印象派の始まり@オルセー美術館②

印象派やポスト印象派のコレクションが有名なオルセー美術館。そもそも「印象」という言葉は、モネが1872年に描いたこの絵が批評家ルイ・ルロワによって新聞で風刺されたことが由来。

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『印象・日の出 Impression, soleil levant』(1872)
クロード・モネ Claude Monet(1840-1926)
@マルモッタン・モネ美術館(パリ)

ルイ・ルロワは、展覧会を訪れ、この絵を見たときに、

この絵は何を表現しているだろうか?目録を見ると『印象・日の出』となっている。印象、それは確かだ。私も強い印象を受けたから、この中には印象があるんだろう。しかし、何という手法と自由さと安易さだ!こんな海の絵より、作りかけの壁紙の方がはるかによくできている

と言ったらしい。実際、モネはル・アーブルの風景ではなく、風景を見た印象を描いた。画家たちはこの皮肉めいた批評が、案外自分たちの意図を言い表していると判断し、「印象派」という言葉を使い始める。

印象派の代表である、モネに影響を与えた画家を紹介。

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ドーヴィルの突堤 La jetée de Deauville(1869)
ウジェーヌ=ルイ・ブーダン Eugène-Louis Boudin(1824-1898)
@オルセー美術館(パリ)

ブーダンの習作は、波や雲など常に色や形が変わるものの一瞬の姿を忠実にスケッチしており、日付と時間、風向きまで記録してあるらしい。特に空の描写に優れていたため、空の王者と呼ばれる。

彼は、1858年、若きモネを戸外に連れ出し、写生することを教えた。

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『セーヌ河とパリ・ノートルダム大聖堂 La Seine et Notre-Dame de Paris vue du quai des Grands Augu』(1864)
ヨハン・バルトルト・ヨンキント Johan Barthold Jongkind(1819-1891)
@オルセー美術館(パリ)

オランダ画家のヨンキントはフランスで人生の大半を過ごした。モネのエスキスを見て、彼の才能を見出し、絵の描き方を教え、なぜそのように描くのかを説明した。ヨンキント自身は印象派のグループには受け入れられなかったが、モネは彼を真の師匠と呼んだ。

印象派の絵はパトロンだった国家に受け入れられず、展覧会でも落選が続く。批評家からも否定的な批評が多かった。

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『かささぎ La Pie』(1868)
クロード・モネ Claude Monet(1840-1926)
@オルセー美術館(パリ)

それまで雪をテーマとして扱った絵画は少なく、このモネの絵も批評家からは、「雪の上に太陽が作り出す青い影に観衆は大笑いする」と言われている。

私は黒いカササギと、微妙な白の使い分けで表現された雪とのコントラストがとっても好きな一枚。

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『白い霜 Gelée blanche』(1873)
カミーユ・ピサロ Camille Pissarro(1830-1903)
@オルセー美術館(パリ)

ピサロが描いた白い霜について、「印象派」という批評家ルイ・ルロワは

これが畝、そしてこれが霜だというのか?どう見ても、これは汚れたキャンバスの上にパレットを削って画一的に擦りつけただけのものだ。尻も頭も、上も下も、前も後ろもありはしない

とまた厳しい批判をしている。ちょっと言い過ぎじゃない?と思う笑

しかし、次第に印象派は金融家や百貨店主、歌手などに人気が出て、アメリカからの人気により、大衆に受け入れられるようになった。


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