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パラリンピック水泳の話

私は水泳選手でした。

舞台はパラリンピック水泳(以下、パラ水泳)。

オリンピックと同年、4年に1度パラリンピックという世界最高峰の大会が開催されています。

私は2016年のリオ大会の個人種目で決勝に残れず、東京パラリンピックでメダルを狙うつもりでした。

5歳から24歳までの約20年間、私の人生にはずっと水泳があったし、むしろ私の人生には水泳しかないと思っていました。

その記録を残したくて文章を書いてみました。

ちょっと長すぎたので連載にします。

ちなみに私の障害は、生まれつき左手の肘から先がないというものです。

パラ水泳に出会うまで

水泳を始めたのは5歳の頃。

お風呂さえも怖がるような私を心配した母が、スイミングスクールの短期教室に通わせてくれました。

するとなぜか、このまま続ける!と言った私。

この頃の記憶はほぼありません。

引っ込み思案だった小さい頃、自分からやりたい!と言うことは多くなかったんじゃないかなぁ。

負けん気と好奇心の強い私は、小5でスイミングスクールに新設された選手育成コースにも上がりました。

しかしそこで、健常者の試合では自由形しか出場できないことを知りました。

当時の得意種目であるバタフライと個人メドレーは、どちらも参加できません。

片手でスタートしてはいけない、片手でゴールやターンをしてはいけない、というルールが自由形以外の種目には存在しているので仕方ありませんでした。

仕方なく苦手だった自由形に種目を変更して、試合出場を目指すことに。

しかしその後、母がパラ水泳とそのチームを見つけてきてくれて、お話を聞きに行き、次の年から試合に出られることになりました。

それが「千葉ミラクスルズ」というチームで、私のパラ水泳の原点。感謝してもし切れません。

もし千葉でパラ水泳をやりたい!と思っている方がいればぜひ。私に声かけて頂ければ、一緒に練習まで同行します笑

http://chiba-miracles.air-nifty.com

そんでもって、ここまではほぼ母の助言でなんとかなっていますね。ありがとうお母さん。


日本代表と強化選手

そんな調子で、小6からは千葉ミラクルズに所属できることになりました。

リーダーが私を推しまくってくれたお陰で、中1の時には強化選手の説明会にまで行かせてもらっちゃいました。

本当に私はいつも周りに恵まれているなぁ。

中1でパラ水泳の試合に初出場、確かジャパンパラ大会(国内最高峰)で優勝し、ドーピング検査も初めて受けて陰性…と、色々初めて続きで驚きました。

2010年、中2で初めての国際大会に出場。

ドイツのIDM Berlinという大会です。

そして同年の広州アジアパラ大会にも選んでいただき、初めて日本代表として日の丸を背負って泳ぎました。

同い年のライバルが日本選手団の最年少ということで、解団式では2人で感想のスピーチも経験しました。

ちなみにその頃は、リレー要員で選ばれたにも関わらず、監督の「なんで選ばれたか知ってるか?」という問いに「速いから?」と答えるような生意気なやつで。

今でも生意気なのは変わりませんが…笑

この大会で出場した50m自由形は4位。

0.01秒の差でメダルを逃し、パラリンピックに行くには本気で練習しなきゃいけないと初めて実感しました。

それで先輩に、強くなりたいから一緒に練習させてほしいと頼んだ記憶があります。

そんな義理ないはずなのに、先輩は泣きながら付いていく私を見捨てず練習に混ぜてくれました。

その先輩がパラリンピックのことや心構え、練習への姿勢、あとラーメンの美味しさ教えてくれた方…

ん?ラーメンは別にいらんな笑

今でも大好きだし、本当に尊敬している方です。

2013年にはアジアユースパラ大会(若い世代のアジア大会)に出場し、初めて国際大会でメダルを取ることができました。

400m自由形は優勝したんだけど、色々あって大会後に郵送で金メダルを貰ったり、何があるかわかんないなぁと笑

2014年、インチョンアジアパラ大会では200m個人メドレーで銅メダル獲得。アジア大会では初メダル。

ずっと追いかけてきた先輩たちと肩を並べられたような気がして嬉しかったなぁ。

もちろんそんなことはないんだけど。


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