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自分でわからなければ動けない

おととい、なぜかわからないけど自分の店の全てが嫌になってメニューを全部打ち直して、翌日(つまり昨日)模様替えもしたりした。
夜にはインスタで改めて「こういう店なんです!」と表明してみた。

気分が晴れない日がここ数日続いていて、朝も起きれないし、気圧のせいにして済まそうと思ったのだけど自分のなかでひとつでもいいからチェンジが必要だと思ってそういうことをやってみたわけです。

そしたら今日はやっぱり何だか良い日で、負の感情から抜けたぞ、晴れた!って感じでした。
メニューがちょっと変わったからってすぐに売上が増えるとかは100パーセントないんだけど。
自分のテンションが元に戻ったことが嬉しかった。

永遠に続けば良いことも悪いこともあるって
今日も目を開けて生きるんだぜ

ならず者アイムソーリー

それまでは陰鬱としていたんだけど頭の中にこの歌がずっと流れていてそれで持ち堪えたという感じだった。
長く続けばいろんなことがあって、ただそれだけだよな、って思えた。大事なことは「全部を自分で見る」こと。

今朝、宇多田ヒカルのインタビューが公開されていた。

あまりに素晴らしいインタビューなので是非読んでほしいです。

ぼくは、吉井和哉と宇多田ヒカルを特別尊敬しています。飲食とかスポーツとかいろんなジャンルがあってそれぞれに尊敬している人がいますが尊敬する人間は?と聞かれてすぐに浮かぶのがそのふたり。なんで音楽の人??と言われたらぼくが音楽が好きだからです。
バワリーやLOTUSを産んだ山本宇一さんも尊敬しているのですがパーソナルな部分を歌を通してさらけ出してくれているからきっと感情移入しているだけだろう、とも思いますが。
それに…なんだかとても弱そうに見えるから、そういうところが好きなのです。


親や周りにいる人が子どもにしてあげられる一番大事なことって、ある程度の大人になるまでは根拠がなくていいから、安心感とか自己肯定感を持たせることだと思うんです。自己肯定感は、なんでも「いいよいいよ、最高」って言うことじゃなくて、子どもが何かの理由で悲しいと思っていたら、大人からしたらたいした理由じゃなくても、「悲しいよね」ってその都度認めてあげること。

吉井和哉は歌の中で

無理矢理に連れてこうとしないで
自分でわからなければ動けない

血潮

と歌っている。

宇多田ヒカルもインスタで

寂しさや辛さは、乗り越えなければいけない山ではなく、それも一つの心象風景

と言っていた。

この人たちは決して「頑張れ」とは言わないのです。
いや、本人たちの頑張りは確実にあって、それが今の地位に繋がっているはずなんだけどそういうことじゃなくて。向き合い方の話です。

感情や状況の変化は「邪なもの」ではなくて「自然な生理現象」であり「背景」であり「そこにただあるもの」なのです。吉井和哉と宇多田ヒカルは自分(ぼくです)が困った時にいつも(歌で)
「そうだよな、辛いよな」としか言ってくれなかった。それがいい。

それでもまだ悪いことがあるとなんとかならないものか、と乗り越えようとしてしまう。
メニューを並び替えてみたり、朝コーヒーを飲む場所がよくないから変えてみたり。もはや風水的なことまでやってみる。

でもそれすらもきちんと目を開けて静観、いや静観ですらなく「所詮はそういうモードなだけなのだ」と思えるようになりたい。

周りになんと言われようがその風景と生きるのは「自分だけ」なのだ。だから必要なことは「そういう風景の場所にいるんだね」とただ言ってもらうことなのです。
頑張れ!とかもうそういうのいらないから。

永遠に続けばいいことも悪いことも
あるって今日も目を開けて生きるんだぜ

お店にも来てくださいね〜〜!!