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何百回と見た君の手も、いずれ忘れる


どれだけ大きな失恋をしても、生きている限り、いずれ傷は癒える。
胸が引きちぎられるような痛みや寂しさに、目を腫らす夜を何度繰り返しても、もうそんな痛みすら、思い出せない朝がやってくる。蜃気楼のように、どんどん輪郭が曖昧になって、揺らいで薄まって、いつの間にか溶けるように消えていく。

長く付き合った彼の字が、とても好きだった。
すらっと長い指先がペンに絡み、達筆な字が綴られていく様子を見るのが好きだった。

「この字、好きだなぁ」と繰り返し言う私を喜ばそうとして、忙しくても記念日にはわざわざ手紙を書いてくれるところも、好きだった。

重ねた思い出は色々あるけれど、とりわけ“文字”とは関係が深い。あんなに書く姿を愛おしく眺めていたはずなのに、その彼の、利き手が思い出せないのだ。

あれ…右だよね?と思った直後に、左手にペンを持つ想像をしてみたけれど、これが何の違和感もない。あれ?左だっけ?……あれ??


───利き手すら、もう覚えていない。

自分のなかで完全に終わったのだなぁと、実感した瞬間だった。利き手を忘れるほど、長いこと記憶の海に放置したままだ。泣くような日々はとうの昔に過ぎ去って、海底で静かに、腐敗に腐敗を重ねていた。


いつ終わったのか、明確にはわからない。恋をした瞬間のことを覚えている人は多いけれど、忘れた瞬間を記憶しておくことは不可能だ。

こうやって、何かをきっかけに海底から記憶の箱を引き上げ、その中にほとんど何も残っていないことを知ったとき。「過去になったのだなぁ」と自覚する。


忘れたことを、寂しいとすら思わない。
まったく寂しくない心に、過去の自分が残像のように浮かぶ。

「破局は死別と等しい」と、ずっと前から思っている。

自分のことを好きな相手とも、相手のことを好きな自分とも、その日から二度と会えなくなる。別れた瞬間に、別れる前の2人ではなくなる。

そこに体はあっても、もうそこには居ない。
次に顔を合わせるときには、元恋人としての「はじめまして」だ。
よく知っているはずなのに、何もかも知らない人。

それをツラいと思う心すら、成仏をする。


忘れていくことを、寂しいとも思わなくなるのが、「忘れる」ということだ。海底に沈んでいた箱の中身を見て、静かにじっとそれを眺めて、思った。

好きだった人の記憶が空っぽになるということは、それだけ今、幸せだということだ。別れた後の人生で、それだけ満たされてきたということだ。

明日を生きるということは、それだけで根本的に、深い悲しみから自分を救っているんだよなぁ。


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