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あさい、noteはじめます。

はじめまして。

笑顔と元気をお届けする新米鍼灸師&アスレティックトレーナーの

浅井優季(あさいゆき)です。


新年度になった4月1日。

社会人として個人事業主として働きだして1年が経ちました。


そんな2年目に入ったこの日にnoteをはじめることにしました!

長くなってしまいそうなので2日に分けて

・なぜ鍼灸師・アスレティックトレーナーになったのか

・これからどうしたいのか

・これからnoteにどんなことを書いていくか

という事を書いていきます。



今日は2つの資格を取った経緯についてです。

私は小学生の頃からスポーツ漬けの毎日を送ってきました。

特に中学生の時は週6陸上(長距離)、週5水泳、ほかにもピアノ、習字、塾と毎日何かしらの予定があり休みはお正月くらいしかない多忙な毎日を過ごしていました。

土日には朝水泳の練習をしてから陸上の試合や合同練習に参加することもしばしば。(笑)あの時はとても大変だったけども、今となってはいい思い出です。


高校では中京大中京高校に行き、寮生活をしながら3年間陸上漬けの毎日。

そんな毎日を過ごしていた高校3年の夏休み。

走っていると左の股関節に痛みが。練習後は多少痛みが引くものの夜寝る時になると左の股関節だけズキズキと鈍い痛みが。

2、3日連続痛みで3時過ぎまで寝られない日々。寝転がっていても座っていても何をしていても痛い。3時に寝たといっても練習の疲れと寝ていない疲れで気を失うに近かったのかもしれません。

時間が経っても痛みが引かない為整形外科を受診。


そこで1カ月の運動禁止と言われました。座る時も床で胡坐や正座ではなく椅子に座るよう。動いても生活に必要な最低限しかダメと。

初めて走りたいのに走れないという状況を味わいました。

運動しかしてこなかったのでとても長く辛い1カ月でした。走り込みの合宿がたくさんある夏休み。練習を積めないことも、走れないことも悔しくて悔しくてたまりませんでした。


1カ月の禁止期間を経て運動が解禁された時。本当にゆっくり数10メートル走った時の嬉しさは今でも忘れることが出来ません。動けることの喜び。走れることの楽しさ。涙が出るほどうれしかったことを覚えています。


しかし、そこからのリハビリは大変でした。病院にトレーニングに通い、治療院で鍼やマッサージをしてもらい、日々地味なトレーニングにジョギング。少し走れるようになると痛みが再発。また距離を抑え、強度を落として練習をする日々。

このような時期は最終的に大学2年生の終わりまで続きました。最終的には大学2年が終わる2月に痛みが耐えられないほど悪化し、埼玉県の股関節専門の医師がいる病院を受診し『股関節関節唇損傷』という診断になりました。ヒアルロン酸注射を行い痛みはほとんどなくなりました。

現在では時々痛みが出現することもありますが、日常生活も運動も楽しく問題なく行うことが出来ています(*^^*)


そんなリハビリや治療に通う中で私も同じような状況で困っているスポーツをしている人を助けたい。と思ったことが一番初めのきっかけです。その為に鍼灸師の資格を取ろうと決めました。

進路相談で両親に専門学校に行きたい旨を伝えました。
お母さんには「まず大学に行ってスポーツのことを勉強したうえでまだ学びたいのであれば専門学校に通いなさい。中京大学ではアスレティックトレーナーの資格が取れるから、スポーツにかかわっていきたいのであれば勉強した方がいいんじゃない?」と。

このお母さんの助言を聞き、考え、そのうえで大学に行きました。

大学に行ってよかったと心の底から思います。


大学はスポーツ科学部に進学しました。

ヒトの身体の仕組みやスポーツやトレーナーの勉強をしました。

2年生が終わるまでは、自ら競技者として復帰するためにリハビリの日々。その中で素晴らしい友と恩師に出会うことが出来ました。

身体を評価してもらい、必要なトレーニングメニューを出してもらい、身体の使いかたを良くしていくための地味なトレーニングを行う日々。この2年間競技者としてユニフォームを着ることはありませんでした。しかしながら、この2年の日々があるおかげで、怪我をした人の気持ちがわかります。つまらないと言われるような地味かもしれないトレーニングの大切さがわかります。ただ筋肉をつけがむしゃらに練習するだけでなく、適切な身体の使いかたを学ぶことの大切さをわかります。


その後3年生からは女子ソフトボール部でトレーナーとして活動しました。日本一のチームで、意識のとても高い選手たちのサポートを出来たことは素晴らしいことです。ケアの方法やトレーニングのメニューを立てたり、選手たちの体調管理、毎日朝から夜まで部活漬けの毎日でしたがこの経験は今でも生かされていますし、最高の経験を積むことが出来ました。

卒業時には目標であった日本スポーツ協会の公認アスレティックトレーナーを取得し大学を卒業しました。

資格を取得する為の試験勉強をする中でも同期や先輩にはたくさんお世話になりました。頭が悪く理解するのに時間がかかるので、友人にはたくさん質問し何度も何度も分かりやすく丁寧に勉強を教えてもらいました。そんな友達がいなければ資格を取得することはできなかったでしょう。

大学時代の友人、先生には感謝しかありません。


大学卒業後はハンドボール日本リーグに所属するHC名古屋という女子チームでトレーナーとして活動しながら中和医療専門学校で鍼灸あん摩マッサージ師の資格を取得するために学校に通いました。なぜこの資格を取ろうと思ったかというと治療をするための手段が増えるからです。

トレーナーの資格だけでも働いていくことはできます。しかし、痛みを持っている選手や人に対し鍼は直接患部にアプローチできる数少ない手段だったからです。

怪我をした人、痛みを抱える人に対して治療もでき運動を取り入れ痛みなく楽しい毎日を送れるようにサポートができるようになりたいと考えていたのでこの2つの資格を取得することはとても大事なことでした。


今現在は訪問マッサージの仕事と接骨院で勤務しています。

痛みや不調を抱えている人、施設で過ごしている人にマッサージや鍼、運動を教えています。

仕事をする中で大切にしていることは、

笑顔と元気をお届けすること😊

です。

患者さんの中には病気などの理由で寝たきりになってしまっている方もいます。そのような方も少しでも動けるように治療をするのはもちろんですが、何よりもその時間を楽しい時間であってほしいと思っています。私とかかわる時間が少しでも笑顔で楽しい時になってもらえるように。その時間を楽しみに日々を過ごしてもらえるように。これからも治療を行っていきます。


今日はこの仕事を始めるきっかけ、経緯について長々と話させてもらいました。へたくそな文章、つたない言葉ですみません。

明日はこれからのことについて書いていきます。

もしよければ読んでください(^^)









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