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「noteが書けない」を、繰り返した末

わたしのnoteは毎日投稿(週日)なので、祝日がなければ1週間に5本公開されているはずだ。

ところが、サボっているわけではなく、毎日投稿をやめたわけでもなく、平日に投稿されないことがある。寝ずに仕事をしている日だ。

私のなかで1日の終わりは0時ではなく「寝るまで」としていて、ゆえにこのnoteが早朝の3時や4時に更新されていることもある。

先週から今週にかけて、生活が荒れ果てていた。
さまざまな事情と自分の筆の遅さが相まって、1週間に寝れない日が数回重なった。朝起きて仕事をしてそのまま夜を越えて朝になって、少し休憩してまた仕事をして夕方くらいに息絶えて(もしくは提出をして)noteを書いて気絶したように寝て、目が覚めるとまた仕事をする。

原稿は寝ずに書けるものではないので、脳が機能停止する前までしか触れられない。執筆を除いても、執筆以外の仕事や海外へ行くための手続き諸々の準備や勉強が山積みで、気づいたら7月に足を踏み入れ、数日経っている。

noteの下書きには、書き切る前に力尽きたものが2本ほど保存されていた。土日と「寝てない日」を除いても、投稿数がいくつか足りないだろう。

穴抜けばかりで、とても連続更新なんて言えたものではない。正直に言うと、もう、書くべき日に書けなかった回数もまともに覚えていない。今日は書く日なのか、書かない日なのかわからない状態で、どちらにしても「書けない」だった。noteを書く時間を睡眠に充てなければ、仕事ができない状態だった。

身体も肌も心もボロボロで、ようやく「夜に寝て、朝に起きる」を取り戻せたのが今朝だ。山場を抜けた。そして今週のことを、こうしてnoteに書いている。

こんな働き方は、普通にダメである。
頑張っているとかいないとか以前に、何日も寝ずに働かなければどうにもならない状況を、つくりあげてしまうこと事態が、社会人としてダメなのである。

「書けない」を繰り返した今週の末に、もう一度noteを更新することが怖くなって。それは、学校を休めば休むほど、教室に向かう足取りが重くなるあの感覚に似ていた。

長崎ちゃんぽんのおじいちゃんの話(後編)を、その日のうちに書くと言ったのに書けなかった。「書くね」と言ったのに、書けなかった。週日更新と決めたのに、守れなかった。自分との約束を守ることよりも、寝なければ無理だと思った。重くて暗い闇が心にのしかかって、また足取りが重くなり、恐怖がじんわり滲む。

それでもこのnoteをフォローしてくださる人がいて、読んで「スキ」を押してくれる人がいて、その一つひとつの通知が来るたびに、頑張ろうと握り直していた。

ぎりぎりのところで踏ん張っていた心が、何度も大きく酸素を取り込むように膨らんで、体にエネルギーを送ってくれた。投稿できない日々も、私はこのnoteに救われていた。

皆さんに、救われていました。

「ありがとう」と「また頑張るよ」の気持ちを、
ここに残しておきます。




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