろと母はよく言っているが、子供なんて大概目の前の親しか見えていないと思う(周りと比較できる子は相当何かしら抱えていて達観している)。 私もただの子供だったから目の前の親しか深く関わってないし、周りの子が親と喧嘩したって言うと、喧嘩ほど対等になったことはなかったから不思議だったし、よくそんな怖いことできるなーなんて思っていた。

ようやくここまで落ち着いて来た訳だけど、今思ったら結構ヤバい。

ここまでになった母にも色々あるけど今回は驚く程長くなってしまったのでまた気力のある時に書きます。


めちゃくちゃ長くなってしまったけど、少しスッキリした。また書きます。いつになるか分からんけど。


親子関係が上手くいかず、物凄く追い詰められてる人へ。  これでもレベルCくらいかもしれないけど、こういう家庭もあるんだなと思って貰えれば。 

母と姉のことはもっと長くなりそう。