嫌われているならそうだと言ってくれよ

画塾の人間と仲が良くなってきているのかもしれない。まだ人生の自覚がないからか、友達、や仲良くなる、があまり良くわかっていないが、恐らく仲良くなっている、という言葉で形容することが適切な状態にある、と思う。

俺は基本的に挙動不審だし、そのくせ喋ると目を合わせられないくせして変に早口で、会話の配慮もなく人を傷つけ、それに無自覚でいたり、無自覚なふりをしたりする。キモい人間なのだ。

だから俺は基本的に人に積極的に関わらない事をモットーにしている。LINEのダル絡みなんて以ての外だ。だからそう言うことができる人をみると、この人は自分が人に嫌われていないという自覚があるんだな、と羨ましくなる。

気持ち悪いだろうけど積極的に関わったりしないから俺を嫌わないでくれ、と願うようにして生きている。小中高と人に嫌われないことだけをモットーに生きてきた。当たり障りの無さだけを常に考えてきた。だから画塾は苦しい。当たり障りが無いならそこにある意味はない。そんな絵に他人は価値を見出さない。

当たり障りのないコミュニケーションができているかと言われれば多分そんなことはない。ADHDもASDも、結局会話の能力で覆い隠し切ることは出来やしない。

なんとか生きていこう。明日も頑張ろう。願い事のように文字を打つ。明日も生きられますように。明日も人間として違和感のない行動が取れますように。明日も当たり障りのない事が言えますように。絵が上手くなりますように。

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