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風の人、土の人

家庭医にとって、地域に入ることはとても大切なことだ。
僕は、それがとても苦手だった。あるいは、苦手だと思い込んでいた、といったほうが正確かも知れない。

診療とそうでないことの区別をうまく付けられない自分は、医者としての自分と、そうでない自分の境界が曖昧になることがひどく怖かった。

前の職場にいたとき、地域に関わることへの苦手意識に悩んで、(それこそ家庭医失格だと思っていた)ふと相談したときのこと。

先輩の医師が、「風の人と土の人」について教えてくださった。

元信州大学名誉教授であり、農学者だった玉井袈裟男さんの言葉。

風土という言葉があります
動くものと動かないもの
風と土
人にも風の性と土の性がある

風は遠くから理想を含んでやってくるもの
土はそこにあって生命を生み出し育むもの

君、風性の人ならば、土を求めて吹く風になれ
君、土性の人ならば風を呼びこむ土になれ

土は風の軽さを嗤い、風は土の重さを蔑む
愚かなことだ

風は軽く涼やかに
土は重く暖かく
和して文化を生むものを
(一部抜粋)

すごく、すとんとこころに入った言葉だった。
自分は風の人でいいんだ、と思えるようになったのだ。

コミュニティデザインや地域創生の分野では「関係人口」と呼ばれるようなひとたちも、風の人として、その場所の風土を作っているのだろう。

家庭医療学の教科書である"TEXTBOOK OF FAMILY MEDICINE"(Ian R. McWhinney)には、こんな言葉がある。

"Ideally, family physicians should share the same habitat as their patients"

これは家庭医は患者と同じ地域に住むべきだ、と訳されることもあるけど、つまり習慣(文化とか風俗とかも含めて)を共有していること、が良いと書いてある。

その方法は住むこと以外にもたくさんあるだろうし、ただ住んでいればいいわけでもない。
都市部だと診療所のある場所にただ住んでいても、患者さんは近隣に住んでいるとも限らないことも多いだろう。

ほっちのロッヂにきてから、僕は”地域活動”をするようになった。
仕事から始まるものではなく、ただ好きなことから繋がること。
例えば、バドミントンのサークル、外国籍の方とのおしゃべりの会、野草の会など。

好きから繋がると、とても自然にできることがわかった。
地域診断の視点とか、もちろん持っているんだけど、関わりそのものには問診も、アセスメントも、介入もない。
それでもじわりじわりと広がるものがあり、それが幸せだったり、楽しいことに繋がったりする。

肩肘張らずに、やりたいことから関わったらいいのだ。

最近は少し土の人にも興味が出てきている。
あんなに苦手だと思っていたのに、少しずつ変わっていく。

そんな変化も成長なのかも、と思いながら、面白がって過ごしたい。


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