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コロ助は言葉と同じである

わたしは普段、風邪ごときで病院に行くようなヤワな女ではない。

常日頃から情報収集をしている人なら知っているはずだ。風邪は薬では治らないと。頼みの綱は、自己免疫しかないのだと。
なんて、のっけから煽り気味に言ってみたけれど、上からも下からも解熱剤を注入して出社していた頃は、“風邪ごとき”でも自ら進んで病院に行っていたものだ。
そのせいで意図せず職場にインフルのウィルスをばらまき、チームを全滅させたこともあるが、這ってでも来いと要求してくる方が悪い。わたしは悪くない。

ただ今回、迷っている選択肢はなかった。
忘れもしない、2023年2月14日バレンタインデー。
まだ太陽が地球の裏側にいるだろう真夜中、激痛で目が覚めた。
体が痛い。痛すぎる。頭も割れそうに痛い。まさしくインフルの自覚症状だ。
ただ、咳をすると息ができなくなる感覚には胸騒ぎをおぼえた。まさか、これが最近では珍しくもなくなったという、例の「コロ助」なのだろうか。

「ごめん。これはダメかもしれない」

文字通り、息も絶え絶えに夫に告げる。この自覚症状では、もしかしたら入院もあるかもしれないと思っていた。
クライアントさんの顔が浮かぶ。会いたいと言ってくれた人の顔も浮かぶ。どうしよう。早くなんとかしなければ。

「救急車を呼ぶかい?」
「いやいい。時間外の点数、えげつないから」

受診が深夜帯の場合、診療所の初診料は7,680円という高額になるのだ。使いもしない医療事務の資格など取ってしまったせいで、こういうところだけは頭が回る。
どちらにしても、わたしが籍を置く自治体では「指定医療機関の診療時間になったら電話をする→診察してもらう」以外の選択肢がなかった。

しかしまずい、本当に息ができない。
とにかく呼吸が楽になる体勢を保ちながら、万が一の時のためにストローを確保した。後から考えると、あれはパニック発作の時に有効な手段なのであって、物理的に息ができない時に、ストローなど何の役にも立たないことはすっかり忘れていた。
そんなこんなで、診療所に転がり込んだのは翌朝の8時過ぎ。

「はい、ヨウセイですね!」

宇宙服のような防護服でキメた医師は、妊娠検査薬にしか見えない白いキットをドヤ顔で見せながら言い放った。
まるで、「おめでとう」と言われているみたい。高熱に浮かされていたわたしはおそらく、この時ものすごく変な笑顔を浮かべていただろうと思う。

「あの、すみません。コロ助ですか?」
「はいそうです!」
「えっと……お薬は」
「あげますあげます。はいどうぞ。お大事にね!」

コロ助と診断されたら、抽選会で1等を引き当てた時のようにカランカランと鐘を鳴らされるようなイメージを勝手に持っていたが、まるでポケットティッシュを渡されるように薬を渡される。

5等だな、これは。
そうか。もう5類になるとか言ってたもんな。

人の心というのは不思議かつ身勝手なもので、大したことないと言われると安心するのだが、同時に「こんなに苦しいのに」という不満に似た不安も湧いてくるものだ。

というわけで、本当に大丈夫なのかなぁという不安を抱えながら始まった、わたしのコロ助闘病日記をここに記す。ちなみに現時点で、まだ全快はしていない。記憶が薄れないうちに新鮮な状態でお届けしようと思っているので、書き方にキレがないのはお許しいただきたい。
どなたかの役に立つなり、多少の共感をいただけるなりするならば、それだけでしんどかった体験も報われるというものだ。

コロ助は言葉と同じである。
この斬新すぎる結論に至った理由は、まだ語らない。
それでも読んでやるよ、とお付き合いくださる心優しい方が、最後までお読みくださることを願うばかりだ。

発症0日目
実は発症前日から違和感はあった。夫の睡眠時無呼吸症候群の影響(要するにイビキ)で一睡もできず、朝から寒気がして、体がだるかった。疲れているのだと思って昼寝をした。喉がなんとなく痛み、食欲がなくなった。熱はまだ測っていない。

1日目
いきなりステーキ。じゃない、いきなり発熱。
体温計を探す。39.5℃だった。激しく喉が痛み、全く声が出ない。
トイレに行った後、手を洗う水が冷たくて心が折れる。冷水に触れるだけで背筋のゾクゾクが止まらなくなるので、以降の手洗いはお湯を使った。カランを赤い方へひねって、たった十秒待つだけの手間を惜しんではいけない。
普段できるだけ弱音は吐かないと決めているTwitterで病気の報告をする。広報担当として、突然連絡が途絶えるような事態があってはならない。敢えてリプ欄は閉じなかったので、大量にいただいたリプライを読みながら、休み休み返事をする。
朝早いうちにコロ助の診断を受けたので、さっそく自宅療養が始まる。わたしが寝ている間に、夫が食料を大量に買い込んでくれた。
ただ、口にできたのは、ゼリーとバナナだけ。発熱しているので圧倒的にカロリーが足りないのに、身体がお米を受け付けない。炊き立てのご飯の匂いをかぐと、つわりみたいに吐き気がする。
検査薬みたいなアレといい、つわり症状といい、子供のいないわたしに神様が疑似体験をさせてくれているのだろうか。ごめん神様、嬉しくないです。

2日目
薬が効いているのか不安になる。発熱は39.5℃~38.5℃の間を推移。体中が痛く、横になっているのもしんどい。
喉の痛みは相変わらずだ。自分の唾液が飲み込めない。“焼け火箸を押し付けられるような痛み”というものがリアルに存在することに驚く。
昔の便利アイテム「痰ツボ」が必要になる。壺の形態である必要はない。唾液はビニール袋に吐き出して、口を縛って捨てた。
この頃は、咳と同時に訪れる、呼吸困難の度合いがピークに達していた。背中をさすってもらっても、全く楽にならず悶絶するばかり。
パルスオキシメーターとやらが自宅に届き、計ってみると93~98でバラつきがあった。93を切ると入院らしいが、こんなに苦しいならいっそのこと入院させてくれないかなと思ってしまった。日々忙しく働いておられる医療現場の方、弱っている人間の戯言ですのでご寛恕ください。
途方もなく心細くなり、メンタルが崩壊しないようにと、親しい人にチャットツールでヘルプを求め、優しい言葉で慰めてもらった。
今思うと、この日が一番苦しかった。

3日目
薬はやはり効かない。そろそろ熱が下がっても良いのではと思ったが、寒気がすると高熱が出て、汗をかくと若干下がり、また寒気がして発熱、の繰り返し。喉の痛みがダブルで押し寄せてくるので気が狂いそうになる。
発熱がキツすぎて、関節や背中の痛みが最早どうでも良くなってくる。頭痛も酷いのだが、「苦しい」「咳が出ると死にそうになるから困る」以外のことが何も考えられない。
ついにこの日、共同生活をしている夫が発症。発熱と咳はあるものの、呼吸困難はない。食欲もあるらしく、ひとりで美味そうなものを作って食べている。一緒に食べるよう勧められたが、どうしても食べられない。

4日目
朝も夜もなく眠り続けたのが功を奏したか、やっと咳が治まってきた。発熱は37℃。カロナールを飲むとさらに下がった。
夫は38℃台の熱が出ているのに、YouTubeで「ゆっくり動画」を観てケタケタ笑っている。「ゆっくり」をご存じない方はご自分でググってくださいのために、さわりだけ説明しておく。

「棒読みちゃん」「SofTalk」などのAquesTalkを利用した音声合成ソフトを使うゲーム実況や車載などの動画。
これらの音声は、アスキーアートが元となったキャラクター「ゆっくりしていってね!!!」から「ゆっくり」と呼ばれる。ニコニコ動画では人気のジャンルとなっており、YouTubeを始めとする他の動画サイトや…(略)

Wikipedia

わたしがスマホを触ろうものなら鬼の形相で「やめなさい」と阻止してくるくせに、自分には甘い夫。ほんま、そういうとこやで。
……と、どうでも良い出来事で腹を立てられるのも、回復したからなのだろう。ありがたいことだ。

ウィルス(言葉)の受け取り方は人それぞれ

ここからやっと、タイトルの回収作業に入る。
いや、コロ助の闘病日記なのは確かなのだが、熱に苦しみながらずっと考えていたことをどうしても文字に起こしたかった。

※この先に書いてあるのはあくまでも例えであるので、過激なことを言っているのはご容赦いただきたい。

「おまえなんて生きている価値がない」と誰かに言われたとする。
そんなとき、普通の人だったら、いったい何を感じ、思い、どのような影響を受けるのだろうか。
ここでいう「普通」とは、平均値の人という意味だ。つまり、サンプル内で一番多いグループのことを指している。

腹を立てる、落ち込む、奮発する、無視する、いろいろな反応があるだろうと思う。
ただ、そんな中で、実際に死んでしまう人がひとりも存在しないとは、決して言い切れない。

心が弱っている人ほど、きっと強く影響を受けるだろう。
対して、普段からメンタルが整っている人は、それほど影響を受けず立ち直れるだろう。

わたしは抵抗力が弱り切っていたので、コロ助のウィルスにやられまくってしまったのだと思う。
現に、普段からよく食べ、わたしから見ればなぜそんなくだらないことで、と思うようなことでも女子高生のように腹を抱えて笑っている夫はダメージが少なかった。

実際、命に別状はなかったのでわたしも「軽症」の範疇なのだろうが、つらい、死んでしまいそうだと感じたその体感は嘘ではなく、誰からも否定されるべきものではないと思っている。

私は熱が出ただけだった。
僕は咳が苦しくてしんどかった。
ただの風邪だね。
いや、ぜんぜんただの風邪じゃなかったよ。

どの意見も間違ってはいない。感じたことそのものが正解なのだと思う。

コロ助がそれなりにつらいものだということはもう全国民が知っているので、「コロ助程度で」と言うような心無い人は、おそらくいないと思う。
わたしが言いたいのは、「こんな言葉で傷つくなんて……」と感じてしまう機会が、少しでも減らせればよいのにということなのだ。
コロ助は言葉と同じ。わたしの意味不明な主張も、ここまでお話しした後ならば、なんとなくおわかりいただけるのではないだろうか。

わたしは常々、言葉は薬であり、毒だと思っている。
文字通り命を救われるほどの温かい言葉に涙することもあれば、良かれと思ってした発言が意図せず人を傷つけてしまうこともある。
逆に「傷つけてやった!」と思っても、相手は何のダメージも受けずピンピンしていることもあると思う。

「おまえなんて生きている価値がない」
こんな圧倒的毒物でもない限り、自分が発する言葉が、相手にとって毒になるか薬になるかをコントロールすることはできない。
だからこそ、自分で自分の抵抗力を上げておかなくてはならない。ただ、言うは易く行うは難しなのであって、うまくいかない時は、相手の言葉にマスクのようにフィルターをかけてしまうしかないと思う。
100%受け止めて、自分の能力を超えて消化しようとするから、人は傷つくのだ。

また、もし誰かが「普通は傷つかない言葉」で傷ついたのを見たとしても、それが「異常」かのように思うのはやめようと思った次第である。
そうなってしまったのは当人の抵抗力が弱いからであって、すべては個人差にすぎない。世界は、果てしない個人差の上に成り立っている。

ここまで一気に書き連ねて、熱がぶり返しそうな予感がしてきた。
本末転倒。もう少し療養しなければ。
Twitterでひっそり生息していますので、わたしの体調はご心配なさらず、お気軽に声をお掛けください。
それでは、また。

最後まで読んでくださってありがとうございます。これからも末永くご贔屓をたまわりたく存じます☆もしサポートをいただけたら、執筆時のコーヒー代にします♪