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アルカナの示す先は(少女☆歌劇 レヴュースタァライトとタロット、スターシステムについての情報整理、及び劇場版の予想)

このノートは、スタァライトと演劇とタロットとモチーフについて、新作劇場版公開前に思っていること、考えていることをアウトプットしようと試みた、考察というよりは、情報整理に近い文章です。読み解き方のひとつとして、また演劇やってる強火オタクの嗚咽としてご覧ください。

(注釈)
  ①:『スタァライト』→戯曲、劇中劇としてのスタァライト
  ②:「レヴュースタァライト」→アニメ、再生産総集編、劇場版 
  ③:スタァライト →スタァライトシリーズ全般 をそれぞれ示す。

1.上下の対比、スタァライトとスター・システム(アニメ版スタァライトについて)

アニメーションについて分析する際、それが静止画の連続であることから、静止画の構図や配色を元に分析される事はよく見受けられます。
しかしながらアニメーションとは同時に動画でありますから、カメラや人物の動作で分析してみることもまた有用な手段なのかもしれません。

そこでスタァライトのアニメ中において多く描かれる落下・上昇の動作を中心にピックアップしてみました。取りこぼしや恣意的解釈も含まれることを予め留意していただきつつ、以下を御覧ください。

【落ちる・落とす動作】27種
1話:塔から突き落とされる / 椅子から転げ落ちる / エレベーターごと滑り落ちる / 客席に放られ落ちる / 地下劇場の舞台に飛び降りる / 再生産バンクで落下
3話:吊り物で降下してレヴュー開始 / 真矢に突き落とされる / ED、以後共通で落ちてゆく
5話:地下道へ転がり落ちる
7話:滑り台の階段を登る華恋
8話:下に下降するキリン / 落下する東京タワー
9話:大場ななに突き落とされる / ED、頭から落ちる大場なな
10話:落下する観客席の皆さん / フリーフォールして身を委ねる華恋 / 落ちながらフィニッシュする / 塔から墜落する
11話:冒頭が10話終りの続きで血の雫がボタンに落ちる / ◆舞台裏の階段を降りてゆく(7話、『スタァライト』初演との対比)
12話:星罪の塔から落とされる / 舞台が途切れた→倒壊する塔 / 星のティアラと伴に降下するひかり / ひかりの飛び降り / 敗北と降下 / 燃料投下

【登る・上がる動作】12種
3話:真矢の舞台装置を登る
4話:滑り台を登る
7話:◆99期生『スタァライト』初演、女神たちはクレールとフローラが塔を登るのを阻んでいる (11話との対比)/ 華恋の舞台がせり上がる / ベンチに上がる華恋
8話:滑り台を登る華蓮
10話:真矢との決着で空中に放り上げられる / 悲劇のレヴューでせり上がる
12話:星罪の塔を星を積んで登る / せり上がる舞台 / ノンノンだよ / 約束タワーブリッジ / 100回聖翔祭(上へパン、ティアラもキリンも上へ) / 上がる幕

【横軸・回転の動作】11種
1話:回転する車輪→歯車 / 〽譲れない思いは私にも~ 転調からの即決着(飛び入り参加の割り込み)
4話:橋を渡る横の動き(ひかりは渡りきれず、華恋は渡り切る、最後は二人で渡って、迎え入れられる)
6話:レビューシーン(和物。歌舞伎舞台は能舞台と違い横長で、横の動線が多い。)
7話:大場ななの塔は倒れている、上手から下手へ僅かな傾斜(→流れを遮る方向)/ 回転する車輪
8話:ロンドン橋を渡るひかり
11話:大場ななの道は上下移動はない / Cパート、大場ななの塔とは逆方向に倒れた東京タワー
12話:星摘みのレヴュー / 互いにシェネターンする二人(第1話冒頭の引用)

以上のことから分かるように、スタァライトは下へ下へと落ちる演出が多く描かれています。
人物の落下、構造物の落下などその種類も色々ありますが、

人物の落下→堕落、失敗を暗示(e.g. 沼に沈み闇落ちする、事故に遭う)
構造物の落下→崩壊、倒壊を意味(e.g. 魔王城の倒壊→野望の終り)
アイテムの落下→壊れる、死の暗示(e.g. 花弁が落ちる→死)

様々な作品で落下を不吉なイメージとして用いられることが多いです。

逆に上昇は、

人物の上昇→再起、成長を暗示(e.g. 復活する主人公)
構造物の上昇→力の顕示を意味(e.g. 必殺技で唐突に構築される城)
アイテムの上昇→特別な力の明示(e.g. 飛行石)

といった具合に好意的なイメージや不思議な力として用いられます。

塔から落ちる⇔塔を登る、階段を登る
この2つが対比になっており、スタァライトの作中では特に
挫折と成長の視覚的表現として多様されています。

それと同時に、意図的に下に降りていく構図が描かれることも多く、
この場合自分の意志で困難に望むなど、逆境に向かっていく決意として描かれているようです。

また、スタァライトの作品中で頻出する塔と星について補足します。
:眼下を見下ろし監視・観測する役割を持つ。建造に費用がかかることと、その用途が人間や自然環境(河川・外敵・獲物)の監視・観測であることから、権威・権力を暗示する。
:マークとして描かれる場合、有名なのは五芒星と六芒星。六芒星は数学的に安定している。広い世界を表すとされる。五芒星は呪術的な意味合いが強い。正五芒星では魔除けとして、逆五芒星は悪魔の象徴として使われる。人体のような小宇宙を表すとされる。また、芸能人や才能のある人を表すStar(スタァ)もこれらのイメージとつながっている。

この2つを統合すると、例えば星罪の塔の倒壊「幾多の星(才能)の犠牲の上で成り立った塔(権力)は、やがてひとつの大きな星(スタァ)の登場によって破壊され、それが繰り返され続ける」と読み解くことが出来、芸能界や世界の国々の興亡のように、人間の欲によって成り立つ現世の寓話のようにも捉えることができます。


スタァライトの作品には本質的にスターシステムの概念が含まれます。
これは本作の元ネタとなっているのが某歌劇団であること、表題に"スタァ"ライトとスタァを主に据えていることからも明白です。

 スター・システム(英語:star system)は、多くは演劇・映画・プロスポーツなどの興行分野において、高い人気を持つ人物を起用し、その花形的人物がいることを大前提として作品制作やチーム編成、宣伝計画、さらには集客プランの立案などを総合的に行っていく方式の呼称。
 プロデューサー・システム(企画・資金重視)やディレクター・システム(演出重視)との対比で用いられる言葉でもある。
 また、資本力やニュースマスコミを利用した大々的な宣伝の反復などによって、そのような花形的人物を企画的に作り出すシステムのこともこの一環として指す。   
              ―wikipedia スター・システム(俳優)より引用

スターシステムは、演劇やショービジネスを興行として成り立たせるためにはとても有用な手法でした。これは18世紀以降のエンターテイメント分野でスターが求め続けられてきたことからも明白です。人を惹き付けるスターが生まれれば興行は経済的に成功するからです。
しかしながらこれは同時に、必ず競争が発生し、常に敗者を生み出します。敗北するもの、失脚するものがあって初めて、成功者・勝者が成り立つのです。
当然、スタァライトの世界でも配役を勝ち取るためのオーディションにその競争原理が持ち込まれます。舞台少女たちは地下オーディションでトップスタァを目指し、他人を蹴落としてでも自分の望みを叶えようとします。当初の構造からすでに上下の構図が産まれるように出来てしまっているのです。


2.大場ななの円環の物語、ロンド・ロンド・ロンド(大場ななと再生産総集編について)



舞台少女たちの中に1人、この競争原理に対して異を唱えた少女が居ます。
そう、大場ななです。
大場ななは第7話でタイトルロールとして描かれ、真矢によって類稀な才覚を持っている重要人物であることが明示されます。

Big Banana:大物・有力者・重要人物  ―英辞郎on the webより引用

初めて皆で舞台を作った99期聖翔祭のスタァライト公演の経験、脱落した2名のクラスメイト、それによって想起させられた過去の苦い思い出。成長するため後ろを振り向かないクラスメイト(舞台少女)。
それらを一つに繋ぎ合わせ、彼女に目的を与えたのはキリンの提示する地下劇場でのレヴューでした。
レヴューの勝者はキラめきと才能を一挙に引き受ける永遠の主役になるという誘いに対して「興味ないわ」と一蹴します。キリンはすかさず、あなたが望むどんな舞台にも立てると誘惑し、大場ななは99期聖翔祭のスタァライト公演の再演を望みます。
そうして繰り返した再演の日々(=劇中曲ロンド・ロンド・ロンド)は、自己のトラウマに封をすることの出来る、誰一人欠けることのない、傷つくことのない世界でした。それは"ぶつかって傷つけて磨り減って削られて"いくことのない世界。競争原理、そしてキリンの提示する舞台少女の在り方とは相反する世界です。しかしやがてひかりの飛び入りによって崩され、華恋とのレヴューによって再演の輪は完全に離脱されました。
大場ななの再演の円は完全な停滞ではなく、最高の過去に近づくための成長を含んだ、いわば螺旋上の輪であったことを、9話レヴュー後の純那による救済で結論付けられます。

このことからわかるように、大場ななは前項で述べた舞台少女・競争原理に乗じる気がありません。主役になるという欲がないのです。11話でも他の舞台少女が下へ降りる道を華恋と一緒に進んでいるのに、大場ななだけは降りるつもりがありません。優れた才能を持ちながらも、私達誰一人欠けちゃいけないと思い続ける、理想論的な思いが強い存在です。


横軸・回転軸として頻出する橋と円について補足します。
:1つの境界線で区分けされた、2つの異なる世界を繋ぐ構造物。境界線を越えて"渡る"動作のために必要なもの。交通・往来が発生することから、コミュニケーション、友好関係を想起させる。
:おもに完全性の象徴。円は閉じた図形である。同義の"輪"(→輪舞、輪廻など、再現性を含む熟語になる)や、同音の"縁"(内的に完成されたつながり)や"和"(定常、乱れのない)ともしばしば意味が混同する。

劇場版 再生産総集編ロンド・ロンド・ロンドでは、概ね華恋に沿って描かれていったアニメ版とは違い、大場ななとキリンがメタ(上位)的な視座からアニメ版の進行を振り返っていき、神楽ひかりを「待ってたよ」と待受け、バトンタッチします。
舞台少女として生まれ変わった(=再生産された)一人ひとりの過程が明確に描かれ(それぞれのアタシ再生産演出)、卒業や死のモチーフ(仰げば尊しに似た曲、ドレープカーテンが血に置き換えられたスタァライトの冒頭シーン、大場ななの上掛けから落ちる7つのボタン、再生讃美曲)が提示されました。
ロンド・ロンド・ロンドのロゴデザインは、3つの円を横断するようにリボンで結ばれた1本の線が描かれており、更に本編の内容も

①劇中劇『スタァライト』
②アニメ版スタァライト本編
③再生産総集編での、メタ的視座における大場ななの振り返り

という③つの閉じた円を神楽ひかりに受け渡す(→神楽ひかりが橋渡しする)、という流れは、なんだか上記の橋と円のモチーフを想起させられませんか?…結論有りきで少々強引でしょうか…?
(再生産総集編での記事は以前に書いた乱文があるのでこちらを参照ください。)


3.アルカナの示すもの。タロットの示すもの。(補足1:タロットについての情報整理)

スタァライトで描かれる舞台少女の在り方はアルカナ・アルカディアにも引き継がれています。

TVスタッフがシナリオに参加しているアルカナ・アルカディアでは、やはり描かれるテーマも本編と共通してくるのかもしれません。配役のない「星」、「主役」は誰かなどは、舞台少女の在り方と密接に関係があるようです。

ここでスタァライトで基になっていることが通説となったいくつかのタロットについて観てみましょう。(以下画像はWikipediaより引用)

XV 悪魔

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正位置:裏切り、堕落、誘惑、憎悪、破滅
逆位置:回復、覚醒、リセット

誘惑・暴力の象徴。前もって定められ動かせぬものを意味するとも。逆五芒星は呪術的な力を表し、山羊顔でコウモリの翼を持つ悪魔が描かれる。雌雄1対の角を生やした男女が鎖で繋がれている。星のモチーフが含まれ、強烈なエネルギーを持つカード。大場ななの出席番号は15番で、彼女の武器は1対の日本刀。アルカナ・アルカディアでは、花柳香子が配役される。解釈一致が過ぎる。


XVI 塔

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正位置:破壊・崩壊・悲劇・トラウマ
逆位置:緊迫、誤解、不幸、屈辱、必要悪

正逆どちらも凶兆とされる唯一のカード。
王冠、塔、二人の人物が落下するといった絵柄は、スタァライトに頻出するイメージと共通する。地上の権力の象徴である塔に、神の力が作用し、自意識の殻から救済される、あるいは神の怒りを受けるといった図柄。
アルカナ・アルカディアでは神楽ひかりが配役され、アニメ本編では等に幽閉された少女。

XVII 星

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正位置:希望、ひらめき、成就
逆位置:失望、絶望、無気力

7つの星とひときわ大きな1つの星。2つの水瓶で水と大地に液体を注ぐ女性。戯曲『スタァライト』の挿絵や、運命の舞台にたどり着くための上掛けのボタンの数が7つであることが共通している。
マルセイユ版タロットでは一番大きな星は2つの八芒星が重なった星として描かれており、これを二連星だと読み解けば、更に合致する。

塔や王冠の上に輝く赤い2つの星。
はじめに連想されるのは蠍座のアンタレスで、蠍座にはこんな伝承がある。

英雄オリオンの傲慢さに怒った女神ヘラ(ガイアやレトともいわれる)は、さそりを地上に送り、その毒針でオリオンを殺した。この功を讃えられ、さそりは天に昇り星座になった。 一方、殺されたオリオンを憐れんだ女神アルテミスはゼウスに頼み、オリオンも天に上がり星座となった。
ただ今でもオリオンはさそりを恐れて、東の空からさそり座が現れるとオリオン座は西の地平線に逃げ隠れ、さそり座が西の地平線に沈むとオリオン座は安心して東の空へ昇ってくるという。
このほかに次のような神話がある。アポロンの息子パエトーンが天をかける太陽の馬車を強引に運転したときに、さそりが馬の足を尻尾の毒針で刺した[8]。そのとたん、馬たちが制御不能になり、天と地を焼きつくしそうになったので雷神ゼウスが馬車に雷を落とし、落ちた先がエリダヌス川(エリダヌス座)であった。   ―Wikipedia「さそり座」より引用

スタリラ内でオリオンを配役されたのはひかり。主神ゼウスは晶が、アポロンは華恋がそれぞれ演じた。ゼウスの雷と転落は塔のモチーフと重なる。

あるいは、おおいぬ座のシリウスも有力候補だ。タロットのモチーフとしてシリウス説も出ており、全天で最も明るい星(=トップスタァ)である。青白い星として知られるが、歴史的に赤い星として認知されていた時期があることが、「追って追われてシリウス」の歌詞中にも示唆される。

また、2つの兄弟星、劇場版における鉄道という具象は銀河鉄道の夜を下敷きにしていることも想起される。

アルカナ・アルカディアでは配役なしとされている。皆が目指すものの象徴としたいとのこと。
15悪魔なな→16塔ひかり→17星 という流れなので、華恋を示している?

XVIII 月

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正位置:不安定、幻惑、幻滅
逆位置:過去からの脱却、未来への希望

2つの塔、月の女神、二頭の犬、荒野に続く道、水辺とザリガニ。
塔のデザインは劇中の塔によく似ており、月の女神はカードの意味から、運命のティアラを象徴しているようにも受け取れる。二頭の犬は避けられない試練を暗示し、道はそのまま線路に繋がる。ザリガニはアニメ最終話のカニ鍋を思い出す。意外と関連性が表立ってくるカード。
アルカナ・アルカディアでは大月あるるが配役される。名前から…?彼女も大場ななと同じような孤独を内在しており、皆いっしょの舞台を望んでいるため、今後の掘り下げが期待される。

XI 正義

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正位置:公平、公正、均衡、善意
逆位置:不正、不公平、一方通行

剣と天秤を持ち、玉座に腰掛けた人物。ウェイト版タロットでは女性が描かれる。公平さの具現化でイメージがわかりやすい。
アルカナ・アルカディアでは大場ななが配役され、隠者(深慮、助言、慎重)役とまひると相対する。ななは平等主義だが独善的なところがあり、イメージが合致する。

X 運命の輪

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正位置:転換点、チャンス、幸運、転機
逆位置:悪化、口角、アクシデント、解放

運命VS自由意志を提示。善悪の流転。輪(→ロンド)と運命はスタァライトでも頻出する。アルカナ・アルカディアでは愛城華恋が配役される。物語の運命の軸を大きく動かした彼女のイメージと合致する。

4.舞台はだれのもの?(補足2:近代演劇史とスタァライトの命題)


・キリンとななと会話から導き出される、舞台少女の在り方
・舞台少女たちが語る、自分たちの在り方
・アタシ再生産
・正義VS隠者で描かれる、ななとまひるの主張の対立

これらに象徴されるように、スタァライトという作品には、以下のような命題とアンチテーゼが含まれています。

命題:(競争原理の基で)幾度倒れても、産まれ直すことが出来る。
舞台少女・キリンの基本姿勢は、スターシステムを肯定します。圧倒的な主役が存在し、競争原理によって成り立ち、欲望が原動力になり、切磋琢磨を是とします。上下の差と関係性が明確にあり、実力が何より必要にされます。破壊して再構築(スクラップ・アンド・ビルド)する、決別と再起の物語です。

反対命題:(平等主義の基で)排除されるものはいない。
大場ななの基本姿勢は、舞台ありきであり、"みんな"ありきです。スターシステムに対応させるなら、彼女の目指す演劇のかたちはディレクターシステム(演出主導型)に近いものでしょう。切磋琢磨を否定することはありませんが、主役を巡った競争というものには否定的な立場です。人や場が上下よりも先にあるので、横軸・あるいは円形の関係性を求めます。

前述の対比はそのまま、近代史における二大イデオロギーの対比と関連してきます。資本主義社会主義の対立ですね。

競争原理(きょうそうげんり)とは、資源配分の効率性の概念である。 これは、個人や集団に必要とする資源が限定されているならば、それを獲得するために競争を行って優位(高生産性)の者がそれを獲得できる、とする考え方である。 社会がこの方法で運営されて行くならば、その成功者こそがより良い地位や財産を得られる。 以上は資本主義の基本原理の一つでもある。                ―Wikipedia「競争原理」より引用

「社会」の語源はラテン語の「socius」(友人、同盟国などの意味)である。「社会主義」の語の最初の使用は諸説あるが、「自由、平等、友愛」の語を普及させたピエール・ルルーが1832年に「personnalite」(これはフランス語で、個人化、個別化、パーソナライズなどの意味)の対比語として記した「socialisme」(これはフランス語で、直訳では「社会化する主義」、社会主義)が最初とも言われており、ルルーは1834年には「個人主義と社会主義」と題した文書を発行した。他には1827年のアンリ・ド・サン=シモンなどの説があるが、いずれもフランス革命の流れの中で発生した。「社会主義」の語は、後の近代的な意味では色々な主張により使用された。このように歴史的には「社会主義」の語は主に、個人主義的な自由主義やそれを基本原理とした資本主義などの対比概念として使用されている。
                  ―Wikipedia「社会主義」より引用

こんな敬遠されそうな内容をどうして触れたかというと、演劇史においては切っても切れない話であることと同時に、スタァライト命題の根本にも間接的にこの話が含まれており、さらには視覚的デザインにロシア構成主義的な演出、つまり近代芸術やイデオロギーの対立に起因するものが多く含まれているからです。


※以下は演劇に関する話が中心となり、
スタァライトの話からは外れる余談です。予めご了承下さい。

近代の芸術文化には、イデオロギーが密接に関わってきており、そのイデオロギーですら、経済の在り方や人間社会の在り方など多層的な意味を含む言葉であるため、多くの誤解による対立を産んでしまいがちです。このあたりの話を一から十まで出来るほどの知識は持ち合わせてはいません。ここからはそれらの影響を受けた近代の演劇史について私が認識していることを概要としてまとめます。理解不足や誤解が多く入っているであろうことをご承知ください。

第一次世界大戦以後、戦争協力に対する自省や戦争への否定、不安から、ダダイズム表現主義が産まれ始めます。
それまでの芸術の在り方から変革を求めたこれらの芸術運動は、各地へ広がり、その国々に応じて変化し影響し合っていきます。美術ではシュルレアリスムに変化していったり、演劇・文学ではドイツ~ポーランドにかけてドイツ表現主義が広がっていきます。

いっぽうロシアでは以前から活発になっていたロシア・アヴァンギャルドがロシア革命を受けて更に加速していきます。プロパガンダへ用いられたポスターアート等(→これが転じてスタァライトの視覚的表現に取り入れられてます。また、頻出する工場などのシーンは大量生産や近代的イメージと関連します。)が支持されていきますが、同時に文化水準の高い国を作ろうとしていく運動の中で、ドイツ表現主義の影響を受けたメイエルホリドが躍進していきました。彼はそれまで文学・心理描写が中心であった近代演劇に身体性・集団性を取り戻した人物でしたが、スターリンの文化大革命により粛清されてしまいました。
ロシアの演劇界にはもう一人、更に有名な巨匠が居ます。それがスタニスラフスキー。現在の日本や、アメリカにおける映画界の演技法の基礎に通じる人物です。彼のモスクワ芸術座は国家的な支援を受けながら、心理を大切にしたリアリズムに基づく演技を広めていきました。
話は戻ってドイツでは、ブレヒトが表現主義や日本の歌舞伎などの影響を受けながら台頭していきます。コミュニストであった彼はナチ党に傾倒していく母国から亡命し、劇作や演出をしていきました。彼は叙事的演劇を掲げ、それまでのスタニスラフスキーらのような感動・感傷に浸らせる演劇ではなく、眼前で起こっている出来事の本質を考えてもらおうとする演劇を実現しようとしました。彼の演劇論は名女優である奥さんのヘレーネによって徐々に評価されていきました。ブレヒトは、プロセニアムアーチ(舞台空間を囲んでいる、観客席と舞台上との壁面)つまりは第四の壁を自発的に打ち破ろうとした初めの演出家でした。

 社会主義・共産主義者としての立場を取りながら表現を突き詰めていったメイエルホリドやブレヒトがその後の演劇界に与えた影響は非常に大きなものでした。それまでの演劇を一変させようと、変えようと試みていったのです。しかしながら今では過去の人のように扱われていたり、商業的に成功することが難しいとして、彼らの演劇手法・演出手法はあまり顧みられなくなりつつあります。

日本やアメリカでは、舞台といえばショービジネスを指すことがほとんどでしょう。素晴らしいエンターテイメントを提供するスターを求め、切磋琢磨し奪い合い成長し合う文化圏です。スタァライトの世界観も、ここを前提として描かれます。華やかな世界があり、幾多の勝負の上に成り立っている世界ですが、表舞台には現れない敗者も数多くいて、それらは注目されにくい世界です。しかしそれらもまた、生きた舞台を作るための糧になっていきます。

ドイツではナチス時代、冷戦時代の経験を踏まえ、市民レベルで文化や芸術のために予算を組み、国内のそこかしこに演劇・オペラ・サーカスなどの劇場がある国になりました。税金を文化に使っているので、チケット代もかなり安く、プロの劇団よりも表現力があり評価されているアマチュア劇団があったりするほど、地域に演劇などの文化が根付いています。それはみんなで演劇を作っていく行為であり、もしかすると、ななの求める演劇の在り方は、それに近いのかもしれません。


スタァライトでは、キリンは観客の代弁者として描かれます。
観客が望む限り、歌って、踊って奪い合うレビューショーは続くのです。

キリンやななはそのことを私達に突きつけてきます。
ディスプレイやスクリーンを突き抜けて。
キリンは舞台少女のキラめきが輝き、再生産される様を期待し、求めます。
大場ななは、スタァライトの世界の美学を快く思っていません。
「大嫌いよ! 『スタァライト』なんて! 仲良くなった相手と離れ離れになるあんな悲劇!」

ですがそれも、「レヴュースタァライト」の世界が”大場なな”という少女に与えた役割でした。


5.劇場場鑑賞前の予想

ロンド・ロンド・ロンドが明日劇場公開される新作劇場版の橋渡しとなる作品ならば、続く新作劇場版は終着点となるはずです。
それは新たなモチーフとして描かれだした列車や、初期PVで言及されていた執着(=終着)の物語という言葉から連想できるものです。

まずは予告編の流れをさらってみましょう。
華恋とひかりが運命を交換した子供時代のシーンから始まり、卒業を目前に控え、後輩に指導する99期生たち。「列車は必ず次の駅へ~」から始まる、大場ななのモノローグ→線路を歩き塔へ進む華恋。「私だけの舞台って、何?」
曲入りから舞台少女たちの短いカットとセリフの連続。それぞれ異なる舞台と配役を演じる舞台少女たち。待ち構える神楽ひかり、「愛城華恋は次の舞台へ!」「主演」は誰か。

また、新作冒頭映像では。
冒頭でトマトが潰されます。砂漠に横たわる華恋と舞台の塔の上に立つひかりのやり取り、走るキリン、アーク溶接や溶鉱炉、爆破解体のシーンがカットイン。約束タワーブリッジは停電し、崩壊する。無数のポジションゼロ。新たな口上で決別する神楽ひかり。

新作のイメージ画像として描かれる戯曲『スタァライト』の挿絵は、7つの星と塔に輝く2つの星に、新たに線路が描かれています。題字などのデザインは手書き。

これらをまとめると、新作劇場版では舞台少女の卒業、それぞれの進路(これからの新たな目標、やりたいこと)に向かう為、新たに自分を再生産していく舞台少女たちと、再び目標を消失した愛城華恋が新たな目標、舞台を見つけていく、といったあらすじになりそうです。
潰れたトマトは彼女のトレードマークであり、作品のマークでもある王冠や、血肉のイメージとも重なり、それに工場での破壊と再生のカットインが入ることで再生産が象徴付けられます。そしてひかりが華恋を突き放すのは、アニメ版の序盤を想起させられ、ロンド・ロンド・ロンドでは大場ななからひかりに手渡された物語であることから、おそらく華恋を救う為、あえて突き放していることが予想できます。

第3層:新作劇場版
第2層:アニメ版スタァライト
第1層:劇中劇 戯曲『スタァライト』
といった3層の入れ子構造で、同じ主題(再生産)が繰り返されていく
(→ロンド・ロンド・ロンド)構成になるのではないでしょうか。


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