無料公開『続・12人のクライエントが教えてくれる作業療法をするうえで大切なこと』

 2021年3月3日(水)発売の新書,『続・12人のクライエントが教えてくれる作業療法をするうえで大切なこと』(三輪書店)ですが,発売前にかなりの予約をいただいております.

 また,先日Twitterで実施したプレゼント企画では,沢山の方にご応募をいただきました.この場を借りて改めて御礼申し上げます.

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 この度,前作に引き続き,三輪書店さんの御厚意で1話を無料公開いたします.よろしければご覧になってください.



以下,無料公開(無断転載禁止)



       No.2 観念を排除する   
 

 介護老人保健施設の1階フロアの廊下を進んでいくと,一番奥には利用者10名ほどが休憩できる談話スペースがあります.木曜日は3名の利用者が筆ペンを持ち,1時間ほど般若心経の写経をしています.入所から約半年が経つハナさん,トキさん,ミトさんは,最初こそ職員の誘いで始めたものの,現在では誰が強制するわけでもなく,各々が声を掛け合い,毎週この場所に集います.いつもにぎやかな3人ですが,毎週木曜のこの時間は,静かでゆっくりとした時間が流れます.


 朝の申し送り時のことでした.ある利用者の家族から,「写経グループをやめさせてほしい」との苦情があったとのことでした.その理由は,「宗教っぽくて気持ちが悪い」という極めて抽象的なものでした.フロアのスタッフはグループ廃止に向けた検討をはじめようとしていました.この一連の流れにとても違和感を感じた私は,3人と話し合いをする時間をもらいました.

 さっそく私は3人のもとを訪れ,廃止を検討していることには触れずに写経について伺いました.写経の方法や心構えなど,あくまでも雑談めいた雰囲気を重視しながら色々な話をしていると,トキさんがふと「今はまんま(白米)や,やくしや(薬局)もあっから…こらもしがねしな…(子ども達も簡単に死んだりしないから)」と噛みしめるような声でいいました.トキさんの発言はとても興味深いものでしたが,あまり深く立ち入らないほうが良い話題だと感じた私は,その場はそれ以上の質問はしませんでした.

 もちろん個人の信仰などによって意味づけは異なりますが,安全が保証され,特定の信仰が(自覚のうえで)行動の道標になっていない人にとっては,写経などの作業はあくまでも趣味的性質を帯びた作業にしか見えないかもしれません.しかしながら,ハナさん,トキさん,ミトさんは3人とも80代後半.まだ我が子が幼い頃に大戦を経験しました.「贅沢は敵である」との思想を刷り込まれ,食べ物は満足に手に入らず,空襲警報が鳴れば部屋の明かりを暗くし,部屋の隅で子どもたちを抱えてうずくまりながら息を潜めた世代です.実際に市内の紡績工場は大きな爆撃を受け,そのときの音と振動は,今でも思い出すたびに鳥肌が立つそうです.自分でコントロールすることができない脅威がすぐ近くに存在する.そんな日々を経験した人にとって,おそらく「祈り」は我々が思う以上の意味を持つ作業なのだと思いました.


 もちろん現在は,戦争などの脅威がすぐ隣にあるわけではありませんが,加齢に伴う退行性変化や,住み慣れた自宅から離れ,家族とも毎日会うことができない状況で日々を過ごす現状など,自分ではコントロールできない事象を抱える日々の中で,写経という作業に投影された祈りがあったのかもしれません.あくまでも推察の範囲ではありましたが,私はカンファレンスの場で,トキさん達にとっての写経の意味について,他のスタッフと共有する時間を設けました.家族の反対を懸念する声も一部挙がりましたが,施設の方針として,グループを継続できることになりました.写経グループをやめるよう依頼してきた家族も丁寧な説明を行うことで理解を示してくれました.この一連の出来事を,トキさん達はもちろん知りません.毎週木曜になると静かに3人が筆を進めます.


 作業は遂行することで初めて観察可能になります.観察することによって,他者が何をしているのかを知ることができます.しかし,なぜその作業をしているのか.その理由を観察のみで完全に知り得ることはできません. また,障害の種類や程度,遠慮など,様々な理由から,作業の意味を当事者から語ってもらうことが困難な場合も少なくありません.ある程度の推察を要することは多々あります.

 そこで大切なのが,自分の固定観念を客観的に捉え,そこに対象者の生きた時代や地域,特定の状況などに関する知識を加えながら多面的に詳察を行うことです.自身の観念を排除し,対象者の大切な作業の意味や価値を理解しようとし続けることは,作業療法士の大切な役割の1つです.


「あたりまえ」の構成要素はみな異なる 


 私達の目の前には,常に数え切れないほどの現象が立ち現れます.そしてその現象を解釈しながら,絶え間なく時間が流れていきます.特定の現象をどのように解釈するのか.それは,地域の文化や時代,個人の知識や経験,価値観などから構築された主観的な「あたりまえ」の影響を受けます.同じ現象でも,個々人のもつ「あたりまえ」によって解釈の仕方は異なります.
地域や時代など,生活背景に関する属性が近しい場合,個々人のもつ「あたりまえ」は,属性が全く異なる場合と比較して,ある程度の類似性を持つかもしれません.しかしながら,属性が大きく異なる人が集まる場合,「あたりまえ」は多様性を帯びてきます.
 自分のもつ「あたりまえ」はあくまでも自分にとってのものであり,他者にとっては別の「あたりまえ」があることを理解すること,そして,自分の「あたりまえ」を基準に優劣をつけないことはとても大切です.
 しかしながら,私達は自分のもつ「あたりまえ」を,まるで世界の真理であるかのように扱う傾向があります.近しい属性の人との関わりの中では問題が表面化することは少ないかもしれませんが,病院や施設など,全く異なる属性の人々が集まる場所では,多様性を理解できるか否かは対象者に寄り添った支援をする上で欠かせない要素になってきます.
 現在,私達が生活する日本においては,あまり信仰を強く意識する場面はありません(もちろん個人差はありますが).信仰に関連した情報に触れる場面といえば,特定の宗教団体が引き起こした問題がニュースで取り上げられるときなどでしょう.このように,偏った情報に晒されながら生活を営んでいると,今回,コラムで紹介したような事態が起こりうるのも理解できます.だからこそ,クライエントの目線に立った思考がより求められるわけです.
 

日常には無自覚なエラーが溢れている


 まだ駆け出しの頃の忘れられないエピソードがあります.老健に出向中だった私は,入所と通所リハを兼務していました.毎日13時になると併設の通所に向かい,スタッフがレクや入浴介助を行っている間の約2時間,個別リハを行います.ある日,私が個別リハを行っていると,集団レクの会話が聞こえてきました.その日は約10名の利用者が,順番に野菜の名前を挙げていく語想起ゲームをしていました.「大根」「キャベツ」「人参」スタッフの進行のもと,利用者が順番に答えていました.
 すると自分の番がまわってきたチョウジさんが大声で「スナックエンドウ」と答えました.いつも元気のよいチョウジさんをみて私が微笑んでいると,司会を担当していた若いスタッフから予想しない言葉が聞こえてきました.「スナックエンドウは野菜じゃなくてスナック菓子ですね〜…はい,次は〜ツネさん」そのやりとりに,近くで記録をしていたスタッフも声を出して笑っていました.チョウジさんは,何も言わず,ただ苦笑いをするだけでした.利用者は誰も笑っていませんでした.
 念のために補足説明すると,スナックエンドウは紛れもなく野菜です(昔はスナックエンドウと呼ばれていましたが,1983年に農林水産省がスナップエンドウと呼ぶことを奨励した経緯があります).もちろんエンドウ豆を模したスナック菓子とは全くの別物です.スタッフ側は,「ムードメーカーであるチョウジさんが間違った答えを元気よく発言しその場が和んだ」という,何気ない一場面と認識していたかもしれません.しかし実際は,何も間違った発言をしていないのに,誤りだと指摘され,皆に笑われるという由々しき事態がそこでは起きていました.私は直接そのスタッフに指導は行いませんでしたが,管理者に一連の出来事を伝えた上で,必要な気づきや知識を付与するための勉強会を企画するなどの取り組みへとつなげていきました.
このエピソードはとても残念な出来事として私の記憶に根付いています.同時に,自分が正しいと思っていることが,必ずしも正しいわけではないこと.自分の思い込みで目の前の現象を解釈しないよう,改めて自戒したエピソードでもありました.


勝手に物語をつくらない


 近年,作業療法領域では,「意味のある作業の実現」の名のもとに,クライエントの大切な作業や,その作業の遂行文脈を言語化し,チームで共有しながら実現を目指すという流れが重視されるようになりました.セラピストが勝手に目標を決めるのではなく,クライエント個々人の作業歴を尊重し,個別性を重視したセラピーを提供しようとする姿勢は大切です.しかしながら,ここでも上述したスナックエンドウのエピソードと同様に,私達には慎重さが求められます.
 ある日,回復期リハ病棟に80代のミツさんが入院してきました.転院時のサマリーには,「座禅が大好きで,毎月近所の寺で開催されている座禅の会に参加していました.座禅を組み,自分と向き合い時間を持つことは,ミツさんにとって意味のある作業です.自宅内のADL自立に加えて,もう一度座禅を組むことができるように,床上動作の練習を開始したところでした,引き続きフォローアップをお願いします」との内容が記載されていました.
 後輩のSさんは,軽度の失語症を持つミツさんの作業ニーズを少しでも正確に把握しようと,本人と面接をする前に,娘さんとの面接を行いました.
さっそく普段の自宅での過ごし方や環境について確認し,その後で座禅のエピソードについて確認を行いました.すると,ミツさん自身は全く座禅を組むことはなかったことがわかりました.Sさんが詳しく話を伺うと,確かに10年前までは本人も座禅を組んでいたとのことですが,膝が痛くなってからは自分で座禅を組むことはなく,裏方にまわっていたとのことでした.
毎月,座禅の会が開かれる日には,一番歴史の長い檀家の家主であるミツさんが,開始時刻1時間前に本堂に出向き,参加者のために座布団を敷き,座禅後の茶話会の準備をし,終了後は湯呑みや急須を洗うなど,一連の準備・片付けを全て担当していたとのことでした.
 娘さんは,高齢の母が無理をしないかいつも心配だったそうです.しかしながら,ミツさんはよく周囲の人に「私がやらなきゃだめだから」と楽しそうに話していたため,座禅の会の裏方を担当することは,ミツさんにとって大切な役割であり,元気に生活するために不可欠な時間なのだと思い,ミツさんの体調が芳しくないときは一緒に手伝いながら,長年大切な作業の遂行を見守ってきたそうです.
 Sさんは,ADL練習に加えて,寺の住職に連絡をとり,全ての事情を説明した上で,寺で一連の評価を実施.必要な要素的練習と,外泊時の寺での実動作評価・練習を繰り返し,役割の再獲得を支援しました.現在でもミツさんは,毎月1度,娘さんと一緒に寺に出向き,座禅の会の参加者を迎える準備をしています.
 おそらく前院の担当者は,本人や家族との対話を通して,「座禅の会に参加する」というエピソードまでは共有していたのだと思います.しかしながら,作業形態について共有することが不十分でした.そして,本人や家族が作業形態について詳細に語らなかったということは,なぜ作業療法士がその情報を聞きたいのか,その目的についても伝わっていなかった可能性があります.スナックエンドウのエピソードのように,日常の何気ない切片の中で生じる齟齬は,リハの方針やチームの目標等にも影響を及ぼす可能性を秘めています.
 作業療法士は,クライエントの作業歴や目標を美化し,キレイなストーリーで語る傾向があります.「長年農家を営む◯◯さんは,時々遊びに来る孫に野菜をあげることが生きがいだった.今後,農業への復帰は難しいと考えるが,一緒に農業を営む長男の指導役として農業に関わっていくことができるよう支援していく」といったような方針をみることがあります.しかし実際は,孫に野菜をあげることよりも,まず自分たちが日々食べていくための野菜を収穫することの方が切実であり,また,多くの場合,自立した息子に指導役は不要です.
 もちろんクライエント自身の認識において,自分を鼓舞する物語の必要性は否定しません.しかしながら,日常はもっと切実であり,解決すべき課題や目指すべき目標は,日々繰り返される何気ない日常の中に無数にあります.FIMが高得点になっても,真冬に掛け布団のほんの僅かな隙間を自分で塞ぐことができず,寒さに震えるクライエントが沢山いるのです.
 作業療法士は,クライエントの過去の生活や今後の目標をキレイなストーリーにまとめ上げる前に,実生活に関連した経験機会をできるだけ沢山提供しながら,そこで生じる些細な課題をクライエントと共有し,解決に向けて伴走する姿勢が大切です.それが認識のズレや思い込みを減らすことにも繋がります.


本当に意図は伝わっているのか


 ここまで,作業療法士はクライエントの思いや言葉を誤って解釈しやすいことについて書いてきました.ここで,もう一つ大切なことがあります.それは,クライエントの思いや言葉を正確に理解することが難しいということは,私達の思いや言葉をクライエントに正確に理解してもらうこともまた容易ではないということです.
 スナックエンドウの話と同様に,私の記憶に強く残っているエピソードがあります.その日私は,ベッドサイドでクライエントと一緒に起居動作の練習をしていました.数回の練習を繰り返したあと,動作の振り返りと必要な修正点についてクライエントと一緒に確認作業をしていました.同室の斜め向かいのベッドでは,右片麻痺と軽度の認知症を呈したミツさんとスタッフが横並びで端座位になり,スタッフの声掛けで立ち上がり練習を繰り返していました.
 何気なく私が目を向けると,不思議な光景を目にしました.スタッフはミツさんに対して「ちゃんとおじぎをしてから立ち上がってください」と指示をしました.するとミツさんは,まず深々とスタッフにお辞儀をして,体を起こしたあとで,立ち上がり動作を行ったのです.誰がみても,ミツさんはスタッフの声掛けを「まずはしっかりと私に礼を払って,それから動くように」と指示されたと認識しているのは明らかでした.しかし修正されることはなく,そのまま練習は繰り返されます.私はすぐにスタッフに声をかけ,ミツさんが指示内容をどう解釈しているのかを伝えたうえで,ミツさんの認知機能を踏まえた指示方法について検討しました.
 ここまで,苦いエピソードばかりを紹介してしまいましたが,それくらい日常には思い込みや勘違いによる不利益が溢れているということです.それは,支援を行う私達が自己の認識や行動を客観的に評価し,修正しようとしなければ改善することはできません.自己を客観的に捉えようとしても,妥当な判断をするために必要な知識がなければ,再び判断を誤ることもあります.知識が豊富でも,思い込みが強ければ,やはり判断を誤る可能性は高まります.
 自己をできるだけ客観視することに加え,クライエントの生活する地域や生きてきた時代,人となり,障害特性など,様々な情報を統合しながら,私達はクライエントの一挙手一投足に関心を持ち,また,自己の表出の精度を高めていく努力を継続する必要があります.

終わり


続・12人のクライエントが教えてくれる作業療法をするうえで大切なこと


目次

No.1 可能性を提供する

No.2 観念を排除する

No.3 日常を再考する

No.4 主体性を賦活する

No.5 情報を整理する

No.6 中立を維持する

No.7 承認を保証する

No.8 役割を創造する

No.9 文脈を共有する

No.10 変化に伴走する

No.11 拘りを尊重する

No.12 作業で連携する



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