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『自分の意見で生きていこう(ちきりん/ダイヤモンド社)』は、AI時代を生き抜くための教科書だ。

豊かに生きていくために

海外に行くと、必ずといっていいほど感じることがある。
それは、「(日本人と比べ、現地の方々は)自己主張が強い」ということだ。

それはつまり、自分の「意見」を明確にし、かつそれを表明している、ということでもある。
ではなぜ、海外でそう感じることが多いのか。
日本では、自分の意見を明確にしたり、ましてや主張することが少ないからだろう。

背景には、日本の学校教育も関係しているのでは、と思う。
自身の経験を振り返ってみても、学校教育のほとんどは、
「正解があるものに対し、その答え(もしくは導き方)を覚える」
という印象だ。
しかし、筆者は本書の中で再三書かれているが、「意見には正解も不正解もない」のだ。
また、他国と比べ、「自分の意見を表明する」という機会も極端に少なかったように思う。

本書は、そんな日本において、
「自分の意見を持ち、表明し、豊かに生きていくため」
の教科書となるような存在だ。

読書メモ

(※個人的なメモのため、一字一句が本文と同じではありません)

発信活動こそが今や私の本業なのですが、その根底にあるのは、「様々な事柄に関する自分の意見を発信したい!」という欲求です。

「正解のある問題」を解きたければ、なんとかして「調べる」ことが必要です。この「調べる」という作業は、インターネットが普及した後非常に容易になりました。昔なら国会図書館まで出かけなければわからなかったことでも、今ならスマホを数分いじればわかります。

「間違った意見」も「正しい意見」も存在しない。

自分が「間違いだった」と悔やんでいる選択も、神様から見れば正解だったかもしれないのです。神様でもない限り、何が正解で何が誤答であったかなんてわかりません。

「自分の意見を言う」とは、「自分のポジションをとること」。

世の中には、「意見も言うし、反応もする人」と「反応しかしない人」がいるのです。そして、後者の中には「自分が反応しかしていないことに、気がついていない人」もたくさんいます。

「誰でも発信できる時代」であっても、全ての人が意見を発信しているわけではありません。実はネット上では、大半の人は意見など発信しておらず、単に誰かの意見に「反応」しているだけです。ネット上で意見を発信している人なんて、比率でいえば1割にも満たないのではないでしょうか。

少数の「自分の意見を表明する人」には多くのフォロワーがいる一方、「反応だけする人」にはあまりフォロワーがいません。何年も発信していて、発信の数もそれなりに多いのにフォロワーが少ないアカウントが存在する理由は、その発信者が反応しかしていないから、そして、反応なんて他人から見れば価値もなく、面白くもないからです。

Twitterだけではありません。写真が中心のInstagramなどでも同じです。ファッションでも料理でもペットの写真でも「私はこれが素敵だと思う!」という自分の主張や意見を打ち出す人のアカウントには多くのファンがつきます。

私たちの多くは、無意識に「意見を発信しているアカウント」を選び出してフォローしているのです。

「継続して様々なことに意見を表明する→人格(キャラ)が伝わる→ファンができる」、これが、インフルエンサーが生まれるプロセスです。「自分の意見」を(文字であれ動画であれ写真であれ)継続的に発信していれば、その人の人格が受け手に伝わり、ファンが生まれます。

正解のあること=「調べればわかること」は誰にでも書けますが、「私の意見」は私にしか書けません。

意見とは「反論できるもの」であり、「反応」とは反論できないものなのです。

世の中には、誰かに反論されることが怖く、それを避けたいと考える人がたくさんいます。そういう人は反応ばかりしているので、反論されることもありません。

一方、何についても意見を明らかにしている私のような人は、頻繁に多くの人から反論されまくっています。それが時には「炎上」と呼ばれる現象になります。けれど結果としてそういう人=意見を明確にする人はフォロワーが増え、インフルエンサーとなっていきます。結局みんな「反応しかしていない(炎上などしない)人」より、「常に自分の意見を明らかにしている人」の発言にこそ価値があると、理解しているのです。

意思決定を先延ばしにすれば、今より高い年齢で同じ意思決定を求められます。「リスクを取らない」という意思決定が、むしろリスクを増やしてしまうのです。

これはネットでもリアル社会でも同じなのですが、承認を得るために必要な情報とは、「その人がどんな人なのか、よくわかる情報」なのです。

「発信数はとても多いのに、フォロワーが少ない人」が存在するのは、その発信をいくら読んでも「この人はどんな人?」というイメージが伝わってこない、そんな発信が多いからだと考えられます。

「発言者がどんな人か、伝わってくる発信」とは「その人の意見」であり、反対に、いくら読んでも発言者の人格が伝わってこない発信とは「反応」としか呼べない発信なのです。

「学歴も職歴も資格も年齢も公開していないけれど、10年にわたり様々な意見を開示してきたちきりんというキャラクター(人格)」の方が、頑張って学歴や職歴を積み重ねてきた本名の自分より、はるかに良いチャンスを得られるのではないか、とさえ思える時代なのです。

これからの時代、ネット上に自分の思考を発信しないのは、昭和や平成の時代に学歴や職歴を取得しないのと同じくらい不利なことになると、私は考えています。

自分でゼロから何かを発信しなくても、他者のコンテンツに対する意見を発するだけでも、それらを一ヶ所(例えばTwitter)に集めさえすれば、立派な「自分のコンテンツ」になるのです。

たとえフォロワーのほとんどいない無名の人の呟きであっても、ネット上での発言は本人に伝わります。

意見には正しいも間違いもありません。意見は人によって違うだけであり、あなたの意見が「間違っている」などということは起こりえないんです。

私はあまのじゃくなので、「自分の意見が周りの人と違う」だけで、とても大きな価値を感じます。

西欧社会では、子どもが小さな頃から「自分の意見を明確にする」練習をさせます。幼稚園ではお気に入りのおもちゃを一つ選ばせ「なぜこのおもちゃが一番好きなの?」と、自分の意見を説明させたりするのです。

ファンは「キャラクター」につく。

小学5年生当時から私の日記は、「今日は何を食べました」「今日はどこに行きました」といった行動の記録ではありませんでした。そうではなく「今日はこのコトについてこう考えた」とか、「今知ったある事件について、こう感じた」という、自分の感情や思考の記録だったのです。

端的に言えばそれは「自分で自分という人間を理解したい」という欲求に基づくものでした。つまりは自分自身のため、「自我の確立のため」だったのです。

私はいつも「あなたの意見は?」と聞かれた時、それがなんであれどう答えるべきか明確にしておきたいと考えていたのです。なぜならそれが「私」という人間だからです。

「ちきりん」というキャラクターに何十万人もの読者がつき、熱烈なファンが現れたことは、人が誰かのファンになるのに、必ずしも外形情報は必要とされていない、ということを意味しています。

SNS時代が始まって以来、経歴を隠し、匿名やペンネームで発信を続けているうちに、多くのファンやフォロワーを獲得した人はいくらでもいます。彼らもまた内面情報のみによって承認されています。

実はAIにとって最も難しいことこそ、「自分の意見を持つ」ことだと言われている。

多くのことについて意見を明らかにすればするほど、「他の誰とも違う〇〇さん」として認知されるようになります。「あなただけの意見の束」こそが、あなたを他者から区別する、あなただけの人格を創るのです。

ただ素直に、自分の「こう思う」を、言葉にすればいいだけです。またその意見は、誰かに言う必要さえありません。私が長く続けてきたように、自分しか読まない日記帳に書き留めるだけでもいいし、匿名のブログやSNSで呟くだけでもいいのです。大切なことは、自分自身で自分の意見をしっかり理解しておくことだけです。

他者から承認されたいと考える人にとって必要な最初の一歩とは、自分で自分を承認できるようになることなのです。

外部からの承認が得られず焦りを感じている人というのは、多くの場合、自分で自分を承認できていないことの方が根本的な問題なのかもしれません。そして、なぜ自分で自分を承認できていないのかといえば、それは、自分で自分という人間について、しっかりと理解できていないからでしょう。

「一概には言えない」とか「例外もある」といった言い方は、「へー」とか「ふーん」と、本質的には全く同じです。

私自身は30代に勤めていた会社で、反応と意見の違いを教えられました。その会社では常に反応ではなく、自分の意見を明らかにするよう=自分のポジションを取るよう求められました。そして「他者と異なる意見にこそ価値がある」とも教えられました。

そういった職場の会議では、「人の意見に反応する前に、まずはお前の意見を明確にしろ」と言われるのです。

意見を出し続けていれば、必ず評価は高まります。

しっかりと思考し、自分の意見に基づいて進めた仕事なら、たとえ結果が良くなくても、必ず何らかの学びが得られます。人は成功より失敗からはるかに多くを学べるため、これを繰り返せばどんどん成長でき、次はより深い洞察に基づいた意見が出せるようになります。

一方、反応しかしない人は、仕事でも成果を出せるようにはなりません。仕事とは「自分ならどうするか」を決めて行動することで前に進むものであり、他者の意見に反応だけしていても、何も進まないからです。

このため長期的に見れば、会社の中で出世していくのは常に「意見を言ってきた人」です。組織内での評価が高くなるだけではありません。顧客からも市場からも支持されるのは、自分の意見を明確にし、ポジションを取って行動してきた人です。

ネットの世界でも同じです。いくら叩かれても、自分の意見を表明し続ける人だけがフォロワーを増やし、インフルエンサーとして影響力を高めていきます。発信数がどんなに多くても、反応しかしない人のフォロワーは増えません。

ポジションを取り、意見を明確にすることでその人の意見を聞きたいという人が増え、様々なチャンスが広がっていく。それは、企業社会でもネットの世界でも全く同じです。

「正解のある問題の正解を探すのはうまいが、正解のない問題に直面すると、自分の意見が決められない人」の価値はどんどん下がっていきます。

今までは正解を知っていることに価値があったけれど、これからは「正解のないことについて、自分の意見が言えること」が重要になる。それは、医師であれ弁護士であれ、他の仕事と同じです。

全ての人はできるだけ早く学校的価値観を脱し、「正解探しモード」から「自分の意見を考えるモード」に移行する必要がある。

リアル社会では変わり者と呼ばれた人たちが、ネット社会では「他と差別化できる貴重な意見の持ち主」になれる。

論理思考、マーケット感覚、もっとも手に入れたい暮らしを最小限のインプットで手に入れるための生産性という考え方、そして自分の意見を持つこと。この4つが、私が今、本当に重要だと思っている考え方でありスキルです。

まとめ

「AIが人間の職業を奪っていく」と予測されるこれからの時代ですが、AIにはまだまだ難しいことがあります。

その最たるものがが本書のテーマでもある「自分の意見を持つ」ということ。

今後の不確実な世界を豊かに生き抜いていくためにも、おすすめの一冊です。


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