PEOPLE 1「高円寺にて」(『星巡り、君に金星』より)歌詞の解釈まとめ
こんにちは、ゆきふるです。
今回は、私も大好きなアーティストであるPEOPLE 1(ピープルワン/ピポワン)の新アルバム『星巡り、君に金星』が本日2024年1月10日(水)にリリースされたことを記念しまして、またまた勝手に歌詞考察をさせていただければと思います!
今回は同アルバム収録楽曲より、「高円寺にて」の歌詞について考えてみたいと思います。
まずはストレートに歌詞について考察し、さらに私の過去の経験を元に私ならではの視点で1つの解釈について語らせていただければと思います。
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PEOPLE 1「高円寺にて」の歌詞
まずは、「高円寺にて」という楽曲の歌詞を。
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「高円寺にて」の歌詞の意味
さてさて、まずはストレートに、「高円寺にて」の歌詞の考察をしていきたいと思います。
私はこの楽曲の歌詞全体を通して、夢、人生、恋愛といったテーマを背景に、とても切ない感情を表しているように感じます。
まずこちらの冒頭の歌詞について。
この部分では、恋人との何気ない日常やアーティストとして作成途中のメロディにフォーカスしてるようです。
幽霊線とは、"実際には存在しない路線"のことを指すことが多いですが、ここから、現実とは少し離れた、夢のような時間を過ごしている、そんな様子を表しているのでしょうか。
"双六みたいな街"とはもちろんタイトルにある"高円寺"という街を背景に物語が始まっていることを指しているのでしょう。
続く上記の部分では、何も特別なことがない日常、特にバイトも休みでただふらふらと恋人に会いに行く様子が描かれています。
日常の中の小さな幸せや、何気ない瞬間の大切さが感じられる表現です。
また、"ほだされた頭ふたつぶら下げて"とありますが、ここで少し疑問が湧きます。これから恋人に会いに行くのに、なぜ頭二つなのか?
あくまで私の解釈にはなりますが、二つの相反する感情あるいは状態をぶら下げてという意味ととらえました。
例えば「理想(夢)と現実」「喜びと悲しみ」など。
この後の描写から汲み取れる葛藤を示唆している表現なのかなと思いました。
こちらの部分では、夜に徹夜して朝焼けを待つ情景が描かれていると思います。
またここでの「首をくくる」という特徴的な表現は、文字通りの意味ではなく、おそらく夢や希望に縛られる(導かれる)ことの喩えかもしれません。
徐々に忙しくなり、"何千回何万回望んだ未来"、つまり夢の実現を前に、これまでのありふれた日常とのさよならの時は近づいているようです。
次の部分。環状七号線は言わずもがな東京都内における主要な道路の一つで、ここを越えることで新たな場所へと移動する様子が比喩的に描かれています。
何か大事な純情が失われつつあるかのような、変化する心情とそこへの葛藤が感じられます。
さて、1番のラストとなるこちらの部分では、とうとうお別れのシーンが描かれます。
その時の切ない記憶や、言えなかった「逢いたい」という気持ち、そして代わりに別れを告げた場所としての高円寺が描かれています。
ここから切なさや、過ぎ去った時間への郷愁が伝わってきます。
何かを得るためには、何かを失わなければならないことがある。そう教えてくれているような歌詞だと感じます。
2番に入ります。ここでは、内心(本音の部分)の動揺や、高円寺にてお別れした恋人への未練の感情など、"忘れられない"という感情が表現されています。
電車が止まらない限り、恋人に会えないというのは、時間の流れや運命に翻弄される心情を象徴しているかもしれません。
"電車が止まらないなら君に会えないのさ"というこれまた特徴的なフレーズは、快速列車が高円寺駅を通過してしまうことをきっかけに、時間の不可逆性を比喩的に表現しているのかもしれません。
"愛なき世界じゃないのにね"
ここの歌詞が私的に1番好きです。
そう。1つのお別れがあっても、また別の愛がこの世界にはあるはずで、そんなことはわかっているのに、それでもどうしても忘れられないものがあったりして。
本当に共感です。
2回目の"さよならは高円寺にて"。
この部分では、寂しさを感じつつも、もう大丈夫だと自らを励ましている様子が描かれています。
再び会いたいとは言わないんだという決意を示すとともに、別れの場所としての高円寺が重要な意味を持って再び描かれます。
ラストです。
最後の部分では、恋人との思い出がたくさん詰まった街、高円寺を離れる決意、つまり夢に向かって進むといつ意思、ありふれた日常に別れをつげる姿が表現されています。
"花と嵐のたとえ"は、美しいものにも困難が伴うということを示唆しており、別れの辛さとともに新たな始まりへのポジティブな気持ちを暗示しているように受け取りました。
いやはや、本当に切ない一曲。
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「113号室」と「高円寺にて」に共通する"覚悟"
ここで「高円寺にて」の考察から少し脱線したいとおもいます。
この楽曲を聴いて、歌詞について想いを巡らせる中で、最初に想起された彼らの別の楽曲がありました。
「113号室」です。
以前、PEOPLE 1が受けたインタビューによると、「113号室」という曲は、PEOPLE 1が売れるために始めたもの(音楽)で、注目され始めたことに対するある種の"ショック"を反映しているとのことです。
この「113号室」は、彼らが以前にいた“狭い部屋”の感覚を曲にしており、"ぬるま湯にいた時期の美しい思い出"をパッケージングしたものです。また、タイトルの「113号室」は、Deuさんが住んでいた部屋番号から来ています。
↓出典
「高円寺にて」と「113号室」の歌詞について、両曲ともに過去の時期や場所に対する深い感慨や思い出を表現している点で共通していると感じます。
特に、過去の自分や経験に対する感情の複雑さ、そしてそれらを振り返る際の切なさや美しさが共通のテーマとして浮かび上がってきます。
また、両曲ともに特定の場所(それぞれ高円寺と113号室)を中心に物語が展開されており、彼らにとってそれらの場所が持つ象徴的な意味や、そこでの経験が歌詞に深い影響を与えていることが伺えます。
ある場所とそこで過ごした時間、そこでの記憶が結びついていて、その中に切なさとか尊さが込められている。そんな経験は誰しもあるのではないでしょうか?
まとめると、この2曲は、過去への郷愁、変化への覚悟というようなテーマを通じて、リスナーの共感や感情移入を促す力を持っていると思います。
もっとも、ピポワンのような本当にすごい飛躍を遂げたアーティストと同じ質量で共感することは私には難しいことは百も承知ですが、、、
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卒業と「高円寺にて」
最後に、私なりの解釈ということで、おそらく作詞の意図とはかなり離れているかとは思いつつ、私なりの、というか私都合の「高円寺にて」の解釈について述べさせていただければと思います。
私は2021年の3月に大学を卒業した21卒代です。
卒業からはや3年が経とうとしています。
私の卒業した早稲田大学の最寄り「早稲田駅」には地下鉄東西線が走り、途中「中野駅」で乗り換えることにはなりますが、片道20分以内で「高円寺」に行くことができます。
私はよく放課後や空きコマの時間を使って高円寺に散歩をしにいっていました。
当時中野区に住んでいたこともあり、あの辺の地区は今でも勝手に第二の故郷のように思っていたりします。
私は大学卒業の年、2021年の3月31日、つまり正真正銘学生最後の日、友人と高円寺に行きました。
なんとなく、高円寺に学生最後の日の記憶を残したいという気持ちになったのです。
だから私が「高円寺にて」を最初に聴いて歌詞を咀嚼した際、"さよならは高円寺にて"という歌詞を「学生時代にさよならを告げた街、高円寺」と勝手に読み替えたりしました。
前置きが長くなりましたがそんなエピソードも踏まえつつ、私なりの「高円寺にて」の解釈を。
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幽霊線に乗って~手を繋いで:
学生時代の終わりと新しい生活への移行。"幽霊線"は現実(社会に出ること)と非現実(人生の夏休みとも言われる学生時代)の境界を表していて、卒業直前にして名残惜しい気持ちでいっぱいになっているこの日の私の、学生と社会人の間のあいまいな状態を示している。
"未完成のメロディ"は、これから社会に出て一人前としてやっていくはずなのにまだまるで形になっていない「未来の自分」を表している。
僕らなんにもない~君に逢いにゆく:
学生生活の終了にあたり、一見何も特別なことがないように感じるかもしれない。
だがそこには、これから始まる新しい人生への期待や不安が隠れていて。
これまでのアルバイトという形での労働も終わり、新しいステージへの一歩を踏み出す心の準備をしている。
夜行線~首をくくる:
夜を徹して過ごすことは、学生時代の最後の自由な時間を楽しむことを意味している。大学時代、幾度となく"オール"なんてしたっけ。オール飲み、オールカラオケ、オールハイク、、、バカみたいだけど愛おしい学生ノリ。
だがこれからは、もっと大人で現実的な生活をしなければ。
環状七号線を越えて~なんにもないもない:
学生生活から社会人への移行を象徴する「環状七号線を越える」という行動が描かれる。
いま抱えている学生としての純情や若さのようなものが失われることへの恐れや、未知の世界への一歩を踏み出す勇気を表している。
花の名前の一つさえ~高円寺にて:
学生時代の淡い思い出や、言葉にできなかった想いについて振り返る。
高円寺での「さよなら」は、私の学生生活との別れを象徴している。
やけに静かな胸騒ぎ~忘れられないんだろう:
新しい生活への不安や期待、そして過去への未練を再び強調的に表す。
学生時代の終わりに対する心の動揺や、忘れられない思い出が描かれる。
寂しくなるけれど~高円寺にて:
学生生活の終わりに寂しさを感じつつも、新しいスタートに向けて前向きな気持ちを持つことを表す。
3月31日、この日全国の卒業生は一斉に「再び学生に戻りたいとは思わない」と決意するのかもしれない。
僕らは君の遺した~高円寺にて:
過去の思い出を胸に、それを武器にして新たな未来へと進む覚悟をもう一度。
さよなら、愛すべき学生生活。
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ここまで読んでいただきありがとうございます。
あなたにとっての「高円寺にて」、ぜひ想像してみて、そして何よりもこの素晴らしい楽曲に聴き惚れていただければと思います。
では、また。
▼PEOPLE 1 「常夜灯」の歌詞考察