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NVCと私。

言語化は相変わらずですが、今日の私は思考の血栓がなく心身ともに澄み渡っていた。

そんな2022年1月28日(金)、表現者の為のNVCワークショップ3日目を終えました。
澄み渡る思考を捨ててまでnoteを綴る、思考の海に溺れる夜もあっていい。


今日のワークショップのフィードバック中に過去の自分を振り返る時間がありました。
そこで感じたことや約一年間で変化したことを、ここに残そうと思います。


私がノンバーバルコミュニケーションに初めて触れたのは、昨年3月頭に行われた『女優ふたり芝居 WSオーディション』に参加したときのことでした。

言葉を使わず、与えられたお題を内側から放出する。
今の私が当時やったワークで感じたことを簡単に言語化するならこんな感じですが、その頃は右も左もわからんし他人の目があるとどこが強ばりを感じていたと思います。

やったるぞー!見せたるぞー!みたいなやつも、もちろんありました。

私は普段、ふとした時に撮られた写真があまり好きではない…というか嫌いでした。
ブサイク、本当にブスーって思っていて、もちろん今でもその感覚はあります。
でも舞台上にいるときの写真は綺麗なものが多くて好きでした。
照明の力や自分がしないであろう役としての表情、でも今しっかり言語化するのであれば『人に見せる』ということでの筋肉の強張り。これがしっくりくる。

大前提として、私は板の上で役として自然に生きるお芝居の方が好きだし突き詰めたい方向性なのです。
でもやっぱりどこかで、誰かに見られているという意識があって目の前の相手に没入していたかというとそうではなかったのかもしれない。
脚本という決められた(勝手に自分が思っている)道筋、立ち位置、決め打ちといった縛りを勝手に作っていく自分。
もちろんそれが大事な現場もあるし、皆さまにお見せするものとして最終的にはある程度の決め事はしなければなりません。
でもそれを最初から自分で可能性の限界を決めてしまっていたりしたのが、過去の自分。

敢えて役者として、という言い方をしますが。
役者として自分の限界を決める必要はなく、軌道修正をしてくれる演出家にお任せすればいいのです。
自ら可能性をつぶす必要はないのだと思えるようになったのが、現在の自分。
それでもストッパーをかけてしまうときもありますが、自覚できたことにより自分自身に「え?まだ全然いけるくない?」と言えるようになりました。

どうしてそうなったか、確かこれはWSオーディションのあと初めて私が表現者の為のNVCワークショップに参加したときだったかなぁ。

最初、動かないというのがわからなくて与えられたものを如何に体で表現するかをしていたんですね。
でもNVCで鍛えたいのはそういうことじゃなくて内側で起こっているものを『衝動』を使って外に出していくことだったり、その時やっていたのは究極立っているだけでその場を支配できる可能性の探り。
自分自身や目の前の相手と本気で向き合うことだったり。

いや!難しい!当時の私じゃそりゃわからん!
今でもできてるかどうかなんてわからん!
少なくとも今は自分とも相手とも空間とも、当初より本気で本気で向き合って生き抜きたい!という欲や意思は爆あがり。

動かないってやっぱ怖いじゃないですか、誰かに見られているのに。
でもその『誰かに見られている』っていう意識があること自体いま思うと自分と本気で向き合えてなかったんだなって思う(意識があること自体が悪いことではないのだけれど)。

んで結局、できてるのかできてないのかわからんまま最初のワークショップは終えた気がする。

間も色々あって長くなるので本日は割愛して。
いまは内側から出るものや周りに身を任せて無駄な力を抜いて自意識を放り投げて楽しむこともできるようになった。


そういう色々があって、積み重ねがあって今日の私がいて。
女優ふたり芝居のときに、NVCワークショップの創始者でもある萌恵さんが自分の蓋を開けてくれて。
その後のNVCワークショップで生命を本気で燃やすことを知って。

一つ一つの表現に、本気で燃やせる私ができた。
お芝居も、お芝居以外のことも。
自分の知らない一面をみることも嫌いな自分を覗くこともそんな全てを受け入れることも、相手に影響されながら影響を与えながら生き抜くことも相手のことを知ることも知られることも全てが愛おしい。

さて改めて
今日のフィードバックタイムに思ったこと
はじめたての頃と変わったこと


【「限界」という名の蓋をしなくなった】

身体的な限界はどうしたってありますが、精神や思考においての限界を決めなくなったなぁという印象。
新たな可能性との出会いをどんな表現や現場においてもするようになった。


【過大評価をしなくなった】

自分を見つめることが増えて無理な過大評価をしなくなった。
今の自分を知って受け入れて、その先を探っていく感じ。
できない自分も受け入れることができるからたくさんの道筋を増やせる。


【思考の海に溺れなくなった】

「限界」を決めてしまう一つの要因かなと思った。
もちろん考えることはとても大事なんだけど、いざ!って時には一度捨ててあげることも大事なんだって思った。
お芝居とかワークの前は考えるし後も考えるけど、やっている時は目の前の出来事をしっかり見つめる方が楽しいし新しいものがみえてくる。


【「舞台上の表情」以外の美しい顔を知れた】

自分のことを言うとナルシストみたいだけど、本気で生きている人間の表情って誰であってもどれだけくしゃくしゃに崩れていても美しいんだと思ったんだよね。
鼻水ダラダラでも怒ってても、美しいんだって思った。
変に作ったものよりも本気で生きている命はとてつもなく美しい。
だからこそ、より一層板の上でも本気生き抜きたいとも思えた。


生きているものの数だけ表現があるから、表現に正解はない、から楽しい。
もっともっと書きたいこととか思っていることもあるけど、とりあえず本日はここまで。

一気に書いたのでまとまりがないとこも多々ですが、気が向いたらちょこちょこ修正するかもです。

生きる、を楽しむ。


2022年1月28日(金)
たにかわ夕嬉

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