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「人生でやりたい100のこと」は本当に豊かさにつながるのか

※facebookに投稿したもののリライト版です

「人生でやりたい100のこと」とか、世の中的にはやりたいことがたくさんあることは素晴らしいとされている気がする。
もちろん人生でやりたいことが100こもあって、しかもそれが実現できたらすごく素敵だと思う。


私もやりたいことありすぎて1日が足りない人間なので激しく同感だ。でも、はたしてそれが本当に「豊かな人生か」というと疑問だ。


平日は本業意外に語学・副業・関わってるサービスのMTGやらなんやらとやりたいことのキャパが圧倒的にオーバーしているし、休日も語学の復習に、イラレの習得にとやっぱりやりたいことのキャパがオーバーしている。
やらないといけないこと(=本業)の時間が、やりたいことの時間を圧迫している様に感じて、「あれもこれもやりたいのにできてない、、、」としょんぼりしてしまうことが多い。


その反面、WILLとかやりたいことは特になくて「今日も大変だったけど、無事に予算作れてよかった〜」と満足げに仕事を終える私のパートナー。
きっと彼にとっての仕事は「やらないといけない」の枠を超えて「当たり前にすること」になってるからそれに対して疑問は持っていない
そして「世界ふしぎ発見」とかの動物が闘うYouTubeをみたり、きれいなホットケーキを焼いたりして「今日もたのしかったね〜」と休日を終える彼は本当に生きるのがうますぎると思う。
やりたいかやりたくないかとか、彼はそういう世界線の上には立っていない。
「やりたいことは何?」と問うても何も出てこないし「ゆきがやりたいことをやれたらいいんだけど、、、」と答える彼は、たぶんやりたいことリスト100を懸命に埋めて、チェックして消化していくを繰り返す私より、たぶん、ずっと豊かなんだと思う。

とそんなことを考える日曜日。
彼は「今日もたのしかったね」とほほえんでとっくに寝ているし、私は1分でも今日にしがみつきたくってまだPC画面やノートとにらめっこしている。


豊かさってなんだろうと思う。

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